7・《ダチなら下の名前で呼ぶだろ?》
「どうして、そこまでして」
あまりの迫力に押され、末藤の口から絞り出すような声が出る。
櫻井は彼とは違う。
間黒を敵視する理由が無い。敵対するメリットも無い。
教師受けも良い優等生である櫻井は間黒に目を付けられる要素も無いはずだ。
なのに、何故。不可解な出来事に末藤の頭が混乱する。
「理由なんて無いよ。好きだとかムカつくとかに理由は無い、だよね?」
「好きだとか、って。まさかお前、村松さんの事を!?」
「どうしてそっちになるのさ……」
「じ、じゃあまさか俺の事が!?」
「そっちでも無いからっ。間黒だよ、僕はアイツを許せない。それだけ」
それだけ、と言う単語に僅かな迷いが混じっていたが、今の末藤には汲み取る事はできなかった。
ただ、自分の話を馬鹿にせず聞いてもらえたことが、真っ向から受け止めて貰えた事が嬉しかった。
「お前って、変な奴だな」
「そうかな?」
「そうだよ。んで、《太陽》。お前、何をするつもりなんだ?」
「何って、え?」
突然下の名前で呼ばれたせいか、初めて太陽の声に戸惑いが浮かぶ。
「友達なら下の名前で呼ぶだろ。俺らの間じゃジョーシキな」
「そうなの?」
「そうだよ。だから、お前も俺の事ゴウって呼んでくれよ」
心からの笑顔を櫻井に向ける。それが末藤が櫻井に見せれる、精いっぱいの誠意だった。
「とにかく、末ど――ゴウ君にやってもらいたい事は一つ」
下の名前で呼ぶ経験があまりないのだろう。どこかたどたどしい口調で櫻井が《計画》を話し始める。
「学校中から間黒の悪評を集めて、文章化して欲しい。出来れば匿名じゃなくて、名前付きで」
櫻井の言った事はそれほど難しい事では無い。
末藤は学校内外に友人知人は多い。交友関係全てを動員すれば、それほど時間をかけずに集めることができるだろう。
しかも、校内の人間には間黒に恨みや不満を持つ生徒も多い。難航するとは思えなかった。
「それで、どうするんだ?」
「ばら撒く。近所、学区内、教育委員会、区長、インターネット、PTA、市民団体問わず。だから情報は噂ではなく、事実が欲しい。いじめを受けた生徒。学校に来なくなった生徒、できるだけ詳細で客観的な事実が欲しいんだ」
「お前、もしかして」
「相手が権力を使うなら、僕たちは数の暴力を使う」
末藤には一瞬で想像がついた。ここ最近ニュースで見かける《事件群》を思い出したからだ。
インターネットで飲酒や喫煙、無免許運転を軽く漏らした人間が周囲から袋叩きにされ社会的地位を失う。
ある大学生は退学処分、ある会社員は懲戒免職。
人間は、無関係な相手にはどれだけでも残酷になれる。櫻井は、その無関係な人間の圧力を利用しようとしているのだ。
声が大きくなれば学校側で問題にせざるを得ない。だが、末藤には一つ疑問があった。
「けど、今まで間黒は処分を受けた事が無いらしいぜ? 今回もそうなるんじゃないのか?」
「それこそ思うつぼだよ。誰も納得はしないさ。抗議の電話で学校の回線はパンクするんじゃないのかな? 世の中には暇な人が多いから。知ってる? 例の震災の瓦礫受け入れに抗議している人たちって、かなりの割合で関係無い県外の人間が含まれてるんだよ」
不安要素を伝える末藤に、問題無いとばかりに櫻井が返答する。
「マジかよ。意味分かんねぇなソレ」
初耳だった。そして、どこかぞっとする話だった。
どこかにいる面識のない人間の、後ろ暗い非生産的な情熱を垣間見た気がしたからだ。
それでも、今の末藤には興奮の方が勝っていた。
「でも、確かにそうすれば間黒は少なくとも学校にはいられなくなる。そしたら、村松サンも! スゲェよ太陽、お前、スゲェ」
「その程度で済ますつもりはないけどね」
身を乗り出す末藤。そして、小さく呟く櫻井。不穏な彼の言葉は今の末藤の頭には届いていなかった。
「全ては末藤君の働き次第だよ。任せて、いいかな?」
「任せろって! 知り合い総動員してガッツリ集めてやるよ」
末藤の気分は今までになく高揚していた。今の自分たちには不可能など無いように思えた。
間黒の暴挙に対抗する術を持たなかった彼が、ようやく手にした《手段》だった。
自分たちの力で間黒を追いこみ、紗耶香を取り戻す。
また、三人で――できれば、たまには紗耶香と二人きりで昼食を取ることができる。
夢のようだった。しかし、夢ではない。手に届く現実になろうとしているのだ。
しかし――
事態は末藤の予想だにしない方向に動いた。
あまりにも、不可思議で、不可解で、理不尽で、目を疑う事態。
数週間後――
夏休み直前。間黒修光は――逮捕された。
それも、全く脈絡のない《児童売春・ポルノ禁止法、公然陳列目的所持》容疑で。
――あの男、殺さないの?
――その程度で済ますつもりはないけどね。
朝のニュースを見た瞬間、末藤の頭をよぎったのは、高嶺と櫻井の言葉だった。




