最終話 視てきた現実と理想の答え
月は流れ、12月24日。
夜の街は、光で溢れていた。
ビルの壁面には星の装飾が瞬き、街路樹には無数の電飾が絡みつく。吐く息は白く、行き交う人々の頬はどこか赤い。笑い声とクリスマスソングが混ざり合い、街全体が浮き足立っている。
その中心の広場。
噴水の前で、実は落ち着きなく立っていた。
何度も時計を見る。意味もなくコートの裾を直す。
(ツグミさん、どういうつもりなんだろう……)
頬がじわりと熱い。
吐いた息が、白く夜気にほどける。
(僕をクリスマスに誘うってっ!!)
喉が乾く。
コートの裾をぎゅっと握りしめる。
(こ、これって……やっぱりそういうことなのかな?)
両手を合わせ、無意識に擦る。
指先がかじかんで、余計に落ち着かない。
(ツグミさんが、僕のこと……?)
耳まで赤くなる。
噴水の水音と、遠くのクリスマスソングがやけに大きく聞こえた。
「み、実くんっ」
はっとして顔を上げる。
心臓が一度、大きく跳ねた。
そこには——
実よりも真っ赤な顔をしたツグミが、もじもじと立っていた。
淡い色のコートに、冬らしいワンピース。髪も少し整えられ、いつもより柔らかい雰囲気を纏っている。
そして、月明かりとイルミネーションを反射する、金でできた義手。
その輝きが、どこか誇らしげだった。
実は目をぎゅっと強く瞑る。
「つ、ツグミさん、めっちゃ可愛いですっ!!」
「か、かわっ!?」
ツグミの肩が跳ねる。
金の義手がかすかに揺れて、街灯の光を弾いた。
「あ、ありがとっ」
視線を地面へ落とし、指先を絡める。
ブーツのつま先で、そっと石畳をこすった。
周囲ではカップルたちの笑い声。
遠くから流れるクリスマスソング。
イルミネーションが瞬き、夜を淡く染めている。
世界が二人を包んでいる。
「い、いきますか……」
実が小さく息を吸う。
「う、うん……」
ぎこちない歩幅で、並んで歩き出す。
肩と肩の距離が、近いようで遠い。
沈黙。
足音だけが並ぶ。
ときどき、袖がかすめ合い、そのたびに二人ともわずかに身を強ばらせた。
「あのっ」
実が意を決したように口を開く。
「え、なにっ!?」
ツグミがびくりと隣を見る。
肩が跳ね、マフラーの端が揺れた。
「その義手、どうですか……? 痛いところないですか?」
実は金の義手を見つめる。
街灯を映して淡く光るそれを、どこか不安そうな目で追った。
「あ、うん大丈夫、バッチリだよ」
ツグミは手をぶんぶん振った。
金の指先が空気を切り、きらりと弧を描く。
「実くんの錬金術って改めて凄いなって、実感してる」
義手をグーパーと動かした。
滑らかな金属音が小さく鳴る。
指の動きは自然で、まるで最初からそこにあったみたいだった。
「い、いやぁ……牧野さんと長い時間かけて作った甲斐がありました」
軽く頭をかく実。
照れ隠しのように視線を逸らし、白い息を吐いた。
「え、牧野さんと作ったの……?」
ツグミの表情が凍る。
さっきまで揺れていた義手の指が、ぴたりと止まった。
「あ、はい。僕、難しいことわかんないので、牧野さんに、色々教えて貰って……」
実はそのまま、言葉を続けた。
その隣で、ツグミの視線がゆっくりと落ちていった。
「あ、そう、なん、だ……」
ツグミの頭の中で、
“牧野さんと”
“長い時間かけて”
が、ぐるぐると反響していた。
◇
それでも。
やがて二人は笑いながら屋台を巡り、紙コップに入った温かいココアを分け合い、イルミネーションのトンネルをくぐる。すれ違う人波に押されて肩が触れ、そのたびにどちらからともなく小さく謝った。
「うわ、これ!! 見てくださいツグミさんっ!!」
実が立ち止まり、ショーウィンドウを指差す。
「あ、可愛い……」
小さな雑貨店の軒先。星型のキーホルダーを手に取り、二人で顔を見合わせた。色違いだと気づき、どちらがどれを持つかで少しだけ迷う。
「写真撮りましょうよっ!!」
「えっちょっ待って髪が!?」
スマホを構える実の横で、ツグミが慌てて前髪を整える。シャッター音が鳴るたびに、微妙にずれた表情が記録されていく。
撮った写真を並んで覗き込み、同時に吹き出した。
人混みに押されて距離が近づき、手が触れる。
一瞬だけ動きが止まり、すぐにどちらかが視線を逸らす。
けれど、次の瞬間にはまた笑っている。
イルミネーションの光が二人の頬を淡く染め、足元には雪を待つ冷たい石畳。
長い時間が、気づかないうちにほどけていった。
