表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ジェネシス・オブ・アイランドー天神七代記ー視えない私の神攻略  作者: 梵天丸(ぼんてんまる)
第壱ノ世界 コモリク 未だ天地開闢は起こらず

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/46

終わりと始まり

 サクヤから「俺たちGOIのヒーローだよ!本当に行かないの?」と国之常立神撃破、そして新世界の誕生を盛大に祝うイベントに誘われたが、私は丁重に断った。

 

 サクヤと別れ、安らぎの灯火でログアウト、と呟いた瞬間、全てが消えた。

 エコーロケーションが消えた。

 緑色の線が描いていた世界の輪郭が、跡形もなく消えた。

 

 残ったのは、いつもの暗闇だけだった。

 

 ――

 

 ヘッドギアを外す。

 部屋の空気が、頬に触れた。

 夏の夜の、少しだけ湿った空気。

 私はしばらく、ベッドの上で動けなかった。

 

 天井を見上げても、そこには何もない。

 光もない。輪郭もない。ただ、深くて均一な暗闇だけがある。

 

 八歳の頃から、ずっとそうだった。

 でも今夜は、その暗闇が以前と違って感じられた。

 

 重くない。

 これまで、暗闇はいつも重かった。息が詰まるような、出口のない重さがあった。

 でも今夜の暗闇は、ただそこにあるだけだ。

 

 私はゆっくりと身を起こし、窓を開けた。

 鈴虫の声が、一気に近くなった。

 

 リンリンリン。リンリンリン。

 

 こんなにも、鮮明に聞こえていたんだ。

 夜の空気を、深く吸い込む。

 

 草の匂い。土の匂い。どこか遠くで咲いている金木犀の、かすかな香り。

 足の裏が、床の木目の感触を拾い上げている。

 体重をかけるたびに、板が微かに軋む音がする。

 目が見えなくても、こんなにも世界は満ちている。

 

 音に。匂いに。温度に。


 (……ずっと、あったんだ。全部)

 

 私はただ、目を向けていなかっただけだ。

 見えないことを言い訳に、感じることから逃げていた。

 部屋に閉じこもって、外の世界を遠ざけて、暗闇の中で縮こまっていた。

 

 でも今夜の私には分かる。

 あの最果ての秘境で、何も見えないまま戦い続けた私には分かる。

 

 暗闇は、敵じゃない。

 暗闇の中にも、世界はちゃんとある。

 感じようとすれば、届いてくる。


 (……逃げてたのは、世界じゃなくて、私だった)

 

 私は考えるより先に、部屋を飛び出していた。

 階段を駆け降りる。


 広い廊下を抜け、玄関をガラッと開く。


 祖母のいる離れへと足を運ぶ。

 

 「おばあちゃん」

 

 離れの扉を叩き、中にいるであろう祖母へ声をかける。

 数秒の沈黙ののち、祖母の凛とした声が届いた。

 

 「……なんだい」

 「稽古を、つけてほしいんです」

 

 今度は先ほどよりも長い沈黙だった。


 「……何を言うかと思えば、そんなことできるわけないだろう」

 

 離れの中で、足音が遠ざかるのがわかった。

 

 「お願いします」

 

 足音が止まる。


 「目が見えない者に、稽古などできるわけがないだろう」

 「見えなくても、やれます」

 「できるはずがない」

 「できます」

 

 自分でもびっくりしていた。

 こんなにも大きな声が出ることに。

 

 「おばあちゃん。私ね、ゲームの中で、ずっと薙刀を振ってたんです。何も見えないまま。暗闇の中で、何十体もの敵と戦って、世界で誰も倒せなかった神様を倒したんです」

 

 祖母は何も言わない。


 「おばあちゃんに叩き込んでもらった型が、ずっと体の中にあった。目が見えなくなってからも、型の練習だけは続けた。それで戦えた」

 

 まだ沈黙が続く。


 「だから、もう一度だけ。現実で、おばあちゃんの前で振りたいんです。一度だけでいいから」

 

 地球が、静まり返った。

 そんな気がした。

 

 やがて、衣擦れの音がした。


 「……明日の朝、五時に道場へ来なさい」

 

 足音が遠ざかっていった。

 私はその場に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。

 

 ――

 

 翌朝、踏み慣れた道場に私は立っていた。

 袴の帯を自分で結んだ。


 久しぶりで上手くできなかったけど、なんとか形にはなった。

 

 足の裏に伝わる、板張りの冷たい感触。

 古い木材の匂いが混ざり合っている。

 

