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習うより慣れろと人は言う

2週間を2か月に直したら大体期日通り!

 物置、という割には物が少ない部屋であった。奥にバカでかい箪笥が一つ窓を半分遮る形で鎮座している。隅には箒が何本か木桶に刺さった状態で立てかけられており、そばに鍋やらタライやらが何個か重なっていた。


 中央では大きな長方形のテーブルが部屋の大部分を占有しており、その一辺、丁度扉と向かい合う場所に秋葉楓が椅子に踏ん反り返っている。


 俺はテーブルの上に料理を置くと、秋葉楓の右斜め前に座った。その正面に少女が座る。

 全員が着席するのを見ると、秋葉楓は料理に伸ばしかけた手を止めた。節操のない奴め。


「んんっ。それじゃあ、どうぞごゆっくり」


 俺と少女を交互に見て、気味の悪い笑顔を一つ浮かべると秋葉楓はそう言った。

 当然、俺と少女はすっとぼけた顔になる。話が通じない相手に何をごゆっくりすると言うのだろうか。そんな俺の内心を知ってか知らずか、まあ知らないだろうが、少女が何か秋葉楓に囁いた。


「――」

「――」


 俺が言葉を理解できないという時点で、囁く意味を失ってはいるのだが、そこは気分の問題なのだろう。あるいは、少女自身はまだその事実に気づいていないのかもしれない。


 二言、三言少女と言葉を交わした秋葉楓はこちらを振り向いた。


「話してなかったかしら?」

「何一つ」

「そう。それじゃあ説明するわね」


 咳払いを一つ挟んで秋葉楓は言う。


「習うより慣れろよ」


 いや、無理だろう。そう言いかけて、辞めた。とりあえず話を聞いてからでも反論するのは遅くない。そも、反論する意味もないかもしれない。すでに「習うより慣れろ」は秋葉楓の既定路線なのだろう。いくら俺が反論したところで、奴のことだ、一度決めたことを変えそうにもない。そんな奴だ。よく知らないが。


「珍しいわね。あんたなら「無理だ」とか言いそうだと思ったんだけど――」


 お前がそれを言うか。


「――まあ、いいわ。コウサクには現地人で日本語の分からないレナちゃんとこれから勉強してもらいます」


 まあ、そうだろうな。この状況は。


「ちなみに、私はここで朝御飯を食べてるから。どうしても分からないことがあったら大いに遠慮したうえで、なお聞きたいなら聞きなさい」


 なるほど。質問に答える気はないと。


「あとは……そうね。コウサクには特別にこれをあげるわ」


 そう言った秋葉楓の手には、どこから出したのか、先日大河内が見せてくれた教科書が握られていた。


「あんた、高校生よね?」

「ん?まあ……」

「「まあ」って何よ。はっきりしないわね。中学校の英語くらい分かるでしょ?」


 分かるだろうか。中学生の時の英語の授業を思い出そうと斜め上を見上げて、諦めた。いちいちどんな授業だったかなど覚えていやしない。覚えていること言えば、教団に立っていたのがうだつの上がらない白髪の男性教諭であることと、たまにやけにグラマラスな白人女性が授業に来ていたことくらいだ。その二人が不釣り合いなようで、どこかお似合いであったせいでよく覚えている。そのことを保夫に話したら、鼻で笑われたことも一因かもしれない。


 とりあえず、俺は頷いておいた。高校に入ってから特に英語に苦戦した覚えがないから、まあ大丈夫だろう。


「それなら大丈夫ね。こっちの世界の言葉の文法とかは基本的に英語と似通ってるから。英語ができるなら会話ぐらい問題なくできるようになるわ」


 らしくない。秋葉楓らしくない。そう思ってしまった俺は少なくとも秋葉楓に対して良いイメージは抱いていなかったのだろう。


 しかし、今目の前にいる秋葉楓はどうだろうか。言葉こそトゲが見え隠れするものの、言っていることに大きな間違いはない。ついでに言えば理不尽もない。

英語を話せるようになりたいなら英語圏の国に行け。とはよく言ったものだが、秋葉楓の言う「習うより慣れろ」とは正にそのことだろう。だからこそ、こうして少女との勉強の機会までセッティングしたのだ。 

 案外、ほんの少しだが、秋葉楓という奴は面倒見のいい奴なのかもしれない。


「あ、授業料は出世払いでいいから」


 ……まあ、なんだ。今日は暑いな。うん。暑さで頭がどうかしたんだろうな。俺は。


「いくらなんですか?」


 とりあえず聞いておく。そうでもしないと、無制限の借金を背負うのと同じになってしまう。


「そうね……貸し一つでいいわよ」

「できれば、貸しではなくて明確な金額を教えてほしいんですが」

「え?嫌に決まってるじゃない。それだと吹っ掛けられないでしょ?」


 吹っ掛ける気満々である。

 俺は溜め息をつくと頷いた。もうどうしようもない。この女には俺のどんな言葉も通じることはないのだろう。であるならば、そこに込められた意図など通じようはずがない。違う言葉を話す目の前の少女の方が、まだ話が通じる気がした。


