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8・二人分の《どうして》

 ■七月十八日


 《どうして》


 間黒修光の頭の中は、たった一つの単語に支配されていた。

 どうして自分が。どうしてこんな事が起こった。どうして私はこんな所にいる。どうして――


 堂々巡りする思考の円環(ループ)から逃れる事はできない。

 当然だ。彼は何も知らないのだから。

 どうして間黒が。どうして覚えのない容疑で手錠をかけられ。どうして警察署にいるのか。


 ほんの数日前まで順調に進んでいた筈だ。

 進学率に影響を及ぼす生徒を排除し、もう一人の邪魔物も潰す事ができたはずなのだ。

 教師は慈善事業では無い。今の少子化の時代、実績は何よりも優先される。

 目の前の不出来な生徒を減らす事で、未来の優秀な生徒を増やす。当然の考えだ。

 異分子がいなくなれば教員が些事に関わる時間が減る。その時間を偏差値上昇の手段に充てればさらに実績は伸びる。


 おかしくなったのは一週間ほど前。《ウィルス騒ぎ》からだった。

 しかし、なぜそれが自身の逮捕に繋がったのか。

 彼には、全く理解できなかった。


 恨みを買いすぎた報いかもしれないとは思う訳が無い。

 彼は常に正しいからだ。彼の思う事、行う事は全て正しく、間違いなどあり得ないからだ。


 故に、彼は堂々としていた。平然としていた。自分を逮捕した警察を見下していた。

 それが、何よりも大きな間違いだとも気付かずに。




 ■七月五日(間黒修光逮捕の二週間ほど前)


 テスト翌日。金曜日の昼休み。

 耳の痛くなるような喧騒が周囲を覆い尽くす中、太陽は廊下を一人歩いていた。

 思考の海に沈む彼の耳には、どんな音も届いていないように見える。


 太陽は戸惑っていたのだ。自身の感情に、そして行動に。

 どうして自分は無用なトラブルに首を突っ込むような真似をしてしまったのか。

 最初はただの気まぐれだと思っていた。末藤に付き添って職員室に行く程度、大したことでは無い。


 そう思っていた。


 しかし、現実はどうだろうか。

 昨日の話だ。学校の職員室で末藤が間黒に殴りかかった時、止めるどころか、庇いだてまでしていた。

 それどころか、さらにその後「協力する」とまで口に出していたのだ。


 どうして、こんな事を。

 他人は不要だ。誰も無償で助けてくれる事などない。幼い頃体で学んだはずだ。

 情はまやかしだ。義務や責任の言い替え、言葉遊びでしか無い。


――ダチなら下の名前で呼ぶだろ。


 末藤の声が頭に響く。

 どうして、末藤は他人に純粋な好意や敵意を向けることができるのだろう。

 

 期末テスト前の昼休み、紗耶香と笑顔で談笑していた光景が目に浮かぶ。

 どうして、彼らは他人であるにもかかわらず心からの笑顔を向けあえるのだろう。


 そして。


 どうして、あの二人を見ていると自分の胸が熱くなり、痛みさえ覚えるのだろうか。


 どうして、どうして。頭の中が一つの単語で一杯になる。


「……!」

 煮え切らない苛立ちが限界を迎えようとした時、ふと太陽の意識が現実に引き戻された。 

《ターゲット》を見つけたのだ。頭を切り替えなければならない。

 衝動とは言え、一度約束してしまった事だ。当然、守るつもりでいた。


 間黒修光を《潰す》約束を。

 