◇
やがて、空気の匂いが変わった。
ざわめきの上を、ひやりとした気配が撫でていく。誰かが空を指さし、小さな歓声が上がった。
白いものが、ひとつ。
続いて、もうひとつ。
ゆっくりと、ためらうように落ちてくる。
それは街灯の光を受けて淡く光り、イルミネーションの色を映し込みながら、夜の中で静かに舞った。
やがて確かな形となって、雪が降り始める。
石畳に落ちては溶け、コートの肩に触れては消える。人々の髪やマフラーに、柔らかな白が重なっていく。
「綺麗……」
ツグミが小さく息を吐き、空を見上げる。吐いた白い息と降りる雪が重なり、その視線の先で光が揺れた。
横顔に落ちたひとひらが、まつ毛の上で一瞬だけ留まり、すぐに溶ける。
実は、イルミネーションではなく、ツグミを見ていた。
雪を映した瞳と、わずかに開いた唇。頬に触れた白が消える瞬間まで、目を逸らさずに。
『おまえは……おまえのっ……した──』
『あなたのしたいことをしてっ!!』
『……お前のしたいことはなんだ』
言葉が、鼓動に合わせて脈打った。
握っていた手に、わずかに力がこもる。
指先が冷えているのか、それとも別の理由か、自分でも分からない。
(……僕のしたいこと)
自然と、視線が落ちる。
石畳に散った雪が、光をにじませている。
靴先が、その白をかすかに踏み崩した。
息を吸う。
冷たい空気が喉を通る。
隣の気配が、すぐそこにある。
指先の震えを抑えるように、もう一度だけ手を握り直す。
そして、顔を上げた。
雪が頬に触れても、瞬きひとつせず、まっすぐに。
「ツグミさんっ!!」
「え、なに?」
不意に大きな声を向けられ、ツグミが肩を揺らして振り向いた。
首元で跳ねた短い髪が揺れ、うなじに触れていた雪が静かに溶ける。
その視線の先で、実は一歩だけ踏み出す。
喉が鳴る。
けれど、逸らさない。
実の表情は、真剣だった。
「僕と……付き合ってくださいっ!!」
口から出た言葉は、この世にありふれている、ありきたりでいて、まっすぐな、
普通の告白だった。
言葉は白い息になって、二人の間に立ちのぼる。
ツグミは、手を伸ばし、ぎこちない動きで頭を下げる。指先がわずかに震え、コートの袖に雪が落ちて溶けた。
「……へ?」
一瞬、時間が止まる。
ツグミの瞳が瞬きを忘れたように見開かれた。
「えええええええっ!?」
雪の中に叫びが響き、近くの誰かが驚いて振り向く。
実は体勢をそのままに、ほんの少しだけ顔を上げた。
「だめ、ですかっ?」
声がわずかに震える。それでも、視線だけは逸らさない。雪がまつ毛に触れても、瞬きも忘れたまま。
その必死な姿が、ツグミの視界いっぱいに映る。
「いや、ダメじゃないけど……!!」
両手をぶんぶん振り、ツグミが慌てて否定する。ショートの髪が跳ね、耳まで赤く染まっていた。
「そのっなんていうかっ」
言葉が追いつかず、口だけが空回る。視線は泳ぎ、足先が落ち着きなく石畳を擦った。
「僕はツグミさんのことが好きですっ!!」
実は姿勢を戻し、逃げ場を塞ぐように一歩近づいた。白い息が二人の間で混ざった。
「ええっ!?」
ツグミの顔が一気に赤くなる。頬だけでなく、首元までじわじわと熱が広がっていく。
「ツグミさんは、僕のことどう思ってますか!!」
間を与えないまま問いかけ、そっと手を取った。
雪の冷たさと、手の熱が混ざる。指先が触れ合った瞬間、どちらともなく強く握ってしまう。
ツグミの口がぱくぱく動く。声にならない音が、白い息になってほどける。
「わ、わ、わたし」
呼吸が浅くなる。胸が上下し、視線が揺れる。
「も、みの、るくんのこと好きっ」
「です……」
ぽつりと落ちた言葉は、雪よりも静かで、けれど確かだった。
一瞬、周囲のざわめきが遠のく。
互いの耳に、心臓の音だけが大きく響く。
「よかった……」
実が、堪えきれないように息を吐いた。頬がふわりと染まり、安堵がそのまま笑みになる。
「……あっ」
間の抜けた声とともに、
ツグミ視界がぐらりと揺れた。
小さく呟いた次の瞬間、膝から力が抜ける。
ばたり、と雪の上に倒れ込んだ。
「え、ツグミさん!?」
◇
夜の公園は、静かだった。
冬の空気は澄みきり、吐く息は白く、街灯の光に淡く溶けていく。雪はほとんど解け、ベンチの足元には薄く残るだけ。遠くからは、重機の低い駆動音と人々の掛け声がかすかに届いていた。
「……んっ」
