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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
第3章 兄と約束編

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第51話 二人への宿題と繋がる約束

「ん……」


 薄く消毒液の匂いが漂う部屋で、実はゆっくりと目を開けた。


 白い天井。規則正しく並ぶ蛍光灯。簡易的なパーテーションで区切られた空間の向こうからは、かすかな話し声と足音が聞こえてくる。ここは現災署の特設医務室だった。通常の医療設備に加え、応急処置用の器具が整然と並んでいる。


「あ、起きた?」


 穏やかな声がして、実は視線を横へ向ける。


「護さん……」


 ベッド脇の椅子に、片手に本を持った眼帯姿の護が座っていた。いつも通りの飄々とした雰囲気だが、その目はしっかりと実を見ている。


「ほんとよく寝るね〜君は。丸5日も寝てたんだよ」


 実ははっとして、自分の身体へ視線を落とした。


 上半身には厚く包帯が巻かれ、両腕は特に厳重に固定されている。白いガーゼの隙間から覗く皮膚は赤黒く変色し、火傷の痕が生々しく残っていた。胸部や脚にも固定具があてられ、骨にヒビが入ったことを物語っている。大きな手術を受けた後なのだと、嫌でも理解できた。


 その瞬間、記憶が一気に蘇る。


「ツグミさんは……!!」


 護はわざとらしく、はぁ〜と長いため息をついた。


「……ツグミちゃんはウチで報告書書かせてるよ。今までの同行ぜ〜んぶの」


 実の肩から、目に見えて力が抜ける。


「……よかった」


 胸の奥に溜まっていた重石が、ようやく外れたようだった。強張っていた表情が、心底安堵したものへと変わる。


 その様子を見つめたまま、護は本を閉じた。


「……正直」


 声音が、少しだけ低くなる。


「君のしたことを俺は褒められないよ」


 実は静かに護へ視線を向けた。


「俺も狩野と同じ気持ちだ。あの時、君は命を張ってまで、ツグミちゃんを助けるべきではなかったと思う」


 淡々としているが、誤魔化しのない言葉だった。


「君があの場で死んでいたかもしれないし。もし今、錬金術じゃないと対処できない災害が発生したら、ツグミちゃんを助けたことで、失われる命がある。厳しいようだけど、命を選ばなきゃいけないほど……現実は残酷だ」


 実はゆっくりと視線を落とす。


「……はい」


 短い返事だった。

 実の視線は膝の上に落ちたまま、包帯を巻かれた指先がわずかに強張る。


 護は少し間を置き、続ける。

 閉じた本の角を、親指でとん、と整える。


「……でも、俺の考えを君に押し付けるつもりはない」


 静かな声だった。

 その視線だけが、まっすぐに実を射抜く。


「え」


 実が顔を上げる。

 驚きに、まばたきが一拍遅れる。


「君が後先考えずに動いたおかげで、ゾンビ災害のひよりちゃん、サラマンダー災害の男の子、応声虫災害の家族、亜空間災害の大勢の市民、焔堂に襲われてたOL、そしてツグミちゃん」