 薙刀を両手に持つ。

 ゲームの中とは違う。


 現実の薙刀は、ずっと軽い。頼りないくらいに軽い。

 重みも、重心も、全てが違う。

 

 エコーロケーションはない。

 システムの補助もない。

 警告音も、HPバーも、ダメージエフェクトも、何もない。

 

 だけど、それ以外がある。

 視力以外の全てが私にはある。


 「……時間通りだ。始めようか」

 

 祖母の声がした。

 道場の向こう側。

 おそらく五メートルほど離れた場所に立っている。

 その気配が、空気の密度として伝わってくる。


 「はい」

 「手加減はしない」

 「いりません」

 

 短い沈黙。

 

 「構えなさい」

 

 私は中段に構えた。

 空気が動いた。

 

 ――来る!

 

 足音が正面から届く。

 板張りを踏む、微かな振動が足の裏から伝わってくる。

 

 右から。上段。

 体が動いた。

 左へ半身を開き、薙刀の柄で受け流す。

 

 カン、と乾いた音が道場に響いた。

 

 祖母の動きが止まった。

 一瞬だけ。

 

 でもその静寂に、私には確かに祖母の驚きが感じ取れた。

 すぐに次が来た。

 今度は左から、横薙ぎ。

 

 それを再び柄で受ける。

 そのまま右足を踏み込み、祖母の側面へ薙刀を当てる。

 

 寸止め。

 

 道場が、静かになった。

 祖母の呼吸だけが聞こえた。


 「……次だ」

 

 低い声が、静寂を割った。


 今度は速い。連続の打ち込み。上、右、左、下。

 

 避ける。受け流す。潜る。踏み込む。

 全部は捌けない。肩を打たれた。脇腹を打たれた。

 

 痛い。

 現実の痛みは、ゲームとは違う鈍い重さがある。


 祖母は手を緩めない。

 視力のない孫にも一切の手を抜かない。

 その精神力が強くもあり、哀しくもあった。

 

「っ!」

 

 足がもつれた。

 膝が板張りに落ちる。

 薙刀が、手からこぼれた。

 コロン、と薙刀が転がる音が道場に響いた。

 

 静寂。

 

 私は膝をついたまま、荒い息をついた。

 両腕が震えている。脚が笑っている。

 

 床に落ちた薙刀を手探りで拾い上げ、私はゆっくりと立ち上がった。

 

 「おばあちゃん、私ね。ずっと逃げてたんだと思う。見えないことを理由にして、外に出るのも、人と関わるのも、おばあちゃんと向き合うのも、全部避けてきた」

 

 私は続けた。


 「でも、もう逃げたくない。見えない私のまま、ここに立ちたい。おばあちゃんの前で、ちゃんと薙刀を振りたい」

 

 道場が、しんと静まり返った。

 鈴虫の声も聞こえない。風も吹かない。

 

 祖母の息遣いだけが、すぐそばにある。

 

 やがて。

 

 大きくて硬い手が、私の頭にそっと置かれた。

 ゴツゴツとした、鍛錬の証の手のひら。

 

 何も言わない。言葉は、何もない。

 ただ、その手の重みだけが、私の頭に静かにあった。

 

 私は、うつむいた。

 視力を失ってから、枯れてしまったと思っていた涙が、頬を伝った。

 

 道場の板張りに、小さな染みが落ちた。

 しばらく、二人とも動かなかった。

 

 朝の光が、窓から差し込んでいる気配がする。見えないけれど、分かる。温かい朝だと。

 やがて、祖母の手が静かに離れた。

 衣擦れの音。祖母が少し離れた気配がした。


 「もう一度、構えなさい」

 

 祖母の声は、相変わらず低く重厚だった。

 でも、その奥に。

 これまで一度も聞いたことのない何かが、ほんのわずかに滲んでいた気がした。

 

 私は涙を拭い、薙刀を構えた。

 震える手で。濡れた頬で。

 それでも、真っ直ぐに。

 口元に、笑みが浮かんでいた。

 自分でもそう分かるほど、自然に。

 

 視力を失ってから、初めて。

 暗闇の中で、祖母の前で、私は笑っていた。


 「……おばあちゃん」

 「なんだい」

 「薙刀って、やっぱり楽しいね」

 

 道場が静かになった。

 長い、長い沈黙。

 やがて、低く重厚な声が、ほんのわずかに揺れた。


 「……そうだね」

 

 朝の光の中で、薙刀を構えた私に向かって、祖母がゆっくりと踏み込んでくる。

 

 来る。

 私は動いた。

 見えない目で。

 暗闇の中で。

 笑いながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