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310.歌姫

 この日ミヤコは深刻な問題に悩まされていた。


 ここ数日の多忙により、ミヤコは黒江家に帰っても兄と慕う三兄弟相手に会話をすることも少なく、食事を済ませれば疲れたからと自室に帰るか、できていない勉強をするからとシオリと一緒に客間に篭るかだったので、すっかり三兄弟が弟分不足に陥っていたのである。


 聖女エーデルの事や、ルイを保護するための実績作りの健康診断のために、少し早めに黒江家へと送り返されたミヤコは、ようやく時間が出来たとばかりに、黒江家三兄弟に捕まっていた。

 横長のソファの真ん中に有無を言わさず座らされ、左右はアセビとツツジに挟まれて、むさくるしい事この上ない。


 しかし悪気があっての事では無いと分かっているので、ミヤコは拒否をすることもできない。

 慣れない好意を拒否できないまま、アセビにぐりぐりと頭を撫でまわされるミヤコ。

 それを微笑ましそうな笑顔で見ているサツキ。

 そしてさらにそれをどこ目線なのか分からないほど慈愛に満ちた目で見つめるツツジと、正直なぜこうなっているのかミヤコにはまるで分らない。


 呆れたと言った様子で、ダイニングのテーブルからシオリに見られているのもやや気まずい。

 楽しそうにしているのが気になるのか、シオリの隣でテーブルの上に夏休みの宿題を広げたミクが、ずっとチラチラ見てくるのもしんどい。


 ただ、三人がここ数日とにかくミヤコを心配し続けていたのだけは理解できた。


「お、見て見ろミヤコ路上ライブ」


 そう言ってアセビが自分のスマホをミヤコに差し出す。

 それはSNSに投稿された動画。

 つい先ほど上げられたものらしく「歌姫いた」という短文が付いていた。


「歌姫?」


「わ、いいな、今日来てたんだね」


 ツツジも知っている人物だったらしく、喜々としてスマホを覗き込む。

 再生される動画は人ごみの後ろから撮影した物らしく、ほとんど目的の人物が写っていなかったが、画面の上半分に映るその場所は何処か見覚えのある場所に見えた。


 とてものびやかで綺麗な女性のボーカルが聞こえてくる。

 機械によって再現されている音声なので、生の声とは違って聞こえるミヤコの耳。

 そこまで感動するほどとは感じないが、妙に心地よいなとミヤコは感じた。


 人が安心する音程、リズム、それとも音の揺らぎとでも言う物だろうか、それはとても優しい歌声だった。

 その歌声を聞きにこれだけの人間が集まっているのだ。


「これサクラマチなんですか?」


 時刻は七時半すぎ、まだ太陽の位置は完全には降り切っていないため、空がぼんやりとしたシャーベットオレンジに見え、建物が陰になったような印象を受ける。

 しかしその曲線のテラスを多用した角の無い独特なシルエットは、どうやっても見間違いようのないものだった。


 サツキがミヤコに答える。


「そうそう、サクラマチクマモトの前にある広場。この女の人凄いんだよ。奇跡の歌姫って言われてて、この人の歌を聞くと精神の乱れが落ち着くんだと」


 バスターミナルを併設する商業施設、サクラマチクマモト。

 その前に広がる広場は、夕方に降った突然の大雨でまだ濡れていたが、それでも誰も文句を言わずその場にとどまり歌姫の歌を聞いていた。


 あまり人の顔が写らないように配慮しているようだが、それでもちらちらと映り込む人の顔は、どれも穏やかで楽しげだった。

 精神の乱れが落ち着くと言う評判は嘘ではないのだろう。

 機械越しでもそう聞こえるのだから。


「機械越しでも効くんですね」


 話が聞こえていたからか、シオリが興味深いですねと口を挟む。


「あー、どうなんだろうな? 一応寝つきは良くなるとは聞く」


 誤魔化すようなアセビの返答に、ミヤコはおやと首を傾げる。


「そう言えば普段は南阿蘇を拠点に活動してるんだよね」


 ツツジが歌姫の情報をさらに出せば、シオリはわざわざ熊本市内まで来たのかと驚く。

 電車とバスを乗り継いで二時間以上はかかるはずの場所だ。


「まあお盆も過ぎた日曜だしな。集客イベントするならいい日にちだろ」


 サツキがそんな珍しい事でもないだろうと言う。

 こちらにも何か違和感を感じて、ミヤコはまた首を傾げる。

 そんな首を傾げ続けるミヤコの頭を、アセビが唐突にがしりと両手でつかんだ。


「わあ、どうしたのアセビ兄さん?」


 そのまま何故かアセビの膝の上に倒されて、ミヤコはアセビを見上げて慌てる。


「なあ、ミヤコは大変な思いしてないか?」


 唐突な質問だった。

 スマホからはまだ歌姫の歌が流れている。


 落ち着く歌声に耳を傾けながら、ミヤコは極力穏やかに聞こえるように答える。


「大丈夫、ですよ?」


 本当はちょっと大変だなと思っていた。

 でもそれは自分が望んだことだった。


 発端がどこだったか分からないが、今ミヤコがツカサの仕事の手伝いのような事をやっているのも、シオリを守りたいからとこっそりやっている体力作りも、拾った猫のために薄原の里に行ったのも、地獄の花の事も、夢に巣食う蜂の事も、世界の罅を探すのも、聖女エーデルを助けたいと思っていることも、全部ミヤコが望んでいることだ。


「ここ最近忙しくしてるけど、疲れたりしてない?」


 サツキがミヤコの様子を見て、質問を少しだけ変えて問い直す。


「大丈夫です」


 繰り返された質問に、ミヤコは表情の薄い顔に下手くそな笑みを浮かべて答えた。

 兄と慕う二人を安心させたくてやったはずなのに、唇の端に長すぎる犬歯が引っかかって引きつったように見える、ミヤコ自身がこれは失敗したなと思うような下手くそな作り笑いだ。

 ミヤコは思わず俯いて表情を隠した。


 とたん、アセビがミヤコに覆いかぶさり、ミヤコの頭を抱え込むように抱きしめた。

 ミヤコは思わず身を竦めて固まった。


「お前の大丈夫が兄貴たち並みに信用ならないのが嫌だわ俺」


 くぐもったアセビの声。

 ミヤコは戸惑いながら謝罪する。


「アセビ兄さん……ごめんなさい」


「あやまんなー」


 アセビはミヤコの肩を掴んで起こすと、今度は両腕でぎゅうっと抱きしめた。

 今日の最高気温は三十七度だったはずとミヤコは思い出して、むうっと唇を尖らせながらアセビの背を軽く叩く。


「暑いです」


「うるせークーラー利いてんだろ」


「……本当に、大丈夫なのに」


 安心させることは失敗したが、本当に今は問題が無いようにツカサが気を使ってくれている。

 護衛としての人員もここ数日はずっとついているので、少なくとも、今やっていることに大きな危険は無いのだ。

 ただそれをどう言って納得させればいいのかが分からない。

 助けを求めるように、アセビの背中越しにシオリを見れば、何故かシオリは目を半眼に据えて、じっとりとミヤコたちを睨んでいた。


 何であんなに不機嫌そうなんだろう?


「ミヤコ君って、心配してる方が可哀想になるくらい自分に無頓着だよね」


 ごくごく小さな声でシオリが溢す。


「無頓着だよね」


 ミクがしたり顔で同調する。

 どうやら二人から見ても、今のミヤコの対応は失敗であったようだ。


 自分は何か間違ってしまっただろうかとミヤコは困ったように首を傾げた。

本日の更新もこれだけ。

明日も一回更新です。

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