ツグミが小さく声を漏らし、ゆっくりと目を開ける。視界に広がったのは、夜空と街灯の光、そして心配そうに覗き込む実の顔だった。
「よかったあ……心配しましたよ」
実は胸をなで下ろしながら、ほっとしたように微笑む。肩の力が抜けたその表情は、先ほどまでの緊張を物語っていた。
「ご……ごめん、心配かけて」
ツグミは慌てて身体を起こし、照れたように視線を逸らす。頬にはまだ熱が残っている。
「あ……」
ふと、ツグミの視線が遠くへ向いた。
そこには、崩壊した渋家区の街並みが広がっていた。
倒壊した建物の骨組み。ブルーシートに覆われた家々。ライトに照らされながら、黙々と作業を続ける人影。
壊れたはずの街は、確かに息をしていた。
実もその光景に目を向ける。
瓦礫の向こうで揺れる重機の灯りをしばらく追い、やがて肩の力がすっと抜けた。
唇の端が、かすかに上がる。
「……僕のしたいことを、みんながしてくれてる」
その声は静かで、けれど確かな実感を含んでいる。
「ツグミさんやみんなには、感謝してもしきれません」
口から自然と零れたのは、どこか照れくさそうで、それでいて素直な言葉だった。大きくも小さくもない、胸の奥からそのまま出てきたような響き。
「ううん。私達のしたいことでもあるから」
ツグミは小さく首を横に振る。その口元には、わずかに笑みが浮かんでいた。強くも照れたものでもない、静かな微笑み。
そのままその光景を見つめ続ける。
作業灯の白い光が瓦礫を照らし、重機の影がゆっくりと揺れる。
誰かが合図を送り、別の誰かが頷き、崩れた街の上で小さな連携が積み重なっていく。
夜風が二人の間を通り抜け、ツグミの短い髪をかすかに揺らした。
冷えた空気の中で、吐いた息が並んで白くほどける。
「ツグミさん……もうひとつ、したいことをしてもいいですか?」
実がツグミの顔を見つめた。口元にはかすかな笑みが残っているが、瞳だけが静かに揺れている。
「え……な、なに?」
ツグミの胸がまた鳴り始める。
さっきよりも、ゆっくりと、けれど確実に速く。
指先がわずかに強張った。
「目を閉じてほしいです」
「ええっ!? それって──」
言葉の続きを飲み込む。喉がひくりと鳴った。
実は一歩、距離を詰める。
靴底が砂を踏む小さな音。
そっと目を閉じる。
その動作がやけに丁寧で、迷いがない。
ツグミの視界に、実の顔が近づいてくる。
街灯の光が頬を縁取り、長い影が足元で重なった。
距離が縮まる。
互いの吐息が触れ合うほどに。
ツグミの胸がまた鳴り始める。
さっきよりも、ゆっくりと、けれど確実に速く。
耳の奥まで振動が伝わる。
息が荒くなる。
瞳の奥で、実の顔がどんどん大きくなっていく。
ツグミは息を呑み、ぎゅっと目を瞑る。
その瞬間。
──ピロンッ!!
場違いなほど大きなスマホの通知音が、夜の公園に響いた。
実ははっと目を見開き、すぐさま真剣な表情でスマホを取り出す。
「ツグミさん、現想災害です……!!」
暗がりの中で、画面の光が実の顔を白く照らす。
瞳が素早く左右に動き、指が迷いなく画面を滑った。
わずかに息を詰める。
次の瞬間には、もう顔を上げていた。
「う、うん。今すぐ向かおうっ」
ツグミは胸を押さえる。
ほんのわずかに、息を整える。
立ち上がりながら、視線を一瞬だけ実へ向け――すぐに逸らした。
二人は同時にベンチから離れる。
靴底が地面を蹴る音が重なった。
夜風を裂き、同じ方向へ走り出す。
その刹那。
実は背中に、何か押される感触を感じた。
「……え」
数歩進んだところで、実が立ち止まる。足音がひとつだけ遅れ、乾いた音が夜に残った。
振り返る。
ベンチの奥。
月明かりに縁取られた花壇。
白く浮かぶ花びらが、風にわずかに揺れる。
甘い香りが、かすかに届く。
誰もいない。
でも確かにそこに、誰かを感じた。
実は小さく息を吸い込んだ。
胸の奥が、静かに満ちる。
「……いってきます」
吐いた息と一緒に、言葉がほどけた。
口元に残るやわらかな笑み。
そしてツグミの方へ向き直り、今度は迷いなく地面を蹴った。
足音が、再びふたつに揃った。
──この厳しくて残酷な現実で、
僕はしたいことをするって決めた。
そんな僕の向き合い方は、
夢物語な理想論だと思う。
一人で進んでも、絶対に敵わない。
それでも、僕は進んでいく。
だって、
みんなで一緒に進んだら、
夢は叶うと思うから。
みんなで同じ方向を向きさえすれば、
『理想はきっと、現実になると思うから』──




