仕事の日々
「……はい、はい。申し訳ありませんでした。以後気をつけます。……はい。それでは、失礼します」
電話を置くと、舞は大きなため息をついた。
向かいから由紀先生と律子先生が、心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫?」
「お疲れ様でした」
舞は眉毛をへの字にしたまま、冷めてしまったコーヒーを飲んだ。
「今度は何だったの?」
舞は、また一つため息をついた。
「今度はですねぇ、山下くんが学校来てるのに、先生たちは何で声をかけに来ないんだと……」
「「はあ??」」
「わざわざ教室まで声をかけに来いってこと??」
「まあ、つまるところは」
「何様なのよ?!」
「……山下様ですーよ……」
「すごいよね、相変わらず」
「はい……」
電話のおかげで、残りの気力と体力を、ごっそりもっていかれてしまった。
「ああ……」
午後7時。
皆、当たり前のように残業している。
舞も、会議の資料を作らなければ帰れない。
(もうやりたくない……)
隣の隣の席では、やはり東先生が、電話に向かって頭を下げている。
(何なのかしら、この仕事)
夕方になると、電話が鳴り出す。
大半は、クレームである。保護者から、地域から、わんさか来るのである。
下校してからは保護者の管轄なので、学校に電話をよこすのはお門違いだ。だが、直接戦うのを避けるため、地域住民は学校に電話をかけてくる。今日も午後7時をまわっているのに、じゃんじゃんかかってきていた。
東先生が、受話器を置いた。
あちらからも、大きなため息が聞こえてきた。
「お疲れ様でした。先生のところのは、どんな電話でした?」
東先生が振り向いた。
「店の中で大騒ぎしている生徒がいるから、止めに来て欲しいって。下校しているから、補導員さんにお願いしてくださいと言ったら、『はあ?』みたいに言われたよ」
「……それ、こっちが『はあ?』ってやつですよね」
「うん」
「でも、仕方ないから行ってくるかぁ……」
「「「え、行くんですか??」」」
東先生は、上着を着ると言った。
「行ってくるよ。指導部長だしね。今日は、そのまま帰るよ」
そして、背中に哀愁を漂わせながら出ていった。
その姿を見送ると、皆で顔を合わせて、大きくため息をついた。
由紀先生が半目になった。
「誰の子だよ」
皆、頷いている。
「何で学校から帰ってからの行動まで私らが責任取らされるんだ??」
「ホントに」
「もう、高校みたいに、定時過ぎたら留守電に切り替えるか、教育委員会に電話回るように設定したらいいんじゃない?」
「それ賛成」
「仕事になんない」
今月の残業も、あっさり過労死ラインを突破している。校長は、「早く帰って」と言って、自分が帰る。副校長は、私らと一緒に残業しているが。
「残業手当、時給換算したらいくらになるかしらね」
松井先生がボソッと呟いた。
「計算しますね」
舞の隣の洋樹先生が、スッと計算機を出して計算を始めた。
「……ざっと、24万くらいですかね」
「24万!」
「そんなに!」
「ちょっと待って。若手はお給料の倍になるじゃない!」
皆、ますますやる気が萎えてしまった。
「だめだ、帰ろう」
「そうですね」
皆、帰り支度を始めた。
「舞先生、帰りましょう」
パソコンを打ち始めた舞に、律子先生が言った。
「はい。帰りたいです……でも、資料まだ終わっていないので。明日、空き時間もないから今日作っちゃわないと」
「そっかぁ……でも、あまり無理しないでね」
「ありがとうございます」
一人、また一人と、帰っていった。
舞は、まだカタカタキーボードを打っていた。
「何か手伝いますか」
隣の洋樹先生が、話しかけてきた。
「ありがとう。もう少しだから大丈夫。先生は帰らないの?」
洋樹先生は、体をもぞもぞ動かした。
「置いていくのもな……と」
「私を?心配してくれてるの?」
「はい」
どきっとした。
この人、そういうこと言うんだ。
洋樹先生は、ニヤリと笑った。
「先輩ですから」
「ちょっと!それ、心配じゃなくて、おちょくってるでしょ!」
「わかりますか?」
「わかるわよ!」
「勘いいですね」
「バカにしてる??」
「いいえ。ちゃんと敬ってますよ。先輩ですから」
「キーッ!!」
いつもこうだ。この男、絶対「先輩」だなんて思ってないだろ!