「分かりました。分かりましたよ。どうぞご自由に吹っ掛けてください」


 投げやりにそう言うと、秋葉楓は心中的を射たとばかりにニヤリと笑った。


「それじゃ、遠慮なく吹っ掛けさせてもらうわね」


 もうどうにでもなりやがれ。苛立ち交じりに教科書を開いて机に叩きつけると、俺はもう何も話すまいとそっぽを向いた。そんな様子に目の前に座る少女は狼狽えるばかりだが、今の俺に彼女を気遣う心の余裕などありやしない。大人げないと言われようが、子供っぽいと言われようが、はたまた男らしくないと言われようが、そんなことを言い出したら秋葉楓の方が真にそうではないか。だとするなら、俺のこのやり切れなさも多少は擁護されてしかるべきだろう。それが相対的にだとしてもだ。


 そんな風に俺が俺の態度を弁護していると、秋葉楓が少女に一言二言話しかけた。何を言っているかは相変わらず分からないが、ロクでもないことに違いない。二、三言葉を交わすと、後は役目を終えたとばかりに先端が三又に分かれた木製のスプーンを口に銜えて両手を合わせた。


「いただきます」


 秋葉楓は日本語でそう言うとテーブルに広げられた皿を手に取り、流し込むように掻き込み始めた。

 おうおう。食え喰え。勝手に食いやがれ、コノヤロウ。そのまま膨れた腹を擦った拍子に後ろに倒れて死んじまえ、バカヤロウ。


 やさぐれた気分で秋葉楓を罵る。一言、二言、三言。頭の中で罵倒を増やすたびに心の中のささくれだったものが消えていくように感じた。


 「ヘイヘイ、また一歩デブに近づいたぜ」だとか、「おっ、食うね、食うね。目指せ!バスト一〇〇センチ!」だとか、「一まわーり、二まわーり、太りたがーり」だとか。

 散々口汚く声を出さずに罵っていたら、そんな俺の様子に業を煮やしたのか、目の前に座る少女が声をかけてきた。


「――」


 まあ、何度も言うが、俺には彼女が何を言っているのか分からない。たぶん、「あのー」や「そのー」なんて言葉で声をかけてきているんだろうが、それだってあくまで推測の域を出ないわけで。そして、それは相手にしても同じだろうことは疑う余地もない。あるいは、秋葉楓が何か仕込んでるんじゃないだろうかと声をかけてみるのも、案外いい手なのかもしれない。


「太るよな?」


 秋葉楓を指さしながら聞いてみた。


 するとどうだろうか。少し眉尻を下げて困ったような顔を浮かべると、次には笑顔を浮かべたのだ。

 さすがだ。言葉なんか分からなくたって言いたいことは伝わる。身振り手振りでも、あるいは気合でも、

思いを相手に伝えることは可能なのだ。


 そんな世界の神秘に思いを馳せていると、秋葉楓がこちらを睨んできた。


「こら、ちゃんと勉強しなさいよ。それに太らないわよ。私、そういう体質だから」


 まあ、ごもっとも。いくら身振り手振りでも思いが伝わるとはいえ、それは不便というものだ。不便を不便としてそれを漫然と享受する趣味は、俺にはない。

 そう思って、俺は教科書を開いてみた。たぶん、こちらの文字なのだろう。ミミズがのたくった様な字が連なり、その下に日本語が書かれていた。


 私はミケである。


 そうなのか。お前はミケなのか。文章の下に描かれたアンバランスな女の子の絵が、そう言われるとやけにミケという名前が似合うような気がしてきて、俺は思わず笑ってしまった。


「こら、何一人で完結しちゃってるのよ。てか、笑い方気持ち悪い」


 口の端から食べ物のカスを飛ばしながら、先が三又に分かれたスプーンを俺に向けて秋葉楓が言ってくる。

 気持ち悪いは余計だ。余計だが、勉強を教えてもらうのにその相手を無視するかのように放置するのはいただけない。


 秋葉楓は、飯がそんなに美味いのか、スプーンを彷徨わせながらすでに料理へと目移りしている。


 しかし、どう勉強すればいいのだろうか。言葉が通じない相手との勉強の仕方なんて。

 ふと少女のほうに目を向けると、受動的でいることを決め込んでいるのか知らないが、膝の上で手を組んで、じっとこちらに微笑んでいる。


 俺は再び教科書に目を戻して考えた。どうすればいい。どうしようもない。そう、どうしようもないのだ。俺に他国の言語を一から覚えようとした経験など一度もない。強いて言うなら英語くらいだが、まあノーカウントだろう。とりあえず、当たって砕けるしかないか。

