49歩目 そういう考えが成り立つかどうかというのが抜けてるような
幸いにも、情報はかなり早い段階で入手出来た。
それにより芋づる式に関係者が摘発されていく。
それは、とある宗教によって蔓延していた。
ヒロフミが設置したものとは別の教えだ。
反乱はそれに従って起こったものだった。
その教えの指すところは、大まかに言えば次のようになる。
王では無く神に仕える為に。
共に国をもり立てていくのではなく、己の我が儘を通す為に。
働いて手にした成果を満遍なく配っていかねばならぬ。
概ねこんなところである。
どれもこれも、現実を無視した暴論の類いでしかなかった。
神に仕えるという事は、別の統治者に鞍替えするという事である。
それが実在するかどうかは別として、信奉する対象が変わる事は間違いない。
そして、神という存在しない対象を崇めても、その実体は宗教団体の指導者に服従する事に他ならない。
それは王からの離反に他ならない。
国をもり立てるという事は、協調して生きていくという事だ。
個人の傲慢さや我が儘を許すわけにはいかない。
これは、押し売りや強制などを禁止するという事になる。
人は己の利益の為に他人を踏みにじる生き物だ。
それは持って生まれた本性というものだろう。
だが、持って生まれたものだからと言ってそれを許すわけにはいかない。
そんな事を認めていたら、横暴がはびこる事になる。
人が集って生きていくならば、そんな事は認めるわけにはいかなかった。
そこにどんな言い訳があろうとも。
収穫を満遍なく配るなど、人の努力を踏みにじる行為でしかない。
収穫を得るために人は努力する。
その努力を労働という。
その成果として収穫を得る。
その努力を無視して、誰にも彼にも行き渡らせる、等しく配ってまわるなど罪悪でなくてなんであろう。
収入は、それを手に入れるために努力した者だけのものである。
他の者にそれをあずかる資格は無い。
等しく配るというのは、そんな努力を無視して横から奪い取る行為である。
そんな事をしなくてはならない義務や義理といったものはない。
欲しければ相応の対価を支払うべきである。
どんなに美しく言っても、それは泥棒・強盗の所業である。
そんな事を吹聴している連中を野放しにするわけにはいかなかった。
そんなデタラメを信じてる者達も。
ヒロフミはそんな者達を探して捕らえ、次々に処刑していった。
そうでなければ後々までこの考えを残す事になる。
こういった行動を阻む・たしなめる者達も同罪・共犯として処分していった。
悪事を擁護してるのだ。
それを悪事と言わずしてなんとするのか?
こうしてヒロフミは、国内にいる不穏な連中のことごとくを処断していった。
その数は多く、全人口の半分に迫る勢いだった。
それだけの数の人間を処断するのは手間も時間もかかる。
やれば、国力の多くを失う事にもなる。
だが、それでも構わず処罰を下していった。
全員、死罪として。
生かしておくわけにはいかなかった。