舞はペン立てから大きな筆を取ると、洋樹先生の顔に向けて攻撃を始めた。彼は、上手に筆を避けながら、ニヤニヤ笑っている。
「ホントむかつく!普通に優しくしなさいよ!先輩を敬え!」
洋樹先生が、筆を捉えた。
「敬ってますよ」
「どのへんが!」
「筆で攻撃されても、ちゃんと相手してるじゃないですか」
「そっち?!」
「はい」
私より年下のくせに、いつも淡々と冷静に返してきやがって。腹立つ!
「ほら、こんなことしてると、終わりませんよ」
洋樹先生は、筆を取り上げた。
「あなたのせいでしょうが!」
「早くやってしまってください」
「わかってる!」
舞はプンプン怒りながら、猛スピードで資料を打ち上げた。
もう、8時を過ぎていた。
(やっと終わった……)
周りを見回すと、自分と洋樹先生、副校長先生しか残っていなかった。
「終わりましたか」
洋樹先生が言った。
「うん」
舞は素直に返事をした。
「帰りましょう」
「うん」
給湯室でマグカップを洗って戻ると、洋樹先生がコートを着て待っていた。
「待っててくれたの?」
洋樹先生は、答えなかった。
舞は急いで退勤処理をすると、パソコンを閉じた。バッグを持ち、副校長先生に声をかけた。
「副校長先生、そろそろ帰りませんか」
副校長は、顔を上げた。
「あと少しやってくから、帰っててください」
「はい、ではお先に失礼します」
「お先に失礼します」
駐車場までの僅かな距離が、とても遠く感じられた。疲労困憊だ。
隣を歩いていた洋樹先生が、バッグから何かを取り出した。
「これどうぞ」
舞がよく食べているチョコレートだった。
「ありがとう!」
舞は子どものように喜んで、早速包み紙を開けた。
「美味しい!生き返る!」
「良かったです」
食べながら、言った。
「最近、ホントに年を感じるのよ。回復するのに時間かかるのよね」
「そうは見えませんけど」
「いや、家に帰ったら、魂抜けたみたいになるんだー……燃え尽きるみたいな」
洋樹先生は、無言で舞を見つめていた。
そして、言った。
「まだまだです」
「?!」
まだまだって……人として?それとも、まだ働けるってこと??
舞の心を読んだかのように、言葉が続いた。
「まだ若いから、もっといけるってことですよ」
「何ですって!」
第二ラウンド開始のゴングが鳴った。
「キーッ!」
舞は、持っていたチョコの包み紙を丸めると、投げつけた。
「ゴミ落としてますよ」
「投げつけたの!」
「散らかしちゃだめですよ」
「ムカつくー!!」
全て受け流されるのに腹を立て、今度は両手で突き飛ばした。
「危ないじゃないですか」
「馬鹿にするからよ!」
「してませんよ」
この男は、どうしていつもこうなんだ!
絶対、怒らせて楽しんでる!
「ほら、まだ元気じゃないですか」
「怒ってるの!だからなの!」
「怒るって、パワー使いますよね」
「そうよ」
「パワーないと怒れないじゃないですか」
「それ、褒めてないから!」
「怒れるってことは、若い証拠ですよ」
「意味わかんない!」
舞は、もう一度突き飛ばした。
「ほら、まだパワーありますよ」
「ムカつくー!!」
プンプン怒る舞に向かって、洋樹先生が言った。
「お疲れ様でした」
「ホントだよ!」
怒りのパワーで血圧が上がり、帰りの運転も無事にすることができた。
下つ国に来て、早くも1年が過ぎた。
生活も仕事も、だいぶ慣れてきた気がする。
初めは、車の運転もドキドキで授業もドキドキで、バレないように魔法を使いながらこなしていた。それらも、何とか様になってきた気がする。
(それにしても、人って、本当にいろんな姿をもってるんだな)
もし、上つ国に行っていたら、こんな嫌な面を見ずに済んだかもしれない。
(でも)
視野やものの考え方は、広げられた気がする。
それこそが、私の目的だった。
ぬるま湯に浸かっていては、有事の際に役に立ちはしない。
中つ国に「有事の際」なんてあってほしくはないけれど、何があるかわからないのがこの世の常だ。
(2年じゃ足りなかったな)
残り1年。
中つ国に戻ってからも役に立つ知識や技術、身につけないとな。
あと、何冊か本も持って帰ろう。良いものを。
(まだまだやることはある)
舞は、「ウィレイ」に必要なものを考えながら眠りについた。




