#10 アツアツ甲子園! I
話の上では合宿が終わってしまったが時は1学期末、まだ合宿も知らされていない頃にさかのぼる。
編集部の生き残りをかけ無駄にヒートアップした教頭との戦いも勝利を果たし、高校生として初めての"夏休み"というビッグ・バケーションに一女子として私も期待をしていた。
その日何やら学校が騒がしく、また野球部の生徒がいつになくチヤホヤされていたことに、ああ今の流行は野球部なのね、などと理由もわからずに私は無理やり納得していた。とはいえ、その規模が大きいもんだからさすがの私でも気になった。
放課後、教室掃除をしている時に「口じゃなくて手を動かしなさい!」と言われない程度にほうきを動かしながら、友人に聞いてみた。
「野球部がなんか騒がれているけど、何かあったの?」
ごく自然に聞いたのに、相手からはすごく驚かれた。さすがにほうきを落とすところまではいかなかったが、その驚きにこっちも驚く。友人はものすごい勢いで事を知らせてくれた。
「知らないの!? ほら、うちの野球部が甲子園行くの! 本当にリンは時代遅れだなぁ」
知らなかった。さすがの私もそんな自分を流行に鈍感だと思わずにはいられなかった。しかも部活で学園通信を作っている全校の3人のうちの1人として知れ渡っている今、それは確かに恥ずべきことだった。
七麦学園高等学校野球部は元来、普通の高校の野球部と同様に体育科の教員が監督を受け持っていた。
それが4年前に新任の体育教師に変わったわけだが、その新任教師は自分のようなアマが教えてもパフォーマンスにもならないと判断し、予算を少し犠牲にして専門の監督を要請した。それからメキメキと地区大会などで頭角を表すようになり、今年ついにそれが実って甲子園出場までこきつけたわけであった。その監督の腕は名実ともにすごいらしく、野球部員の誰に聞いてもこう答える。
「厳しいけど、すごいいい監督だよ。この実力とペースから言うと5年以内に甲子園で優勝してもおかしくないな」
その後教室のゴミ箱を全校のごみ収集所に持っていく途中、私は考えていた。甲子園出場はなかなか無い機会。これを学園通信で取り上げるのは価値がありそう。それに甲子園の舞台で観戦をする機会も首都圏にいてはそうそう無い。その中で撮る写真も格別だろう。自分と編集部にとってこれだけ利潤の大きい特集企画はないだろう。
そして教室に戻り掃除の反省会を終えて、部室に向かう途中にあることに私は気がついた。たぶんなっちゃんならもうすでにそんなことを知っていて、今日部室に行けば話題は野球一色に違いない……。
的中率99%の予感を胸に部室のドアを開けた。
その通りだった。編集長の机の後方にある小さいテレビにはいつの録画だか分からない野球のビデオがいたって適当に映されており、なっちゃんとゆかりは野球盤で勝負をしている。そして何故か二人ともユニフォームを着ている。予感は的中しただけでなく、実際はその上を軽く越して短絡的だった。
「お、香坂。まずはこれを着ろ。話はそれからだ」
馬鹿じゃないの。なんでユニフォーム着て部活に参加しなきゃいけないのよ! っていうか着なくたって、何でこんなことになっているのか教えることは出来るでしょ。何で着てからなのよ。
「今度うちの学校の野球部が甲子園の高校野球全国大会に出ることになったから、取材の予行演習だ。ん、あー、くそ! 消える魔球かー!」
「へっへー! 油断してるね! 甘いよ!」
なっちゃんもゆかりも何言ってんだか。
でもこんな部室は想定外だったわけではない。教頭からこの部活と部室を生徒の手に取り戻したわが部は、もうすぐ夏休みなのをいいことに備品や設備を使いたいだけ使って好き放題していた。この間なんかゆかりがカキ氷作るやつを持ってきて、カキ氷作ってたんだから。まあ、美味しかったけど……。
そんな学園通信編集部にとって甲子園は果たしていい刺激となるのか。それともただの暇潰し程度にしかならないのか。
8月1〜3日に合宿をし、ようやく夏休みも本番かと思えば高校野球の開幕は7日。帰ってきた次の日の4日には部室に集合してカメラ等の備品の整備をして、出発の準備もしなければならない。何を思っているんだか、うちの家族は過度な期待をしているようだ。
母は、
「甲子園の土持ってきてね」
買わないとダメだから。まあお土産でね。
父は、
「座席一個くらい盗んで来い。ソファーの調子が悪いんだ」
何立派な犯罪を推奨してるのよ。夏のボーナスはどうしたのよ? と聞くと、父はぎょっとして黙りこくった。まったく。
小3の弟は、
「ホームラン打ってきて」
私は野球部じゃない!
家族の馬鹿みたいに大きい宝の期待を背負って私は旅立つのだった。
8月4日午後。私達は部室に集まり、荷物作りを始める。実質的には今日夜行列車に乗るような形である。明後日が開会式となる。
カメラやメモリ、ノートパソコンを積むのはいいが野球盤も詰めているのは何故?
「だって、ほら、甲子園だからさ!」
ゆかりは甲子園をでっかい野球盤だとでも思っているのだろうか。悪いけど、消える魔球などという設備は甲子園には付いてないよ?だいたい本物の試合が見られるんだから不足はないでしょう。
夕方、学校の校庭のそばの野球場で野球部と合流して出発。この近くの交通機関は私鉄が中心なので、一度JRに乗り換えられる近くの駅まで私鉄で行き、それから夜行列車でゆっくりゆっくり甲子園の待つ兵庫県西宮市へと乗り込んでいった。
夜行列車は結構格の高い部屋を取ったようでベッドの付いた個室となっており、これまた贅沢なことに学園編集部室にも1つの部屋が与えられたのである。ありがたい。
夜行列車に乗り込むと、待ってましたとばかりゆかりがトランプを取り出し大富豪を始めるわけだが……最低でも4人いないと盛り上がらないことを実感し、すぐに飽きてやめてしまった。それから晩御飯が来て、食べるとすることが無くなったのかゆかりは眠ってしまった。
「さてどうしたものか……」
こっちもこっちですることが無いなっちゃんはノートパソコンを開き、インターネットにつないでいる。私も横からのぞく。なっちゃんは高校野球のトーナメント表を見ていた。すると、なっちゃんは横にいた私に顔を向けて聞いてきた。
「何回戦まで勝つと思う?」
うーん、行って2回戦じゃない? いくらなんでも準決勝は……。
「決定。じゃあ俺は準決勝までに賭けるから、負けたら500円な」
えっ、聞いてないよ。
甲子園を賭博場とするのは野球部の方々に大変申し訳ないが、楽しみが一つ増えたのは事実。それからも少し会話を楽しんでから、やがて私達も床に就いた。




