第一話 ハズレ馬券と神様
「終わった……」
神崎恒一、三十八歳。
独身。
会社員。
趣味は競馬。
そして今財布の中には千円札が一枚だけ残っていた。
目の前の大型モニターには、ついさっき終わったGⅠレースの結果が映し出されている。
一着。
二着。
三着。
どれも買い目に入れていた馬だった。
問題は順番。
たったそれだけだった。
恒一はスマホの投票履歴を見返す。
当然だが結果は変わらない。
外れ。
ただの外れ馬券だった。
恒一
「なんでその順番なんだよ……。一着も二着も三着も買ってただろ俺」
「そこまで当てておいて外れるの意味分かんねぇよ……」
それだけで人生最高額の払い戻しだった。
だが現実は無情である。
恒一
「今月どうすっかな……」
ため息を吐きながら競馬場を後にする。
六月の夕方。
空は薄曇り。
人混みの中を歩く足取りは重かった。
その時だった。
競馬場の外れにある古びたベンチ。
そこに一人の老人が座っていた。
ボロボロの帽子にくたびれたジャケット。
競馬新聞を広げながら缶コーヒーを飲んでいる。
どう見ても競馬好き。
そしてどう見ても負け組だった。
老人は恒一を見るなり笑った。
老人
「お前さんも負けたのか?」
恒一
「まぁ、いつもの事です。今日もあと少しだったんですけどね。競馬って毎回あと少しなんですよ」
老人
「ほう。いくら負けた?」
恒一
「聞きます?」
老人
「聞こう」
恒一
「五万です…」
老人
「ほほう」
老人は感心したように頷いた。
そして。
何でもない事のように言った。
老人
「ワシは三千年間負け続けておる」
恒一
「……はい?」
老人
「三千年じゃ」
恒一
「病院行きます?」
老人
「失礼なやつだな」
老人はケラケラ笑った。
どこか不思議な笑い方だった。
老人
「なあ若造。負けると分かっていても競馬場へ来る。馬券が外れれば落ち込む」
「それでも来週になればまた買う。お前さんは何故競馬を続ける?」
突然の質問だった。
恒一は少し考えてから答えた。
恒一
「好きだからですかね。もちろん当たれば嬉しいですよ。でも俺、予想してる時が一番楽しいんです」
老人
「ほう」
恒一
「血統見たり、馬場見たり、展開考えたり」
「あの馬来るんじゃないかとか、この騎手ならあるかもとか。レース始まる前が一番ワクワクするんですよ」
老人はしばらく黙った後小さく笑った。
老人
「なるほどな」
その瞬間だった。
風が吹くと周囲の音が消えた。
人の声。
車の音。
足音。
何も聞こえない。
異様な静寂。
恒一
「……?」
恒一が顔を上げる。
そして。
固まった。
老人の姿が変わっていた。
ボロボロの服は消え。
純白の衣に金色の髪。
背後には光の輪。
どう見ても人間ではない。
恒一
「……は?」
老人
「驚いておるな」
老人は笑った。
老人
「ワシは神じゃ」
恒一
「神?」
老人
「正確には勝負と夢を司る神じゃな。人間達からは様々な名で呼ばれておる」
恒一は数秒固まる。
そして。
恒一
「酔ってるのかな俺?」
神
「現実逃避するでないわ」
額を小突かれた。
普通に痛かった。
恒一
「痛っ!?」
神
「当たり前じゃ。幻覚なら痛くない」
恒一
「理屈は分かるんですけど納得はできません」
神は楽しそうに笑った。
神
「お前を気に入った」
恒一
「いや急ですね」
神
「最近の人間は勝つ事しか考えん。当たるか外れるか。儲かるか損するか。そんな事ばかりじゃ」
恒一
「まぁ、そういう人も多いですね」
神
「だが、お前は違った」
神は満足そうに頷く。
神
「お前は勝負そのものを楽しんでおった。結果だけでなく、そこへ至る過程を楽しんでおった。だから選んだ」
恒一は嫌な予感を覚えた。
ものすごく嫌な予感だった。
恒一
「……選んだって何をです?」
神は満面の笑みで答えた。
神
「異世界転移じゃ」
恒一
「嫌です」
即答だった。
神は固まった。
神
「待て待て待て。普通そこは驚くところじゃろう。異世界!?とか転移!?とかあるじゃろう?」
恒一
「いや、明日仕事なんで」
神
「そこか!?」
恒一
「家賃もありますし、来週ボーナスなんですよ。今死ぬのはタイミング悪すぎません?」
神
「俗物過ぎるじゃろお前!!」
その時だった。
背後から悲鳴が聞こえた。
「危ない!!」
恒一は反射的に振り返る。
暴走したトラック。
横断歩道。
そして立ち尽くす小さな女の子。
考えるより先に身体が動いた。
恒一は駆け出す。
女の子を突き飛ばす。
強烈な衝撃。
空が回る。
意識が遠のく。
最後に見えたのは。
呆れた顔をした神だった。
神
「まったく……」
神
「そういう所じゃよ」
気が付くと。
恒一は見知らぬ草原に寝転がっていた。
青い空。
広大な平原。
遠くに見える巨大な城。
そして。
空を横切る巨大な影。
恒一
「……ドラゴン?」
全長二十メートルはある黒い竜が悠然と飛んでいた。
口から火を吐きながら。
恒一
「マジかよ……」
頭上から声が降ってくる。
神
「おい、若造。聞こえとるか?」
雲の上から手を振っていた。
神
「ようこそ。異世界アルディアへ」
恒一
「本当に来ちゃったよ……」
神はニヤリと笑う。
神
「早速じゃが、お主に異世界転移特典を用意してある」
恒一の目の前に光る文字が現れた。
【神眼を獲得しました】
【魔獣使いを獲得しました】
【竜主適性SSSを確認】
恒一
「竜主?」
神
「この世界最大の娯楽は競竜じゃ。お前の世界でいう競馬みたいなものじゃな」
恒一
「嫌な予感しかしないんだが」
神
「そして毎年、神級競走《竜王祭》が開催される」
恒一
「名前からしてヤバそうだな」
神
「優勝賞金は国家予算級じゃ」
恒一
「規模がデカすぎるだろ……」
神は楽しそうに笑った。
神
「最強の竜主になってみんか?」
恒一は空を見上げた。
巨大な竜達が空を舞っている。
競馬好きの血が騒ぐ。
勝負。
夢。
ロマン。
それらが全部詰まっている気がした。
恒一
「……面白そうじゃないか」
神
「よし」
神は満足そうに頷いた。
そして。
神
「まずは金を稼げ」
恒一
「そこは現実的なんだな……」
神
「金が無ければ竜も買えんからの」
こうして。
後に【竜王】と呼ばれる男の物語が始まった。
――第一話 終――
一部内容を修正しました。




