第47話 ラモア高地
うるさい・・・。
地面を棍棒で殴りつけるかのような重低音の地響きが聞こえる。
どっかで道路工事でもやってんのか?
体を団子虫のように丸めて、俺から遠ざかろうとする眠りを引き留める。
この目覚めと睡眠の中間地点を、可能な限り長く味わうべく抵抗を試みる。
寒い・・・。
朝露の混じる冷気が押し寄せ、つま先を刺す。
毛布を引き寄せようとして手さぐりで探したが見つからない。
眼をつむったまま手近な温もりへ、もそもそ体を動かして暖を取る。
枕の上で頭の位置を細かく調節して、ジャストフィットの場所に落とし込む。
何だか大いなる温もりに包まれているような感じがして、とても安心する。
これで良し、後はいつも通りアリスが起こしに来るまで、ダラダラ寝続けていよう。
「んごごごごーーーーーーーーっ!」
鼓膜を直接殴りつけるような爆音に、たまらず目を開ける。
朝っぱらから騒音立てやがって、いったい何が・・・。
「どわーーーーーーっ!」
悲鳴を上げて、跳ね起きる。
クリスさんの暑苦しい顔が、マジで恋する五秒前の位置にあった。
またコレかよ!
俺がさっきまで頬をスリスリしていた枕は、クリスさんの右腕だった。
反対側の左腕には酒瓶が寝ている。
あの右腕に安らぎを感じていた自分が憎い。
しかも、クリスさんは全裸であった。
鍛えられた筋肉の隆起と、辺りはばからずそそり立つ股間のマンモスが、朝日に照らされ影を作っている。
日時計のようだ。
イヤなモノ見てしまった。
「んごごごっ、んごっ!」
爆睡しつづけるクリスさんの高いびきが、俺の鼓膜と神経を殴り続ける。
だから、せめてマコトちゃんにしてくれよ。
むしろ俺が腕枕してやりたいまである。
心臓のタコメーターの針は、レッドゾーンなどとっくに振り切って、右端にべったり張り付いたままだ。
ピストンバルブが焼き付けを起こしそうなほど激しく動悸している。
深呼吸を繰り返し、心の動揺を抑える。
そこかしこに散乱する酒瓶と、テーブルの下で丸まって眠っているベネットさん。
昨日の晩、酒盛りをした場所でそのまま寝てしまったらしい。
二日酔いなのか、風邪なのか、後頭部を木槌で叩かれるような痛みをこらえ、フラフラ天幕の外へ歩き出す。
「おはよー、カズヤ!」
「おはよ、アリス」
毎朝の恒例行事で駆け寄って来たアリスをハグしようと手を広げる。
「んーーー、カズヤ、臭い」
俺の腕をスルリと躱しアリスが逃げる。
俺、まだ二十台だっていうのに、まさか、加齢臭?
「おはよう。昼前には出発したいから、支度を・・・、カズヤ、臭いわよ。水でも浴びてきたら?」
続いて現れたソフィにもダメ出しされてしまった。
「そうかな・・・」
腕を上げ、首をねじってクンクンする。
アルコールとナニか酸っぱいような匂いが立ち上る。
くさっ!
