04:才能なし、だったはずなのだが
奴隷商から連れ帰った少女は――完全に死にかけていた。
衰弱。
謎の高熱。
栄養失調。
素人目に見ても危険な状態だと分かる。
「いや、本当に死にそうじゃん……」
安宿のベッドに横たわる少女を見て、俺は頭を抱えた。
正直、ここまで状態が悪いとは思わなかった。
でも、貴族の服を着ていたおかげで、
宿の主人が「訳ありの貴族のお坊ちゃんか」と勝手に勘違いしてくれたらしく、
すんなり部屋を借りられたのだけが救いだった。
***
だがここへ連れてくるまで、現実の甘さをこれでもかと叩きつけられた。
最初はいつもの医者を呼んでもらおうとした。
実家に頼れば、
「不衛生な奴隷など疫病の元だ」と父親に追い返された。
街の医者へ行けば、
「御当主様から『あいつは破門したからもう関わるな』と御触れがあったもので」と先手を打たれていた。
薬屋へ駆け込めば、
「本人を連れてこい」と門前払いされた。
「こんな状態で、動かせるわけないだろ!」
コネも、専門知識もない。
俺はこのまま何もできないっていうのか?
ちくしょう……ちくしょう……
***
いや、待て。
正確には一つだけできることがあった。
魔法だ。
俺にも一応使える魔法がある。
才能のない俺でも使える『回復魔法』レベル1だ。
もっとも。
才能がある奴なら一瞬で発動する魔法を、俺は3分近い詠唱をしなければ発動できない。
しかも効果は雀の涙だ。
だから、事前に『バフ魔法』も使わないといけない。
「……やらないよりはマシか」
そして必死に記憶を掘り起こす。
「ええっと……大いなる大地の……」
長い。
とにかく長い。
だから、途中で噛む。何度も噛む。
ようやく詠唱を終えると、俺の身体が頼りない緑色の光に包まれた。
ぽわり。
本当にそれだけだった。
「ショボ……」
思わず口に出てしまった。
だが、俺にできることはこれしかない。
「……よし、次は回復魔法をやるか」
俺は少女の手を握り回復魔法の詠唱を始めた。
――ただそれだけを、必死に繰り返した。
それから、地獄のような日々が始まった。
***
変化に気づいたのは、翌日の夜だった。
宿のボロ部屋は真っ暗になる。
だが、なぜか少女は横たわったまま、ほのかにずっと白銀色に光り続けていた。
「……よくわからんけど、蝋燭代が浮いて明かりの代わりになるからいいな」
なんて、最初はそんな軽口を心の中で叩く余裕もあった。
だけど、一日、また一日と時間が過ぎていくにつれて、
強くなったり弱くなったりするその光がまるで、
彼女の命の灯火のカウントダウンのように見えてきて、だんだん怖くなってきた。
魔力が尽きたら休む。
回復したらまた使う。
ベッドで眠る少女が呼吸するたびに安心する。
静かになるたびに不安になる。
仮眠から目覚めて最初に確認するのは少女の生死だった。
相変わらず少女の高熱は続いている。
「頼むから死なないでくれよ……」
気付けば毎日そう呟いていた。
『あと一日だけ頑張れ』
『もう少しだ』
『絶対治る』
そんな言葉も何度口にしたか分からない。
***
丸三日、ろくに寝ずに魔法をかけ続けた四日目の朝、
次第に魔力回復の待ち時間になると、俺は部屋を飛び出すようになった。
理由は簡単だ。
現実逃避である。
万病を治せるヒーラーはいないのか。
回復特化の奴隷はいないのか。
そんな都合のいい存在を探して、奴隷商をうろつく。
当然見つからない。
見つかるわけがない。
それでも動いていないと落ち着かなかった。
――まあ、これが現実だよな。
異世界転生したからって、何もかも都合よくいくわけがないんだ。
そう思ったことも何度も何度もあった。
***
だが、おかしなことはそれだけじゃなかった。
俺の回復魔法はレベル1のはずだ。
普通なら気休め程度の効果しかない。
衰弱して動けない少女に、
俺の食事の余りを少しだけ与えていたとはいえ、だ。
まだ、少女は生きていた。
病が悪化もしないが、峠を越えたようにも見えない。
確かに死なないでいてくれと毎日願ってはいたが……なんで生きているんだ?
***
そんな現実逃避を交えた看病生活が、一週間を過ぎようとしていたある朝。
俺はいつも通りバフ魔法をかけ終え、
本命の回復魔法の詠唱を始めようとしていた。
「よかったな。今日でよくなるからな~」
今日も日課となった、
自分を奮い立たせるための気休めを呟きながら、少女の額に触れた。
その時だった。
「……ん?」
違和感を覚える。
少女から発せられている、
いつもは夜しか感じられない白銀色の光が、見えた気がした。
「気のせいか?」
疲れのせいだと思いながらも、俺は祈るように詠唱を続ける。
「大いなる慈悲の――」
少女の手を取り、
回復魔法が発動した瞬間だった。
眩い光が、部屋全体を埋め尽くした。
「うおっ!?」
目が開けられない。
それは夕日のような力強くて暖かい、黄金に輝く光だった。
魔法が失敗したのか?
それとも近所で事故があった?
何が起きたのか分からない。
数秒後、ようやく光が収まり、恐る恐る目を開けると――俺は固まった。
ベッドの上で、少女が起き上がっていたのだ。
「……ふわぁ」
眠そうに欠伸をしている。
呼吸も正常に見える。額を触るが熱もない。
泥だらけだが、その隙間から覗く肌は健康的なピンク色だった。
数日前まで死にかけていた人間には、とても見えない。
「……え?」
理解が追いつかない。
俺の回復魔法がこんな効果を持つことは絶対にない。
そんなことは俺自身が一番よく知っている。
――だとしたら、あの夜に見た強くなろうとしていった白銀の光は、
命の灯火なんかじゃなく……彼女自身の何かが目覚めた光だったのか……?
呆然としていると、少女がこちらを見た。
潤んだ瞳がみるみる輝き始める。
「……助けていただき、ありがとうございます。神様」
少女は満面の笑みを浮かべた。
鈴のような綺麗な声だった。
だが、即座に否定した。
「いや違う。俺は神じゃない」
「神様です」
「違う」
「神様です」
「話を聞け」
なぜか断言された。
少女は感極まったように胸の前で両手を組む。
「暗い世界の中で、ずっと綺麗な黄金の光と一緒に、
神様の優しい声が聞こえていました」
「声?」
「あと一日だけ頑張れ、と」
俺は固まった。
「絶対治る、と」
嫌な予感がする。
「もう少しだ、と」
「冷たい私に、温かい光を注ぎながら、
ずっとずっと、そう声をかけ続けてくれました」
あ……これ。
全部俺だ。看病中の独り言だ。
「だから分かったんです」
少女は涙を浮かべながら微笑む。
「私を救ってくれた神様だって」
「違うんだけどなあ……」
俺は天井を見上げた。
どうやら。
とんでもなく面倒な勘違いが始まったらしい。




