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この世界に転生して五ヶ月が経った。
「そろそろりにゅうしょくにかえるじきかな?」
「あら?難しい言葉知ってるわね?まあ、あんただからそれほど驚きもしないけど。
・・・・・・そうね。うちのヨシュアも先月から離乳食に変えたし、そろそろいいかもしれないわ。」
俺がこんな発言をしたのはどうにも最近母乳では物足りなく感じることが多くなってきたからだ。
今までは普通の食事を見てもそれほど食欲が刺激されなかったが、最近はそういうものが食べたくなることが増えた。
子育ての経験がないので細かいことはわからないが、母乳から普通の食事になるまでの間に離乳食というのがあることぐらいは知っていたのでマリアさんに訊ねてみたのだ。
マリアさんとこのヨシュア君は俺よりひと月ほど早く生まれている。
ヨシュア君の成長過程をなぞっていけばおおよそ普通の赤ちゃんの成長になるだろうと考えているので、時期としてはやはりいい頃合いなのかもしれない。まあ、食事はともかく運動は他の赤ちゃんの比じゃないくらいにやるけどな。
その運動に関しては二週間ほど前にヨシュア君が腹這いで移動し始めたと聞いて俺もギルド内を動き回り始めた。
ギルドの床に清掃魔法をかけてきれいにした状態で動き回る。
着ている服は初日と同じくフォレストベアの産衣。これがなかなか頑丈でいい。
ちょこちょこ踏まれたり蹴飛ばされたりするが、全身に防御フィールドを張っているのでダメージは一切ない。
なんでわざわざギルド内でこんなはた迷惑なことをしているかと言えば、ギルドマスターがそうしろと言ったからだ。
俺がついうっかりギルド内でハイハイの訓練すればいい運動になりそうだと呟いてしまったのが事の発端だ。
ギルドはそれなりに広いので混雑時でも這って動き回るぐらいの余裕はある。
なので避けながら這い回れば結構な訓練になるのではないかと思ったわけだ。
そんな俺のための訓練はギルドマスターに聞き付けられたことで『ハイハイ練習中のヒロを回避する』という冒険者の訓練になってしまった。
冒険者諸君、すまん。そんなつもりはまったくなかったんだ。
いわくは新米冒険者の気配察知技能の訓練だという。
ギルド職員女性陣も俺が一生懸命這いずり回っているのを見るとほっこりするらしい。見た目は普通に赤ん坊だからな。気持ちはよくわかる。間違って俺を蹴飛ばしたやつには受付で当たりがきつくなったりする弊害があるようだが。
そして今回もまた餌食が一人。
「どわっ!?す、すまん。大丈夫か?ケガはないか?っていうか、お前今気配消してたろ!ズルいだろ!」
今回の餌食はBランクハゲ巨漢戦士モーガン。何を隠そう初日に俺に絡んできた男だ。
こいつ、実はすごくいいやつだった。
初日のあれも赤ん坊をおもちゃのように扱っているのが気にくわなくて術者を炙り出すためにあんな態度をとったのだとか。
今のも俺がわざと踏まれに行ったのに気付いた上で謝ってるしな。根は間違いなく良い奴だ。
あ、ちなみに初日の時はモーガンは魔力を視認できなかったので俺が自力で魔力操作していることに気付けませんでした。
そんなこんなでモーガンが良い人なのがわかってから俺はモーガンを気にかけるようになった。
ちょっかいを出しているとも言うが。
「そうとしか言わねえよ!!」
あ、声に出てたか?
「いや、なんとなくだ!」
感覚で人の心読むとかハンパナイ!!
このモーガンの感覚、ここ数ヵ月で『直感』というスキルが生えてくるぐらいには凄い。
この世界のスキルは後天的に習得しようとする場合、熟練度という形で経験が蓄積され、ある一定値になると習得するという仕組みになっている。
種族や個々人によって習得不可のものや、必要熟練度が多かったり少なかったりするが、概ね努力すればスキルという形でいつかは報われる世界となっている。
モーガンは『直感』に加えて『危険察知』というスキルもここ数ヶ月の間で習得しており、もしさっきモーガンの足元にあったのが俺ではなく、『直接被害を与えるもの』―例えば地雷だったとしたら、今使っていた程度の『気配遮断』ならば看破して回避しただろう。
(まだ『危険察知』のレベルが足りてないのかな?)
そう。俺を踏むとか蹴飛ばすとかするのは危険なのである。
『ハイハイ練習中のヒロを回避する』というのがギルドマスターによって課せられた訓練なのだから、当然出来なかった場合にはそれ相応の罰が発生する。
え?俺は踏まれたからってなんにもしないよ?モーガンには別のタイミングでこうげ・・・・・・遊んでもらってるし。
「モーガン、アイリス、こっちに来い。」
モーガンが俺を踏んだ瞬間を見ていたギルドマスターがモーガンとアイリスを呼びつける。
モーガンは顔を青ざめさせながらゾンビのような足取りでついていく。
アイリスは壁にかけられたメイスを持ってその後ろをついていく。
モーガンの危険とはこのギルド最大戦力の二人からのしごきである。
モーガンはこれから冒険者ギルドの地下にある訓練場でSクラスのギルドマスターとAクラスのアイリスを相手にする。
その壮絶さは言葉には言い表せない。
毎回ボロ雑巾のような姿で戻ってくるのが不憫で仕方がないのだが・・・・・・
(すまん。でも、もう少しで色々スキルを覚えるから許してくれ。)
そう。この経験によってモーガンは新しいスキルを手に入れる。
俺はモーガンはもしかしたら天才なんじゃないかと思っている。
五ヶ月前までは大柄であること以外はこれといった特徴のない十把一絡げのEランク冒険者だったのが、俺との遊びの中で『直感』や『危険察知』を筆頭にいくつものスキルを覚えて一気にCランクに駆け上がった。
赤ん坊と遊んでいるだけで戦闘に役立つスキルの熟練度が上がるなんて、てんさいだとおもう。もーがんはてんさい。
この時点でBランク冒険者の攻撃はほとんど当たらなくなっていた。
ただし、モーガンもBランクを倒すまでには至らない状態だった。
それが『ハイハイ練習中のヒロを踏んだ冒険者はBランクからのしごきが入る』というギルドマスターの暇潰・・・・・・試練を開始した当日のこと。
それでBランクの攻撃が当たらないのでは罰にならないからとAランクのアイリスさんが相手となり、ついでだからとギルドマスターまでもがでてきた。
それから二、三日に一度モーガンをひっかけてはドナドナされていく後ろ姿を見送っている。今回でたしか四回目だったと思うが一般的に上がりにくいとされている耐久力関係のスキルや瀕死の際に効果を発揮するようなスキルの熟練度が軒並み上昇しているのでモーガンは天才だと思う。そういうことにしておこう。
攻撃系のスキルも上昇していたのでモーガンの根性とか努力の痕跡が見受けられるので、その辺りは素直に称賛したいと思う。
努力の甲斐あってつい先日Bランクに昇格した。モーガンほんとに尊敬する。
「そう思うんだったらもう少し優しくしてあげましょうよ。」
シャルロッテは呆れたようにそう呟いた。