 護は指折り数えるように言った。


「この2カ月の間に救われた命は簡単に切り捨てていい数じゃない。……だからさ」


 真っ直ぐに実を見る。

 眼帯の奥の視線は揺れない。


「これから君は、この残酷な現実と君自身がどう向き合うのかを、一生懸命考えるんだ」


 護の声は低く、静かに落ちる。

 指先が、本の背をゆっくりと撫でた。


「後先考えずに動くんじゃなくて、向き合った上で動いてほしい。おっけー?」


 わずかに首を傾ける。

 口元だけが、かすかに緩んだ。


 実は小さく息を吸い込み、うなずいた。


「はい……ありがとうございます」


 護はにっと笑う。

 張り詰めていた空気が、ふっと緩む。


「はいっよろしい」


 椅子を引き、ゆっくりと立ち上がる。

 ベッド脇に小型のゲーム機をそっと置いた。


「んじゃゲーム置いとくから。病人はしっかりと安静にしとくんだぞ〜」


 ひらりと手を振る。

 スーツの裾が揺れ、医務室の扉が静かに閉まった。



 護が廊下に出ると、静かな空気が流れている。


「……護さん」


 護は足を止める。

 前を向くと、ツグミがまっすぐ立っていた。


「実くんのお見舞い?」


「はい、報告書があらかた書けたので……」


 手にした書類の端を、ぎゅっと握りしめている。


 護はふと、先ほどの実の安堵した顔を思い出す。

 一瞬だけ視線を伏せ、すぐに戻した。


「……ツグミちゃん。誰も言わないから俺がはっきりいわせて貰うよ」


 ツグミは真剣な面持ちで護を見る。

 背筋が、さらに伸びる。


「君のしたことは許されることじゃない。正直、人手不足じゃなかったら今すぐクビにしてるよ」


 空気が冷える。

 ツグミの喉が、小さく上下した。


「っ……はい」


 奥歯を噛みしめる。

 指先が白くなるほど、書類を握り込んだ。


「経緯はどうあれ君は同僚を殺そうとしたんだ。しかも内部情報横流し。それがなければ助かってた命もあったかもしれない」


 言葉が静かに落ちる。

 廊下の空調音だけが、やけに響いた。


 ツグミは俯き、強くうなずく。

 長い前髪が影を落とす。


「……はい」


 声は低く、かすれていた。

 握った拳がわずかに震える。


 護はまた、はぁ〜とため息をつく。

 額を軽く掻き、視線を外す。


「でも、それは俺も同じ」


 わずかに肩をすくめる。

 声色が、ほんの少しだけ柔らぐ。


「え」


 ツグミが顔を上げる。

 目が大きく見開かれた。


「実は俺、実くんをなが〜い間疑っててさ。その疑ってた時間があれば、同時災害の被害を抑えられてたかもしれない。実くんにはどうでもいいって言われたけどね」


 軽く笑うが、目は笑っていない。

 視線が廊下の先へと流れる。


 ツグミの唇がわずかに開く。

 けれど声にはならず、指先だけが小さく震えた。


「俺も君を一番許されちゃいけない人に許されてる」


 静かに言い切る。

 その目が、まっすぐにツグミを捉える。


 その言葉に、ツグミの表情が引き締まる。

 背筋がすっと伸びた。


「だから俺達だけは、忘れちゃいけない。自分の過去の責任を。背負った上で生きていくんだ。おっけー?」


 穏やかな声に戻る。

 口元がわずかに緩む。


「……はい、ありがとうございます」


 深く頭を下げる。

 短い白髪がさらりと揺れ、うなじが覗いた。


「よしっじゃあ実くんもう起きてるから」


 護は手を叩き、軽く笑う。

 廊下の空気が少しだけ緩む。


「ごめんなさいしておいで〜」


 ひらりと手を振り、そのまま背を向ける。

 足音がゆっくり遠ざかっていく。


 ツグミはその背中をしばらく見つめた。

 きゅっと結んでいた唇が、ほんのわずかにほどけた。


 やがて医務室の扉を開ける。

 消毒液の匂いが、ふわりと鼻をかすめた。


 ベッドの上でゲーム機をポチポチしていた実が、顔を上げる。

 指の動きが止まった。


「あ、ツグミさん!!」


 ぱっと、花が咲くように明るい表情。

 目尻が一気に下がった。


 ツグミは片手を軽く上げる。

 口元がわずかに緩み、すぐに整えられる。


「実くん……身体大丈夫?」


 ベッドの隣の椅子に腰を下ろす。

 白いパイプ椅子が小さく軋んだ。


「大丈夫ですっしばらくは安静にしてないとダメらしいですけど」


