6?・《や ら な い か》
話の流れにはほとんど関係のないほのぼの短編。
二人が学校から出た後、喫茶店に入った事だけ把握すれば飛ばしても問題無いエピソードかもしれない。
純喫茶《漢》。
葦原高校から程近い喫茶店に腰を落ち着けるなり、末藤が口を開いた。
「やらないか」
「喫煙ないよ。って言うか、ソレってヨーグルト味の奴だよね」
「冗談だよ。冗談」
溜息をつきながら首を振る櫻井。
末藤は笑いながら、差し出したヨーグルトスティックをポケットに突っ込んだ。
周囲に客はほとんどいない。
時刻は午後三時前。お茶会に勤しむ主婦たちは家事の為に解散し、会社員が来るには早すぎる時間。
高校からは近いが、普通の生徒はコーヒー一杯に四百円以上取られてしまう店には来ない。ほとんどは駅前のファーストフード店に集まっている。
つまりこの喫茶店は、静かな状況で話し合うにはうってつけの場所だった。
末藤にはどうしても言いたい事があった。
お門違いなのは分かっている。櫻井は何も間違っていないと分かっている。
それでも、口にしなければ気が済まなかった。
「なぁ、櫻井。何で――」
末藤が口を開いた瞬間、目の前を男の手が遮る。
差し出されたのは、並々と注がれた氷水。腕はウェイターのものだった。
「ご注文はお決まりですか?」
「アイスコーヒーを」
「砂糖とミルクは?」
「ブラックで。末藤君は?」
「え? 俺も同じので。あ、砂糖とミルクはたっぷり」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
一礼と共にウェイターが去る。気勢が削がれ、奇妙な沈黙が二人の間に流れる。
櫻井は、彼の言いたい事は分かっているようだった。分かっていて、待っているように見えた。
深く息を吸い、グラスの水を一気にあおる。きんとした冷たさが喉を走り、気が引き締まる。
気を取り直し、末藤が再び口を開く。
「何であの時――」
「お待たせいたしました。アイスコーヒーお二つですね」
良く通る、低い男性の声が末藤を遮る。先ほどのウェイターだった。
――空気読め。
口には出さず、内心呟く。
給仕を終えたウェイターが奥に引っ込むのを確認し、再び息を吸い込む。
櫻井は、出されたばかりのコーヒーを口にしながら、末藤をじっと見つめていた。
どうしてこの男は《あのような事》をしたのか。
どうして、自分の気持ちを汲んでくれなかったのか。
「何であの時、お前は――」
「お水のおかわり、お持ちしました」
「……あー。あざーっす」
――ひょっとしてわざとやってるのか!?
思わず呻き、頭を抱えてしまう。
このままでは一向に話が進まない。もしこれがドラマだったら、間違いなく視聴者は飽きてチャンネルを変えている。
末藤が頭を垂れ、深く嘆息していると、彼の耳に押し殺した笑い声が届いた。
笑い声は櫻井のものだった。
「くくっ。と、とりあえず、飲まない? 話はその後でいいんじゃないかな」
「笑うな馬鹿。こっちは真面目な話を……って、そうだな。クソッ。何かアホらしくなってきた」
「今はまだ興奮してるしね。美味しいコーヒーを飲めば少しは気分も落ち着くよ」
「美味いのか?」
「この店は当たりだね。苦味より深みが出てる。香りも強い。ただ苦いだけのアイスコーヒーを出す店が多い中、これは凄いよ。淹れ方を聞きたいくらい」
普段よりやけに明るく、饒舌な櫻井。余程気に入ったらしい。
試しに末藤も口にしてみるが、甘苦い液体としか思えなかった。とてもじゃないが四百円も取られるのは信じられない。
「コーヒー好きなのか?」
「自分で豆を引く程度には」
「ふぅん。俺には分かんねぇな。ジュースにすればよかった」
率直な感想を述べながら、焦茶色の液体に口をつける。
やはり、甘苦いと言う感想しか沸かない。
それでも、末藤は自分の心が落ち着いていくのを確かに感じていた。