9:遭遇
9月の[深満月]の]広場に着いたのは、13月の広場を出て2日後だった。相変わらず、罠なのか怪しい罠とか迷路に悩み、疲れから歩みが遅くなった結果だった。
9月の広場は、眩しい日差しに木々はまばらで草原のような場所だった。中央は少し丘になっており、石畳の小さな広場の中心に噴水がある。広場の周囲には深い緑の木々が日差しを遮るように密集していた。
とろけるような深い黄金色の日差しや見た目は、晩夏の季節そのものなのに、厳しい暑さはなかった。
「……ここは大丈夫そうだ。暑さも無いし、日差しは遮られるしね」
周囲を調べていたエフィルドが戻ってくる。
噴水の小広場に簡易結界を張り、“空間収納”から料理を出した私は、疲労の限界からウトウトしていた。
ここまで来るまでに、まともな睡眠を取れた気がしない。いや、エフィルドよりも寝ているはずなのだが、疲れが取れていないのだろう。
気候も穏やかな9月の広場に辿り着いてから、一気に気が抜けたのか、眠くて仕方がない。
「ラト、眠いなら寝なよ。とっくに限界なんだろう?」
「む~………」
私の懐にラビッターがもぞもぞと入ってくる。そのモフモフ具合が良くて、私はラビッターを抱き締めた。
…………眠い。
眠くて仕方がない。
思考はただ“眠い”しかない。
「おやすみ、ラト」
ぐらぐら揺れる身体を支えてくれたエフィルドの声を最後に私の意識は途切れた。
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意識が浮上する。
私は、簡易のマットの上にラビッターを抱き締めたまま、丸くなって寝ていたようだ。
のろのろと身体を起こせば、節々が痛い。
大きく伸びをすれば、ぼやけた意識がはっきりとした。
どれだけ寝たのかは分からないが、重い感覚もなく、すっきりとした気分だった。
「エド?……エフィルド?」
体を起こしてキョロキョロを見れば、エフィルドの姿はない。ふと、背後に気配を感じた。
私は、警戒もなく振り返った。
簡易結界は、魔物などの敵意を持った存在の侵入を防ぐものだ。そこには“人”も含まれる。
要は結界の外からは、中にいる存在を感じとれない仕組みなのだ。
目の前に見知らぬ男がいた。
「ヒッ………!?」
思わず悲鳴を上げる。
げっそりと痩せた男だ。酷く薄汚れて髪も髭も延び放題になっている。着ている服も薄汚れボロボロだ。まるで浮浪者、いや、浮浪者よりも酷い有り様だ。
背は高い。痩せた身体に長い手足、延び放題の髪と髭の隙間から痩せこけた顔が覗く。切れ長の青い目だけが、炎のように輝いていた。
横にピンと長く尖った耳が伸びている。
………ん?尖った長い耳………?
特徴のある耳を思わず二度見する。
「…………は?………え……ひょっとして、ニルフィン族………?」
ニルフィン族って、髭伸びたっけ?
私は、首を傾げた。
「………いやいやいや………!」
冷静になれ、私。
すらりと痩身で美しい容姿とまっすぐに長く尖った耳を持つ種族が“ニルフィン族”である。
別名“精霊族”。精霊を祖とした種族と言われ、神話にも記される長い歴史を持つ民だ。
繊細な美しさを持ち、高い魔力素質のある調和の民として知られている。深い森に独自の文明文化を築き、外界とあまり関わらない閉鎖的な種族だが、その知識欲ゆえに森から出て世界を旅する者も多かったりする。
神話では、空に属する神々が創り出した至高の種族とされ、プライドが非常に高いことでも知られる。
そのニルフィン族の特徴が、金か銀の髪に虹色の瞳、人間離れした繊細な美しさの容姿に若木を思わせる細い肢体に長い手足、そして、長く尖った耳だ。
ただ、ニルフィン族でも近年ではあまり虹色の目は生まれないらしい。大昔に比べたら血が薄くなっているのだとか。
まぁ、ニルフィン族は自分の研究に没頭する引きこもりか、貪欲な知識欲ゆえに外界に出る放浪癖のどちらか極端らしい。といっても、基本的に個人主義な彼らはあまり人に交わることを好まないらしく、出会えるのは稀だ。
私とて、知識はあるが、会ったことはない。
目の前の男は、耳の特徴から“ニルフィン族”と思われるが、あまりにも薄汚れていた。なんというか、使い古されたボロ雑巾の方がマシに思える。
酷い例えだが、実際、近寄りたくないくらいに酷いのだ。
「……………だ」
ぼそりと、目の前の男が何か言った。
「……妖精族だ……」
「………は?ようせ……い……?」
茫然とした男の口から漏れた言葉は、幸いにして共通語だった。
私は、ほっとする。
ニルフィン族の言葉は部族によっても多少異なる為、習得が非常に難しい。基本は精霊語だが、独特な言い回しや揶揄が多様されているのだ。
「妖精族、ついに、ついに見つけた!」
ぶるぶると全身を震わして、男は叫んだ。私は、その様子にギョッとする。
「この遺跡に迷い込んで幾年月!ようやく、ようやく遭遇した!!うぅ……謎多き古き種族………、僕は、ぼくわぁ………っ!!」
「ち、ちょっと待てっ!?」
目の前で滂沱のごとく、涙を流し叫ぶ男に、私は唖然としたが、すぐに声を上げた。
どうやら男が何か勘違いをしている事に気づいたからだ。
「私は“人族”だ!この遺跡に迷い込んだ探索者だ!」
「…………は、え?………違う?」
男は、きょとんとした。
「………は………妖精族、では、ない………?」
ボタボタと涙を流しながら、男は私を見た。その顔は信じられないとある。
「私の姿が“子供”なのは諸事情から姿を変えられているからだ。元はきちんと大人だ」と、私は自身のギルドカードを取り出して、男に示す。
「で、“妖精族”とはなんだ?聞いたことがない」
「よ、妖精族を知らない、だって……?!」
大袈裟に驚愕する男。
「この遺跡に入ったのに、“妖精族”を知らないなんて信じられない!なんと言うことだ!」
頭を抱えて叫ぶ男。
私はいちいちオーバーリアクションな男にどん引きしながらも、エフィルドの姿が無いことに不安を覚える。
…………どこに行ったんだ?
