9・《馬鹿なの? ねぇ、お兄って馬鹿なの?》
「明日、部室に集合だから」
本棚から溢れ出た書籍類で足場のない部屋に入るなり、太陽は唐突に宣言した。
「明日? 急だね」
パソコンに向かって一心不乱にキーボードを叩いていた年子の妹が振り返り、不思議そうな声を出す。
キーボード脇には本が開かれていた。コンピュータ関連の技術書のようで、どうやら勉強をしていたらしい。そう言えば、彼女は夏休み中に取りたい資格があると言っていた。
両親と言う後ろ盾が無い彼らが生きて行くためには、知識や技術を身につける他無いのだ。
「ごめん。だけど、急がなくちゃいけないんだ」
急がなくてはならない理由。紗耶香が期末テストを受けていないからだ。
このままでは例え戻ってきても留年の可能性さえありうる。
夏休み中に補習なり追試なりを受けて挽回するためには、学期中に《始末する》必要があった。
「それで、どうしたの?」
「間黒を、消す」
「分かった」
会話はそれだけだった。それだけで十分だった。
一言で彼女は太陽の目的を理解した事だろう。
二人の間に理由や動機は必要無い。目的の為に、お互いが全力でサポートし合う。
ギャング少年の抗争に巻き込まれた時も、高校受験の時も、そして《あの時》も。
今までもそうやってきたし、これからも変わる事は無い。
「私は何をすればいいの?」
月花がパソコンを落とし、本を閉じる。
「こんなプログラムって、組める?」
太陽が月花の元に歩み寄る。彼は薄いファイルを脇に抱えていた。書かれているのは、太陽の立案した《計画》だ。
計画そのものは難しくない。テレビで見た事件や、インターネット上での常識、そして月花の部屋にある胡散臭い雑誌を知っていれば理解できるものだ。
ただし、実行するとなると話が変わってくる。
「……」
ベッドに座った太陽にわき目も振らず計画書を黙読する月花。凄まじいスピードで眼球が動き、息をする事さえも忘れているようだった。
やがて、軽い音を立てファイルが閉じられた。
「結論から言えば可能。だけど、どうして?」
「どうしてって?」
「お兄。プログラムは作るだけじゃ意味無いよ、実行しなきゃ。これだとただの置物だよ? 馬鹿なの? ねぇ、お兄って馬鹿なの?」
月花の疑問は当然と言えた。
「もしかしてアホなの? どうしようもないアホなの?」
太陽が依頼した物は、いわゆるウィルスだ。
起動させた瞬間、不利益を与えるアプリケーションや《ある有名なコンピュータウィルス》をばら撒く。
アプリケーションやウィルスはあり物を使うので、月花の苦労は少ないは「馬鹿でもアホでも無ければ反逆的無知? 反逆はクローンナンバーが増えるよ?」
「ってうるさいよ。考えてるってば」
クローンナンバーについては意味が分からなかったので無視する事にする。彼女がよく分からない事を言うのは日常なので、気にしては負けだ。
「月花が言う通り、《このプログラム》は、実行しなければ意味が無いよ。だけど、間黒本人に渡しただけじゃ実行しないだろうし、実行した所でOSの警告メッセージが出て普通は踏みとどまる」
強制的に実行するには、それこそウィルスと一緒に混入するか、ハッキングするしかないだろう。
しかし、月花にコンピュータウィルスを作成する技術はない。
「じゃあ、不正アクセス?」
「無い無い。もし、警察が介入した場合に証拠を残さない自信ってある?」
「分からないけど、無理だと思う」
当然の答え。一介の高校生が本気を出した警察に敵う訳が無い。今回の件でハッキングなど愚の骨頂と言える。
「でも、それじゃあどうするの?」
「簡単だよ。家に忍び込んで、自宅のパソコンに走らせればいい」
太陽が人差し指を立て、笑みを作る。
「それだったら一人、適任がいるしね」
太陽の言葉で、月花が息を飲んだ。どうやら彼の真意に気付いたようだ。
同時に、妹の顔に浮かんだのは不満と嫌悪の表情。
「お兄がやれって言うなら、やる。けど、一つ聞いて良い?」
口を尖らせたままの月花に、太陽が無言で頷く。
「お兄は、この前の《ともだち》の為に動いてるの?」
月花の問いが、太陽の胸に痛みを走らせた。
初めてのことだった。妹が、兄の行動理由を聞く事など。
今まで、二人の間に疑問も理由も必要が無かった。やると言ったらやる。どんな事でも無条件で協力する。
おかしいだとか歪んでいるだとか思った事は無い。彼らは幼い頃からそうやって生きてきたし、これからも変わらないと思っていた。
「友達、か」
以前、月花に「末藤たちは友達か」と聞かれた時は、答える事が出来ずに否定した。
しかし、今は。
「分からないけど、そうかもしれない。面白い奴らだよ。今度、月花にも紹介するよ」
「……うん」
友達。
たった二文字の単語がどうして顔に熱を持たせるのだろうか。
妹に、真っ赤になった顔を見られないようにするため彼はベッドから立ち上がった。
「おやすみ。また明日」
「うん。おやすみ」
そっとドアを閉め、深呼吸。
下準備は整った。明日は《実行犯》に計画を説明しなければならない。
目を閉じ、《実行犯》を思い浮かべる。
ふわふわのロングヘアーに、常に笑顔の穏やかそうな表情。
人を穏やかな気持ちにさせる外見と、おっとりとした喋り方の二つ年上の女性。
そして、彼女の外面に反した《ヒトゴロシ》のあだ名。
高嶺千晶。
彼女は、今回の計画において最も重要なカギを握っていた。