 俺は少女に見えるように教科書の一ページ目を開き、最初の一文「私はミケである」を指さした。

 読んではくれないだろうか。その俺の思いはどうやら通じたらしい。


「――」


 いや、まあ、分からないのだが。だが、発音だけは分かった。ワンモアプリーズ。俺は少女に向かって指を一本立てた。


 あ、この仕草は相手に伝わるのだろうか。もしかしたら、指一本立てることが、相手に対する侮辱になったりするのかもしれない。

 しかし、どうやらその身振りはこちらの世界でも同じなようで、少女は先ほどともう一度同じ言葉を発した。たぶんだが。


「――」


 なるほど。こんな感じだろうか。


「――」


 俺が少女の言葉を真似て発音すると、少女の笑顔が膨らんだ。どうやら間違ってはいないらしい。

 見ると秋葉楓は口に物を加えながら拍手をしていた。発音ができたくらいで大げさな。


 しかし、今のどこにミケがいるのだろうか。


 文章を読んでもらって、発音を真似るのは案外いい考えかもしれないと思ったんだが、それだと単語の意味が分からない。文字だけ見たところで、どこかで区切られているわけでもなく、やはりミケなどどこにも見当たらない。


 さて、どうするべきだろうか。

 とりあえず、俺は次の一文を指さした。


 ディス・イズ・スプーン。


 おい、こら。とりあえず教科書にツッコミを入れる。しかし、これは好都合かもしれない。俺は指さしながらそれを少女に見せた。


「――」


 なるほど。じゃあ、これはどうだろうか。

 俺は秋葉楓が脇に置いたスプーンを手に取ってそれを指さした。


「―」


 なるほど。スプーンはそう発音するのか。つまり……。

 パズルのようにして文章と単語をバラすことができればあるいはと思ったが、これは案外いい手なのかもしれない。


 しかし、問題もある。この部屋だけだと単語が限られてくる。

 俺は教科書のページをめくり、この部屋で使えそうな単語を探す。


 椅子を指さして尋ねる。


「――」


 次は鍋。


「――」


 その次は箒。


「――」


 そして箪笥。


「――」


 どうしてそんな文章があるのだろうかと思えるものまであったが、生憎とどうしてこんな物まで、と思えるようなものがなかったおかげでそれに触れることもなく、遅々として進まないものの、時間だけは着実に歩みを進めていた。


 窓から差し込む日が傾き、部屋を照らす明かりが徐々に赤へと変わっていく。


 部屋の中を歩き回って、使えそうな単語がないか探していると、食べ終わってすぐ鼾をかき始めた秋葉楓が目を覚ました。

 音を立てて椅子から立ち上がると、両手を天に掲げて、叫ぶ。


「飯だー!」


 食っただろうに、とは言わない。相変わらず残念な女だと思うだけに留めておく。しかし、少女が気を利かせて鉛筆のようなものを持ってきてくれて助かった。それのおかげで、教科書の余白に単語と意味を書き込むことができたのだ。


「飯だー!」


 再び秋葉楓が叫ぶ。

 秋葉楓に同調するのは癪だが、そういえば、腹が減っていることもないこともない。それは少女も同じなようで、可愛らしいお腹の音が鳴った。


「――」


 少女が顔を赤らめて何事か呟いた。やはりなんと言ったかは分からないが。


「さあ、飯よ来い!」


 来ねえよ。


 俺は教科書を閉じると体を解すように伸びをした。単語を探し回るのに必死で、大して座っていなかったせいか、解れるほど筋肉は硬直していなかったが。


「――」

「――」


 秋葉楓と少女が会話をすると、頷いた少女が走って部屋を飛び出していった。

 なんだろうか。秋葉楓に目を向けると、秋葉楓が皿を集めていた手を止めてこっちを見た。


「これは?」

「スポーン」

「スプーン」

「スプーン?」

「汚い発音ね」


 うるせえ。


「まあ、いいわ。食べに行くわよ。持ちなさい」


 集めた皿を俺に押し付けると、秋葉楓が部屋を出ていく。


「どこで食べるんですか」

「下に決まってるじゃない。ここは宿屋よ。客に飯を出さない宿屋があると思う?」


 素泊まりとか、ないこともないだろうが、反論するだけ無駄だろう。俺は黙って皿を抱えると、秋葉楓の後をついて下へと降りて行った。

どうも、盛大に遅れまくってすんません。

そして次もだいぶ先になるんですんません。

読んでくれてすんません。

というか、次更新するときは一定程度書き貯めてからにするつもりっす。

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