「ラト?!目が覚めたのか?」
そう思っていたら、エフィルドが噴水の反対側から姿を見せた。なんかこざっぱりして、キラキラ度が若干増している気がする。
私が寝ている間に、噴水か水路で水浴びでもしたんだろうか?
「よく寝ていたから起こさないように離れていたんだ。気分はどうだ?」
起きている私に気づいたエフィルドは、キラキラしい笑顔を浮かべて、こちらに来る。
うん。こうして見ると好青年にしか見えないな。
私はぼんやりと思った。
「ん?誰だ?!」
私のそばに座り込む男を見たエフィルドは、すぐに表情を引き締めた。足早に私に駆け寄り、私を庇うように剣を抜いた。
「何者だ?!」
「……………僕のことですか?」
剣を目の前に突きつけられた男は、きょとんとした様子で、私とエフィルドを見た。
「僕は、ただ幻の妖精族を研究してて、彼らが造った遺跡を見つけて…………あぁ、迷って出られなくなって…………仕方がないから寝ることにしたんですよ。そしたら、人の気配がして目が覚めて、出てきたらあなた方がいたんです………」
何かを思い出すように、時折、遠い目をしながら、男はぼそぼそと話した。
「せっかく“妖精族”と出会えたと思ったのに…………、いやでも、ひょっとして…………」
ブツブツと考え込みながら、独り言を言い始めた男に、エフィルドがあらか様にドン引いた表情をした。
「…………なに、これ?」
そのままの顔で私に振り向く。
いや、素に戻っているから。せっかくの男前が台無しになってるぞ、エフィルド。
私は息を吐いた。
「………エド、大丈夫だ。危害は無い。多分……」
正直、近寄りたくない類だが仕方がない。
この遺跡について何か知っているようだし、遭難者を放置するわけにもいかない。
ニルフィン族は精霊に近い種族らしく、不老に近く長寿だ。人とは違う“眠り”ーー 一種の仮死状態で過ごせば、100年はそのままで生きられるとか。
聞いた話だと、よほどの危機状態でなければやらないらしいが、ひょっとして、目の前の男は、その仮死状態の“眠り”で100年近く過ごしたとかじゃないだろうな?
「でも、なんで“結界内”にいるんだ?普通なら、誰も入って来れないはずじゃ………」
「さぁな……」
確かに、“敵意”がある存在は、簡易結界内に入ることは出来ない。敵意が無くとも、結界に気付く者は稀であり、無意識に結界を避けてしまうはずなのだ。
なのに、男は“結界”を完全に無視している。
……謎だ。
「警戒対象にすべきかな?」
「それ以前に、そこの噴水に放り込むべきか悩むんだが………」
「あ、うん。それは強要すべき案件だな。不審者を連れて行くのは反対だ」
エフィルドが真面目な顔で頷いた。
不審者って…………、いや、不審者か。
まだ、エフィルドは男の耳に気づいていないようだ。まぁ、この汚さだからな。仕方がない。
さて、どうするか?
こちらに全く注目していない男を見て、私は、溜め息を吐いた。
ニルフィン族に会ったのは初めてなのだ。
遺跡から出られなくなったとか言っていた気がするので、話せば一緒に来そうな感じではある。
私はどう声を掛けるべきか悩んだ。
「姿が変わる…………?そうか、魂の素質!彼らが求める“王”の魂に最も近い者!!それが僕の前にいるわけで……こ、これは大発見ですか?!
彼らといれば、ひょっとして妖精姫にも会えるかも…………ヒャッホゥ!!!」
男はなにやらブツブツと呟いていたが、急に興奮し出して叫び声を上げた。伸び放題の髪と髭を振り乱し、目をギラギラさせて叫ぶ姿は異様な迫力と得体の知れなさが増して、かなり怖い。
危機的な怖さではなく、狂気的な怖さだ。
私もエフィルドもおもわず息を呑んで、男を見つめた。
グギュルルルル…………。
異様な音が響いた。
男は、はたと顔を上げる。
「こ、これは…………なんと……っ!」
なにやら、感動したように声を上げる。
「空腹感すら無くなって幾年月、今までちっとも鳴らなかった腹がその音を上げるとはっ……!」
「「その音かっ!?」」
私とエフィルドが同時に叫んだ。
何事かと思ったら、そのオチって……。
そう言えば、私もお腹が空いたな。疲れ過ぎて、寝ることを優先させたから、ご飯を食べていない。
「何かと思ったら………」
エフィルドが溜め息を吐く。
なんか妙に脱力した気分なのは分かる。緊張した空気も一気にま霧散したからな。
「…………おなかすいた………」
男は、マイペースに腹を押さえると、へにょっと情けない顔で呟いた。