第1話 前編 王都到着~エルとの出会い
僕の名前はエバー・メイル。
正確には「メイル村のエバー」だ。
本来、庶民には姓がない。けれど辺境伯領の領兵に採用された際、御領主様から特別に「エバー・メイル」と名乗ることを許された。
同じ名前の者がいた時に区別がつかないから――という実に現実的な理由である。
現在十三歳。
僕は今、王都グランヴェルへ到着したばかりだった。
これから入学するのは、グランド王立学園。
王国中から優秀な子供たちを集め、将来国の中枢を担う者たちを育成するための教育機関だと聞いている。
僕は王国北部、ジジーアス辺境伯領の出身だ。
身分は平民。
三歳の頃に村の教会で読み書きと計算を覚えた。
五歳で領都の学校へ入り魔法を学び、七歳で首席卒業。
周囲は神童だなどと言ってくれたけれど、僕としては少し違うと思う。
ただ魔法が好きだっただけだ。
好きで好きで好きでたまらなかった。
魔法陣を書き写し、術式を調べ、失敗しては改良する。
そんな毎日が楽しくて仕方なかった。
学校卒業後は辺境伯領の魔法部隊へ配属され、魔獣討伐や薬の調合、新しい魔法の研究に明け暮れた。
そして今年。
ジジーアス辺境伯様から直々に、
『グランド王立学園で学んでこい』
との命を受けた。
辺境から王都まで馬車で一週間。
長旅の末、ようやく到着したのである。
――到着したのであるが。
「……迷った」
王都は人が多すぎた。
建物は高く、通りは入り組み、どこを見ても似たような景色ばかり。
北門から入って少し歩いただけで、僕は見事に現在地を見失っていた。
道を行き交う人々は皆忙しそうだ。
商人は荷車を押し、職人は工具箱を抱え、貴族らしい馬車も絶えず行き来している。
人に道を聞こうと思っても、誰も彼も足早に通り過ぎてしまう。
気付けば太陽は西へ傾き始めていた。
石畳が夕日に照らされ、街全体が赤く染まっている。
これが噂に聞いていた王都時間なのか。
王都へ行くと決まった時、周囲の人たちは口を揃えて言った。
『王都の人間はせかせかしてるぞ』
『辺境とは時間の流れが違う』
その時は大袈裟だと思っていた。
だが今なら分かる。
本当にみんなせかせかしている。
それに――。
「そもそも僕、人見知りなんだよなぁ……」
知らない人に話しかけるだけでも緊張する。
それなのに、見知らぬ王都の人間に道を尋ねるなど難易度が高すぎる。
どうしよう。
今日中に学園の寮へ辿り着かなければ、食事も寝床もない。
途方に暮れながら通りの端で立ち尽くしていると、不意に頭上から声が降ってきた。
「お前どうした? 迷子か?」
振り返る。
そこには壁があった。
「?」
いや、違う。
壁だと思ったものを見上げる。
すると顔があった。
僕より頭二つは大きい。
肩幅も広い。
まるで熊みたいだ。
思わず一歩後ずさる。
相手は不思議そうに首を傾げた。
「大丈夫か?」
「あ、えっと、その……」
声が裏返る。
落ち着け僕。
相手は人間だ。
たぶん。
「グ、グランド王立学園には、ど、ど、どう行けば……」
なんとか聞き終える。
よかった。
これで道を教えてもらえる。
そう思ったのも束の間だった。
改めて相手の顔を見て、僕は固まった。
金髪。
そして碧眼。
辺境では滅多に見ない色彩だった。
貴族に多い特徴である。
「なんだ。俺も行くとこだ。一緒に行こうぜ」
気さくにそう言われた。
だが僕は慌てて首を振る。
「いえ! その! だ、大丈夫です!」
勢いよく頭を下げる。
確かに迷子だ。
案内してもらえれば助かる。
だが相手は貴族かもしれない。
平民の僕が気軽に同行していい相手ではない。
そんな僕の反応を見て、相手はぽかんとした。
そして何かに気付いたように苦笑する。
「あー……」
小さく呟くと、周囲を見回してから声を潜めた。
「あのさ」
「は、はい」
「俺、髪と目がこんな色だけど貴族じゃないから」
「……ホント?」
恐る恐る顔を上げる。
相手は心底困ったような顔で頷いた。
「ホントホント」
そして大きなため息を吐く。
「俺、西の辺境領キョウオジンの山奥から来たんだけどさ。領都へ出たらみんな遠巻きにするし、王都行きの馬車でも最初乗せてもらえなかったんだ」
「えっ」
「理由聞いたら、この髪と目が貴族みたいだからだって」
そう言って前髪を摘まむ。
どうやら本気で困っているらしい。
「なんでこんな色なのか俺にも分かんねぇし」
肩を落とす様子は少し気の毒だった。
僕は思わず同情する。
「それは……災難だねぇ」
「だろ?」
「うん」
「もう面倒だから坊主にしようかと思ってる」
そう言われて改めて見る。
夕日に照らされた金髪は、まるで金糸のように輝いていた。
綺麗な色だ。
「うーん……」
「なんだ?」
「綺麗な色だから、ちょっと勿体ない気もするかな」
「え?」
「それに目の色は変えられないし」
相手はきょとんとした。
そして次の瞬間、豪快に笑った。
「お前、面白れぇ奴だな!」
「えぇ~?」
何がそんなに面白かったのか分からず、僕は首を傾げた。
すると相手――いや、彼は腹を抱えるほどではないにしても、しばらく肩を震わせていた。
