1話 始まりの村
ついに完成した。転生魔法だ。魔王などと呼ばれるようになってから30年。世界を手に入れることはとうとうできなかったが、転生魔法という偉業は成し遂げた。これで人生をやり直し、今度こそ世界を手に入れるのだ。
なんて思っていた時期が俺にもあった。
転生したのは良かったが魔力がまさかのゼロ。理論上は全ての魔力が引き継がれるはずだった。それが蓋を開けてみれば、ゼロ。その辺のクソガキよりも下。これまで歯牙にもかけなかった有象無象よりも下。俺が何をしたっていうんだ。まあ、いろいろしたけど。
「そろそろ行くぞ」
わが身の不運に想いを馳せていると、アルプレヒトが声をかけてきた。しなやかな肢体をした狩人。父だ。
「はい」
俺は立ち上がり、尻についている砂を払った。
父の狩りについていくのが日課になっている。やがて俺も狩人になり、村に貴重な肉をもたらすことになるらしい。親の仕事を引き継ぐのが当たり前の世の中だ。前世は貴族の生まれだったから僻地の庶民がどんな生き様になるのか興味があったが、貴族も庶民もそれほど変わらないらしい。結局生まれが全てと言えよう。今世は魔力がないからこの仕組みから抜け出すことはできない。
アルプレヒトは軽々と森を進んでいく。彼の肩には弓があるが、狩猟の基本は罠である。弓を使うことはあまりない。
俺はとにかく必死についていく。まだ6才だ。大人についていくのはしんどい。そして俺がぎりぎりついていけそうなペースでアルプレヒトは進んでいく。しんどい。とてもしんどい。
罠のある場所をいくつか回り、イノシシを1頭得た。それなりの大物だ。血抜きをした後、アルプレヒトが担いで行く。魔力を使って力を増している。俺もかつてはできていたことだ。意識しなくとも簡単に。
「レオもできるようになる」
アルプレヒトはこちらを見ずに言った。無骨な男だが、気を遣うくらいのことはできるらしい。その気遣いも俺にはむなしいだけだが。
村に戻ると別働隊と鉢合わせた。狩りは基本的に獲物を回収する人と罠を張りに行く人に分かれる。今回は俺たちが獲物の回収をしたというわけだ。
「魔物が出たかもしれない」
カスパールが言った。別動隊の一人だ。
「かも?」
アルプレヒトが説明を促す。
「見慣れない足跡があった。人の足に似ていたが、倍はあった」
「ゴブリンか?」
「恐らく。群が大きいとまずい。すぐ町に知らせよう」
アルプレヒトは逡巡した。何を悩むことがあるのか俺には分からない。とっとと知らせて守ってもらうべきだろう。そのために税を納めているのだから。
「……そうだな。村長には俺から伝えておく」
「頼んだ」
カスパールはすぐに馬を出し、町へ向かった。
村長は耄碌して長い。俺たちが魔物について伝えると自分語りが始まった。わしの若いころはもっと獲物をたくさん得ていただの、自分は若いころにゴブリンを倒したことがあるだの、魔王と戦って生き延びただの、かなり都合よく改変された記憶があふれて止まらない。現在の実質的な村長は当然この老人の息子である。その肝心の息子は今メロンの畑に行っている。村の特産メロンで黄金律という名前で知られている。
形式的な報告を済ませた俺たちは家に帰った。
家では母がスープを作っていた。
「おかえり。今日はどうだった?」
エルナは振り返らずに言った。
「イノシシが一頭。ゴブリンの足跡も」
アルプレヒトが答えた。
「まあ」
エルナはようやく振り返った。心配そうな顔をしているが、取り乱しはしない。この辺境で生まれ育った女はみんなこういう顔をする。不安と折り合いをつけることに慣れている。
「レオは?」
「元気です」
俺が答えると、エルナは笑った。
「そう。ならよかった。」
彼女の顔には確かに安堵が見えた。ゴブリンの脅威よりも俺の安否のほうが気がかりらしい。
食事の後、アルプレヒトは弓の弦を張り直し、罠に使う縄を編み直した。俺はその隣で、今日使った小刀の泥を落とした。狩りで使うというよりは、お守りに持たせてもらっているものだが、道具は常に手入れをするものだとアルプレヒトに言われている。
作業を終えると、アルプレヒトは無言でこちらに手を伸ばしてきた。そして、ぽん、と頭に手を置いた。言葉はない。褒めているのか、慰めているのか、ただの習慣なのかも分からない。
俺は感触を確かめるように、少しだけ動かずにいた。