そう言えば昨日の晩、デロデロに酔っぱらったクリスさんに、頭の上からお酒をぶちまけられたっけ。
最後の方には、誰かのゲロが飛び散っていたような・・・。
まだ、酩酊の残る頭でぼーっと思い出して顔を上げる。
心底、嫌そうな顔をした二人と目が合った。
ハートが破壊されそうになったので、いそいそと水場へ向かう。
冬の近づく山の麓、思い切って荒行の坊さんのように頭から水を被る。
簡易井戸から汲みあげた水の冷たさは、身体強化をかけても、肌を突き通して内側に染み込んでくる。
冷水が頭の中に沈殿する濁りを洗い流す。
停滞していた思考が、動き始めてシャッキリしてきた。
水の冷たさに震え、奥歯をガタつかせて、ふと思う。
このままバカ正直に冷水を浴びる必要は無いよな・・・。
準備運動程度に魔力を回転させ、井戸の中の水分子を掻き回す。
ほっこり湯気が上がってきた。
これで良し。
鼻歌を歌いながら、桶で井戸の中から汲み上げたお湯を浴び、昨夜の酒を洗い流した。
馬のいななき、等間隔に鳴る蹄鉄、馬車の車輪が軋む音。
人のざわめき、旅人が交わす挨拶、商人が小物を運ぶ使用人を叱咤する声。
ざわめきと共に人の群れが動き出す。
今まで、ゴブリンに足止めされていた旅人や商隊達が、待ちかねたように堰を切って溢れ出した。
「それじゃあ、私達も出発しましょうか」
司令部の天幕の前、木箱に腰かけて雑談していた俺達に、ソフィの号令が響く。
周囲で撤収作業をしていた兵隊さん達が、集まってきて声を掛けてくる。
ふむ、あのヒトはテーブルの上に飛び乗って全裸で踊っていたな。
このヒトは薔薇の女子に手を出そうとしてボコボコにされていたっけ。
「クリス、カズヤ、助かったぜ。報酬は色を付けておいたから組合で受け取ってくれ。じゃあまたな、気を付けて行けよ!」
残務処理で書類の山から離れられないアーロンさんも、手を休めて見送りに出てきた。
「アーロンさんもお達者で!」
皆、それぞれに手を振り、別れの言葉を交わし、歩き出す。
温泉街を目指す人の列の後ろに続く。
思わぬ場所で予想外に時間を取られてしまったが、終わり良ければ全て良し。
本日は晴天ナリ。
風景を楽しみ、アリスと手を繋いでイチャイチャしながら、のんびり歩くには最高の日和である。
おまけに周囲の山々は紅葉が始まっている。
落ち葉が水面に浮かぶ露天風呂なんかあると良いなあ。
めんどくさいゴタゴタも片付いた。
後は温泉目指して一直線にレッツラゴーだ。
「マコトちゃん、見て、見て。ヘチマの垢すり、俺が作ったの、どう?良く出来ているでしょ。これで背中の流しっこしようよ」
「カズヤ君、あのね・・・」
「大丈夫、マコトちゃんの分も用意してあるからさ」
「カズヤ、あんたねぇ、何の為にここまで来たのか・・・」
「何だよ?エリカも混ざりたいのか?いいぜ、みんなで一列になって背中の流しっこしようぜ、もちろん、滑ったフリして前に手を回すのはお約束だからな」
「バカ、スケベ、ヘンタイ!」
「カズヤ君、分かってるよね?分かってて、ふざけてるんだよね!」
「分かってる、分かってる。あ、シャンプーハットを忘れちゃったけど、いいよね?」
薔薇組がお泊り遠足で興奮した子供のように、俺に向かって騒いでいるが、適当に返事して聞き流す。
うん、分かるよ、その気持ち。
なんたって、温泉だもんね。
ぞろぞろと続く旅人達の長蛇の列に従う。
途中、二股の分かれ道に出会ったが、迷う事無く、海を目指す川のように群衆の流れに身を任せる。
「カズヤ、あんたはこっちでしょ」
カツオの一本釣りのように、エリカに首根っこを掴まれ、群れの中から吊り上げられてしまった。
「離せよ!そっちには行きたくないんだ!俺の妖怪センサーがビンビン反応してるんだ!」
おもちゃ売り場から引き剥がされる子供のようにジタバタ悪あがきするが、薔薇組に両腕をガッチリと絡め捕られ、抵抗空しく連行される。
「やると思ってたし」
俺だって予想通りの結末だが、ヒトは諦めたらそれで終わりだ。
「カズヤ、さっさと行って、終わらせちまおうぜ。この人数ならすぐに終わるさ」
クリスさん一行も、ついでだからと言って、ぞろぞろ付いて来た。
「カズヤ君、もうちょっとだけ頑張ろう」
マコトちゃんに、クリクリした瞳で子リスのように見つめられると罪悪感が押し寄せてくる。
思わず、ガバリと抱きしめる。
「ふざけてゴメン、マコトちゃん!」
「か、カズヤ君、分かったから、気にしてないから、お尻を揉まないで!」
別ルートから聞こえてくる人のざわめきに後ろ髪を引かれながら、先程までとは打って変わって、すっかり人気の無くなった緩く傾斜する山あいの道をテクテク歩き続ける。
「そのラモス高地は、まだ遠いの?」
「カズヤ、ラモア高地よ。そうでも無いわ、今日、途中で野営して明日早朝に出れば、お昼前には到着できるわよ」
旅慣れているソフィが、ちょっとそこのコンビニまで、みたいな感覚で言ってくるけれども、やれやれ、一泊か・・・。
「そうクサるなよ、カズヤ。あそこは慣れちまうとなかなか楽しい所でなあ」
楽しい所?
