64話 出店出店(でみせしゅってん)6
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ラングは、ナターシャから手渡されたメモを握りしめながら、カイエイン商会の社屋内を歩いていた。
社員寮とは食堂を挟んで向かい合う建物だが、これまで一度も足を踏み入れたことはない。
労働奴隷であるラングたちは全員が運搬部に所属しており、社屋に出入りするのは、かつての副支配人くらいだった。
その副支配人が商会を去ったあとも後任は立てられず、代わりに現場指揮を担っているのがダールだ。
基本的に社員寮と現場の往復だけの毎日。自由に動き回れるわけではないが、立ち入りを禁じられているわけでもない。
今回は商会公認の任務として来ているため、本来なら堂々としていていいはずなのだが――
「やっぱ、初めて踏み込む“禁断の地”って感じだよね……」
ラングは内心のドキドキを抑えきれず、慎重に廊下を進んでいく。
「ナタりんったらこういう大事な時にあてにならんだいんだからさ。
用事があるからってあの後すぐにどこか行っちゃったけど、農地トレーニングやってる暇があったら、こっちを優先してくれれば良かったのに……」
ラングは不平たらたらに文句を言いながら、ナターシャから教わった道順を頼りに目的地を探す。
そして――ようやく、目当ての扉の前にたどり着いた。
「えーと、人事部。ここで間違いないな」
ラングは深呼吸し、気を引き締める。
昨年の出店を担当していたのは、この人事部。
その担当者が、トマスという人物だと聞いている。
昼休憩前のこの時間帯なら、きっと彼もいるはず。
……ただ、「人事部」という響きに、ラングは嫌な記憶を思い出していた。
(とはいえ、ここでビビっても仕方ない)
噂では、あのクレーマーはその後処分を受けたらしい。
さすがに詳細までは知らないが、もし鉢合わせしても別にとって食われるわけってわけでもなし。
「よしっ!」
両手で軽く頬を叩き、気合を入れると――ラングは勢いよく扉を開けた。
「失礼します、出店実行委員会の用件で伺いました!」
明るく声をかけて中に入ると、数人の視線が一斉に向けられた。
ちょうど近くの席の女性が振り向いたので、ラングはそのまま話しかける。
「あの……トマスさんという方、いらっしゃいますか?」
「ええ、いますよ。――トマスさーん、お客様ですー」
女性が声をかけると、奥から立ち上がった人物の顔に、ラングは見覚えがあった。
(えっ……あの人……!)
例のクレーマーの取り巻きの一人だったのだ。
「はい、私がトマスですが」
男が歩み寄り、ラングと目が合った瞬間、その顔に驚きが走る。
「き、君は……! あの時の……ラング少年じゃないか!」
静かな人事部の部屋に大きな声が響き渡る。
思わぬ再会、そして予想外の反応に、ラングも思わず身構えた。
集まる視線、走る緊張感。
あの時の嫌な記憶が、ラングの胸によみがえる。
一方のトマスも、ラングをじっと見つめながら、ぎこちなく体をこわばらせていた――。
そして――
やおら両膝をつくと、額が床に触れるほど深く頭を下げて土下座した。
「……あの時は本当にごめんなさい。どうか僕を……僕たちを許してくれないか」
さらに、その様子を見ていた三人の男性が駆け寄り、同じように土下座しながら必死に許しを請うた。
「俺たちも反省してます! どうか、お許しください!」
「えっ、なんで……どういうこと?」
突然の展開にラングは言葉を失い、しばし呆然と彼らの姿を見つめていた。
ややあって我に返ると、慌てて声をかける。
「や、やめてください! 頭を上げてください! まずは落ち着いて話しましょう!」
周囲から寄せられる好奇の目を逃れるため、とりあえず室外に出た。
ちょうど空き室だった近くの会議室を使わせてもらい、事情を聞いた。
件の事件――食堂で人事課長がラングとホルスに難癖をつけ、それが料理長の怒りを買い、さらには支配人アルマの逆鱗に触れた件は、記憶に新しい。その結果、課長は減給のうえ、部署を異動させられたという。
「降格こそ免れましたが、ほぼ閑職といっていい部署の課長に……。事実上の左遷ですね。ですが、その後も問題を起こし、ついにはこの商会から籍をはく奪されました」
最初に謝罪した男――トマスが、ことの顛末を説明した。
「僕たちは処分こそされませんでしたが、それ以上に重い“社会的制裁”を受けたのです……」
トマスはこの世の終わりのような顔で、言葉を絞り出した。
「それは、カイエイン商会のオアシス――“食堂”に、もう出入りできなくなったんです!」
「えっ、でも処罰されなかったんですよね? なのに、どうして食堂に?」
ラングが不思議そうに尋ねると、別の男性が嘆くように語り出す。
「どうしてって……いたたまれないんだよ。周囲からの冷たい視線、あの時のことを知ってる連中からの無言の圧……。それに、メニューだって俺たちだけ別なんだ」
「みんなが美味しそうな料理を楽しんでる中で、俺たちは以前の味気ないメニュー。スイーツなんて当然出やしない。蛇の生殺しってのは、まさにあの状況だよ!」
さらにもう一人が声を震わせながら続ける。
「元のメニューだって以前はそれなりに美味しいと思って食べてたんです。でも、極上の味を知ってしまったら、もう戻れないんですよ……!」
「ホクホクのイセカイポテト、ふわとろ卵の肉料理、香り高いスパイスの魚料理、そしてあの――奇跡みたいなスイーツ……。あの味を知ってしまったら、もう夢に見るほど恋しくなるんです……!」
最後の一人が、苦しい胸の内を吐き出した。
「だから……お願いだ。いや、お願いします! 俺たち四人を、君たちに協力させてください!」
「償う機会をください。そして、信頼を取り戻す機会をどうか与えてください……!」
ラングは静かに彼らの顔を見渡し、ゆっくりとうなずいた。
「わかりました。悔い改め、償いたいという皆さんの気持ち、ちゃんと受け取りました。ぜひ、力を貸してください」
「ただし、一つだけ条件があります。俺はいい。でも――ホルスさんには、ちゃんと謝ってください」
ラングの言葉に、四人は力強くうなずく。
「もちろんです。僕たちも、ずっと謝りたかったんです。だから――」
「――あの時は、本当にすみませんでした!!」
四人の謝罪の声が、会議室いっぱいに響き渡った。
その後、彼らはホルスにも誠心誠意の謝罪を行い、ホルスは快くそれを受け入れた。
こうしてラングは、前年度の担当部署である人事部から、トマスを含む四人の新たな協力者を得ることとなった。
カイエン商会が代々培ってきたノウハウを熟知する彼らの加入は、その後の活動において、大きな力となっていく。
そして――
彼らの口から、ラングを驚かせる“ある事実”が明かされたのだった。