 胸を張ろうとして、わずかに顔をしかめる。

 それでも笑みは崩れない。


「そっ……か」


 視線が包帯へと落ちる。

 指先が、膝の上で静かに重なる。


「ツグミさんは怪我大丈夫なんですか?」


 首をかしげる。

 まっすぐな視線が向けられる。


「私は全然。……実くんが庇ってくれたおかげで」


 一瞬、言葉の間が空く。

 白い短髪が、わずかに揺れた。


「ならよかったです」


 迷いのない声。

 頬がふっと緩む。


 無邪気な笑顔。

 包帯だらけの姿に、不思議と影はない。


 視線が合い、ツグミは思わず目を逸らす。

 白い睫毛が震え、すぐに伏せられる。


 代わりに、包帯だらけの実の身体へ視線が落ちる。


 白と赤黒い痕。


 嫌でも目に入る。


 指先がわずかに強ばる。


「……ごめんなさいっ」


 ツグミはベッドの布団を掴み、深く頭を下げた。

 皺が、きつく寄る。


「実くんを殺そうと、なんども、なんども、ハンマーで叩いた。それなのにっ……君はそんな私を助けてくれて、そのせいでこんな大怪我を……」


 途切れ途切れの声が落ちる。

 白い短髪が額にかかる。


 肩が小さく上下する。


「本当に……ごめんなさいっ」


 布団を握る手に、さらに力がこもる。

 額が沈み込むほど、深く。


「いやいや、そんな気にしないでくださいよ!!」


 実は慌てて身を起こしかける。

 すぐに痛みに顔をしかめ、息を詰まらせた。


「僕も、コツンってやっちゃいましたし……」


 頭をかく。

 視線が少しだけ泳ぐ。


 ツグミは布団をぎゅっと握りしめ、顔を上げた。

 白い短髪がさらりと揺れる。


「私の命はあなたのおかげで助かった。だから、私にできることがあったらなんでもする。これから……ずっと」


 言葉の終わりが、わずかに震える。

 握った拳が、布団を強く引く。


 潤んだ瞳が、真っ直ぐに実を見つめる。

 まばたきもせず、逸らさない。


 実は少し困ったように笑った。

 頬をかすめるように、視線を横へ逃がす。


「……そんな責任負わないでくださいよ」


 そう言って、布団を掴むツグミの手にそっと触れる。

 包帯越しの指先が、白い指に重なる。


 ツグミの肩が小さく跳ねる。

 指先が、ぴくりと震えた。


「私の気が収まらないよ……」


 声がかすれる。

視界が滲み、まつ毛の先が濡れる。


 涙が頬を伝い、布団へ落ちた。


「……じゃあ」


 実はもう一方の手でゲーム機を持ち上げた。

 軽い電子音が鳴る。


「一緒にゴラクエしましょ!!」


 包帯だらけの顔いっぱいに笑みが広がる。

 目尻が、無防備に下がった。


『じゃあ、また今度やりましょう』


 約束。


 胸がぎゅっと締めつけられる。


 胸元を押さえる。

 鼓動が、強く打つ。


「っ……うんっ」


 慌てて涙を拭う。

 そのまま口元を持ち上げる。


 その時、


 重なった手が視界に入った。


 白い指と、包帯の巻かれた指先。


「っあああっ!!」


 一気に顔が赤く染まる。

 弾かれたように手を引っ込めた。


「……ツグミさん?」


 実が首をかしげる。

 まっすぐな視線が向けられる。


 目が、合う。


 白い肌に、不自然なくらい赤みが浮く。


「あっ……その、そうだ!!」


 声が裏返る。

 視線が落ち着きなく揺れる。


 ツグミは勢いよく立ち上がり、背を向ける。

 椅子が大きく鳴った。


「私、今からゲームとってくるからっ!! 約束だったしね、うんっ」


 早口に言い切る。

 白い短髪がばさりと跳ねる。


 逃げるように部屋を飛び出していく。

 扉が勢いよく閉まった。


 実はぽかんとしながら、その背中を見送った。

 ゲーム機を持ったまま、まばたきをして。


 扉の向こう。


 廊下を走る足音が、やけに大きく響く。


 胸元を押さえる。

 鼓動が、速く強く打ちつけていた。


(なんなの……なんなのこれっ)


 息が浅くなる。

 喉の奥が、ひりつく。


 立ち止まり、壁に背を預ける。

 視線が、ゆっくりと自分の手へ落ちる。


 押さえた手のひらは、じんわりと熱を帯びていた。

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