「あ、先生。ちょっと良いですか?」

 目の前には、常に人を見下した最低の男。 

 廊下で見つけられたのは僥倖だった。職員室まで行く手間が省けたからだ。それに、通りすがりの人間ばかりの廊下ならば、他人に話を聞かれる心配もほとんど無い。

 本当は二人きりの時間を狙いたかったが、今回は時間が無い。チャンスを狙う暇は無かった。

 夏休みまでに始末をつけなければ、例え紗耶香が戻って来たとしても補習などによる挽回が効かないと考えたからだ。

「櫻井か。何だ」

 不審そうな面構えで間黒が返答する。

 近づくと魚の腐ったような不快な臭いが鼻をついた。一瞬、顔をしかめそうになるが集中し、平静を保つ。

「現代文の追試の事で少し聞きたいんですけど」

「追試? 櫻井には無関係のはずだが。まさか」

 太陽の知りたい情報は、《いつ》《誰が》追試を作成するか。

 それさえ聞きだす事が出来れば、そして全てが太陽の予想通りの答えならば計画を現実に移すことが可能になる。


 しかし、間黒は太陽の質問には答えなかった。


「末藤の差し金か?」

「それこそまさかですよ。彼は赤点は取ってないはずだって威張ってましたし」

「ふんっ。ここは進学校だぞ? 赤点を取っていないごときで。あのクズが」

 顔を歪め、鼻を鳴らす間黒。潰れた吹き出物だらけの醜い顔が、さらに醜くなる。

 クズ、と言う単語に太陽の胸が痛むが、どうにか自制する。


「で、何故追試の事など?」

「先生って仕事に興味があるんですよ。追試なんていつ作るのかなって。まだ一学期だし、赤点者が出ない可能性もある訳じゃないですか。それに、一年で現代文を教えてるのって間黒先生だけじゃないですよね。どの先生がどう言う基準で選ばれるのかなって」

 もっともらしい理由。矛盾は無い。しかも同じ職業を目指しているのならば、目も甘くなるだろうと思ってのことだった。

 しかし、何を不審に思っているのか、間黒は答える事を渋った。

 濁った両の眼が太陽をねめつける。


「まさか貴様。何か良からぬ事を考えてるんじゃないだろうな?」

 生臭い息を吐きだし、間黒の顔が近付く。

「例えば、落伍者にテスト問題を売りつける、とかな」


――馬鹿にするな。

 蔑みの言葉で、太陽の頭に血が昇っていくのを感じた。

 反論の言葉を必死に飲みこむ。


「……それは、僕が親と金の無い生徒だからですか?」

 思わず声に怒りがこもる太陽。

「親が無い? 忘れたのか。お前の親はいないのではなく《逃げた》のだろう? だがな、私は忘れてないぞ。貴様がクズをかばった事をな」

《親》と言う言葉に太陽のこめかみが引きつる。末藤のように後先考えず掴みかかる事はしないが、殺意さえ抱く胸の内を隠すのは最大の自制心を必要とした。

 間黒が言ったのは、殴りかかった末藤を止めた事だろう。どうやら、末藤は余程この男に嫌われているらしい。

 だからと言って問答無用で太陽も敵扱いと言うのはどうかしているとしか思えなかった。


「そうですか。だったら他の先生に聞くだけです。失礼します」

 嘘だ。

 間黒以外の人間に聞くわけにはいかない。

 生徒はともかく、大人達に対しては一片の疑いさえも抱かれる訳にはいかないのだ。

 断られれば、他の手段を選ばなければならない。


 よりリスキーで、より成功率の低い手段を。

 どう言う訳か、既に太陽の頭の中には「そこまでする事は無い」と言う考えは一切存在しなかった。


「大人に対する口のきき方を知らんのか。生意気さだけなら一人前だな。まぁいい。興味があるのなら教えてやる」

 下手に出る太陽に対して、言いたい放題の間黒。どうしてたかだか日常会話をするだけでここまで悪態を突かれなければならないのだろうか。

 常に自分が上に立ち、支配する立場でなければ我慢がならない間黒の心の醜さは、いっそ一貫性すら感じる。


「追試日の直前に私が自宅でやっつける。本気で問題を作ったりはしないさ。駄目生徒に叩きつけるだけだからな。問題集をパソコンで切り張りしてそれで終わりだ。盗みようなどあり得ない。まだ考えてすらいないのだからな」

「十分です。ありがとうございました」

 十分。そう、十分だった。そして、最高だった。


《間黒自身》が《自宅》で《パソコンを使って》テストを作る。

 自己主張の激しい間黒ならば当然と言える。最近はセキュリティの問題で自宅作業を禁止されている所ばかりだろうに、妙なところで仕事熱心な事だ。

 だからこそ、自分たちにとっては好都合だった。


 最高の答えを胸に太陽が間黒に背を向ける。


――さぁ、パーティの始まりだ。


 見る者がいれば、寒気さえ感じさせてしまいそうな凄絶な微笑みを浮かべ、彼は携帯電話を取り出した。


《計画》を実行に移す為に。


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