「いや、大抵は違うって言っても信じねぇんだよ」
「?」
「貴族じゃないって説明しても、『またまたご冗談を』とか言われるし」
「でも本人が違うって言うんだから違うんじゃないの?」
僕がそう言うと、今度は相手が不思議そうな顔をした。
「普通そう思うよな?」
「うん」
「思わねぇらしい」
「へぇ……」
王都の人は変わっている。
いや、もしかすると僕が辺境育ちだから感覚が違うのだろうか。
そんなことを考えていると、ふと嫌な可能性が頭をよぎった。
「ハッ!」
「なんだ?」
「実は嘘だったの!?」
僕は思わず一歩下がった。
もし本当に貴族だったらどうしよう。
さっきからずいぶん失礼なことを言ってしまった気がする。
しかし相手は呆れたように笑った。
「嘘じゃないって」
「あ、よかった……」
心の底から安堵する。
その様子が面白かったのか、彼はまた少し笑っていた。
「俺はエル」
そう言って手を差し出してくる。
「お前は?」
「エバー。メイル村のエバーで、エバー・メイル」
握手を返しながら名乗る。
エルは僕の名前を聞いて少し目を丸くした。
「なんか名前似てるな」
「あ、本当だ」
言われてみれば確かに似ている。
エバーとエル。
なんとなく語感が近い。
「エバーはどっから来たんだ?」
「北のジジーアス辺境伯領だよ」
「おぉ、北か」
「エルは西なんだよね?」
「キョウオジン領の山奥だ」
西の辺境と北の辺境。
王都から見ればどちらも果ての土地だ。
「学園では何専攻なんだ?」
エルが聞いてきた。
「魔法学科だよ」
そう答えると、彼は感心したように口笛を吹いた。
「やっぱ頭いいんだな」
「そんなことないよ。魔法が好きなだけ」
「好きなだけで王立学園は入れねぇと思うぞ」
そう言われても実感がない。
辺境では周りも普通に魔法を使っていたし、自分が特別だと思ったことはあまりなかった。
「エルは?」
「戦術学科」
「へぇ」
戦術学科。
将来は軍の指揮官や騎士団幹部を目指す者が進む学科だと聞いたことがある。
「やっぱり剣術が得意なの?」
僕が尋ねると、エルは微妙な顔をした。
「どうだろうなぁ」
「違うの?」
「普通だと思うんだけど」
そう言って頭を掻く。
「半年前に火竜討伐したら、なんか入学することになった」
「ドラゴンスレイヤー!?」
思わず声が裏返った。
周囲の人が何事かとこちらを見る。
慌てて口を押さえた。
「す、すごいじゃないか!」
「いやぁ」
当の本人は気まずそうだ。
「ギルドに持って行って初めて火竜だって知ったんだよな」
「え?」
今なんて言った?
「知らなかったの?」
「知らなかった」
僕は思わず足を止めた。
エルもつられて立ち止まる。
「火竜だよ?」
「うん」
「ドラゴンだよ?」
「うん」
「知らなかったの?」
「だから知らなかったって」
全く悪びれた様子がない。
僕は頭を抱えた。
「どうして?」
「だって俺の住んでる山、火山なんだよ」
「うん」
「火蜥蜴がよく出る」
「うん」
「今回はやけにデカいなぁって」
「いやいやいや!」
思わず全力で突っ込んでしまった。
「火蜥蜴と火竜を間違える人なんてそうそういないよ!?」
「そうか?」
「そうだよ!」
エルは納得いかない顔をしている。
「でも倒し方一緒だったし」
「一緒なの!?」
「一緒だった」
「どうやって倒したの?」
「斬った」
「それだけ?」
「それだけ」
僕はしばらく言葉を失った。
なるほど。
この人はたぶん、普通じゃない。
本人だけがそのことに気付いていないタイプだ。
「へぇ~」
結局それしか言えなかった。
エルはそんな僕の反応を見て笑う。
「北じゃ火蜥蜴出ないのか?」
「出ないよ」
「じゃあどんな魔物が出るんだ?」
そう聞かれて少し考える。
「雪狼とか雪豹かな」
「あー、寒い地方の魔物か」
「うん」
「どうやって倒すんだ?」
僕は当然のように答えた。
「まず雪雲を嵐で吹き飛ばして――」
「うん」
「火矢を撃ち込む」
「うん」
「いっぱい」
「いっぱい?」
「これでもかってくらい」
エルが変な顔をした。
「なんだそれ」
「うん?」
「めちゃくちゃ力技じゃねぇか」
「そうだよ?」
僕は首を傾げた。
何かおかしいことを言っただろうか。
「だって雪狼は群れで吹雪起こしながら襲ってくるし」
「うわ」
「視界悪いし」
「うん」
「遠吠えで仲間呼ぶし」
「うわぁ」
「増えたら普通に死ねるし」
「キツイな」
エルが本気で顔をしかめた。
辺境の魔獣はどこも厄介らしい。
「なのにさ」
僕は少し不満を思い出した。
「これだと毛皮が使い物にならないって言われるんだよ」
「言われる言われる」
エルが即座に頷いた。
「僕たちは害獣駆除してるんであって、毛皮集めしてるわけじゃないのに」
「分かる」
「文句言うなら自分で狩ればいいのに」
「あー」
エルが大きく頷く。
そして次の瞬間。
「「だったらお前が狩って来い!」」
声が綺麗に重なった。
一瞬の沈黙。
それから二人同時に吹き出した。
夕暮れの王都に笑い声が響く。
どうやら僕たちは、思っていた以上に気が合うらしかった。