夜、板張りの床に薄い布団を敷いて横になりながら、俺は天井を眺めていた。
魔力ゼロ。改めて考えても最悪だ。転生魔法の理論に誤りがあったのか、それとも転生という現象そのものが魔力に何らかの干渉をするのか。原因は今もって不明だ。
ただ、手がなくなったわけでもない。
転生魔法の研究と並行して、俺はもう一つの魔法体系を独自に開発していた。外部魔石魔法という。大きめの動物はたいてい体内に魔石がある。その魔石を使って魔法を使う。俺はこの魔石を体外で作成することに成功した。もちろん自分の魔力を利用するため利用に耐える大きさにするにはかなりの日数を要するが、今回のようなイレギュラーに備えてかなりの大きさまで育てていた。ゲハイムニスの森に隠したが、今はその森がどこにあるのか分からないし、魔力なしでとりに行けるとも思えない。
だが、焦ることはない。俺はまだ6才だ。そのうち機会は巡ってくる。
そう考えていたら、ふとアルプレヒトの手の感触を思い出した。あの不器用な手。言葉が拙くても胸の内は伝わる。
前世とはまったく違う人生になる。地位も力も何もない。いずれ村の誰かと結婚し、子どもを作り、家業を継いで、そして今度は俺が子どもの頭を撫でるのかもしれない。
前世からの悲願達成が目標ではある。が、こんな人生も悪くないのかもしれない。
ゴブリンが来たのは、それから三日後の夜だった。
最初に気づいたのはアルプレヒトだった。獣のような勘だと思う。寝ていた俺の腕を掴んで引き起こし、エルナに目配せした。エルナはすでに起きていた。
村のどこかで悲鳴が上がった。
松明の光が窓の外を乱暴に動き回っている。怒号と、それよりも野太い、人間ではない声。数が多い。群だ。カスパールが危惧した通りになった。
「レオ、離れるな」
アルプレヒトは弓を手にしながら言った。
俺には武器がない。魔力もない。あるのは6才の体と、役に立たない前世の知識だけだ。
扉が叩き割られた。
ゴブリンが二体、なだれ込んできた。松明の光に浮かび上がったその姿は、醜く、しかし目だけが異様に光っていた。俺の記憶にある魔物よりもひと回り大きいきがする。
アルプレヒトが矢を放った。一体の喉を正確に射抜く。だが二体目が速かった。
俺に向かってきた。
エルナが飛び込んできた。
俺を抱えて、背中を向けた。
鈍い音がした。
エルナはそのまま倒れ込み、俺の上に覆いかぶさった。体が動かなかった。恐怖ではない。エルナの体重が俺を押さえつけていた。
アルプレヒトが叫んだ。それから、何かを殴る音。何度も。
やがてアルプレヒトも倒れてきた。俺とエルナの上に。
声が出なかった。
二人の体の重さと、鉄の匂いが、世界の全てになった。
どれくらい経ったか分からない。
ゴブリンの声が遠ざかっていった。村のどこかがまだ騒がしかったが、それもやがて静かになった。
夜明け近くになって、馬の蹄の音が来た。金属が触れ合う音。鎧だ。
「こっちにも生存者がいるか確認しろ」
町から来た警備隊だった。
扉が開かれ、男たちが踏み込んできた。俺は二人の体の下から引っ張り出された。傷はなかった。かすり傷一つない。
「生きてるぞ」
男が言った。
俺は答えなかった。答え方が分からなかった。
警備隊は家の中を確認し、外に出た。俺は誰かに毛布を巻かれ、何かを話しかけられたが、何も聞こえなかった。
茫然としていた。
前世でどれだけの死を見てきたか。部下の死も、敵の死も、名前も知らない村人の死も。それに慣れていたつもりだった。
なのに頭の中が空っぽだった。
夜が明けた。
警備隊が家の中に戻り、二人の遺体を外に運び出した。村のあちこちで同じことが行われていた。遺体はまとめて広場に並べられ、そして——
松明が近づいた。
途端、俺は毛布を振り払い、走った。
「父さん! 母さん!」
声が出た。それまで出なかったくせに、急に出た。叫ぶような声だった。自分の声だと思えなかった。
警備隊の男が俺を捕まえた。
「待て——!」
俺は男の腕を掴んで引き剥がそうとした。6才の力では当然どうにもならない。男はびくともしなかった。
俺は何事かを叫んで必死にもがいた。そんな俺を男は抱きしめた。俺の口からあふれる音が男の胸の中でくぐもって聞こえる。
炎の上がるのが分かった。
俺は男の胸に顔を押しつけ、押し殺すように泣いた。