聞いたかぎりじゃ、山間部の高原地帯に目的の木がまばらに立っているだけらしいけれども。
妙にウキウキしているクリスさんが怪しい。
「カズヤ、クリスの言う事を真に受けるんじゃないぞ」
ベネットさんの言葉に頷く。
うん、クリスさん、アホだしね。
陽が程よく傾いてきたところで、道沿いの開けた場所にテントを張り、夜を越す準備をする。
例の如く、自然な流れで夕食当番を仰せつかった俺は、分子振動爆裂魔法の改良と運用方法の改善について考えながら、鍋の中身を掻き回していた。
分子干渉魔法・・・、対象の体の中の血液を含む水分を瞬時に蒸発させて、身体の内側から破壊する。
魔法抵抗も物理抵抗も意味を成さない究極の攻撃魔法。
字面だけ見ると、中二病患者がヨダレを垂らして群がって来そうな魔法である。
だが、使用条件が過酷すぎる。
剣を突き刺して魔力を注入する俺を振り払えない程、ヘロヘロに弱った攻撃目標。
そもそも、それだけ弱ってるんだから、突き刺した剣をもうひと押しすれば良いんじゃないの?
それを認めてしまったら、俺の唯一の攻撃魔法が、本当にお弁当を温めるだけの電子レンジ魔法になってしまう。
サイクロプスくらいにデカければ、手の届きにくい背中に剣を突きたてて、ひたすら耐えるという手もあるが、正直、そんな事しなければならない大物とは出会いたくない。
改善点その一、魔力の集中速度を早くする。具体的には魔力グルグルをもっと、もっと高速回転させる。
改善点その二、魔力の注入速度を早くする。具体的には注射の押し込み速度をさらに、さらに速くする。
改善点其の三、分子の振動速度を上げる。具体的にはハードロックのコンサートで狂ったようにヘッドバンキングする感じ。
とにかく、魔力の集中から発動までの時間を短くする。
ふむ・・・、なんだか道のりの険しさに悲しくなってきた。
「あー、さっぱりした。今日のメニューは何?」
風呂から上がって来た薔薇組が、タオルで髪の毛を拭きながら、鍋の中身を覗きこんでいる。
風呂?もちろん俺達は温泉郷に辿り着いていない。
前線基地で兵隊さんが、洗濯に使っている馬鹿でかい桶があった。
それを目ざとく見つけた女性陣が、アーロンさんにわがまま言って接収してきてしまったのだ。
その子供用プールみたいな桶を風呂代わりに使っているのである。
もちろん、その桶に水を汲み入れたのも、分子振動魔法でお湯を沸かしたのも俺である。
下界は秋でもここは標高が高い分、気温は冬に近くなっている。
体の汚れは落としたいけれど、冷たい水はイヤなどとのたまう貴族様御一行。
こいつら、俺の事を便利な家電扱いしてないか?
エリカ達から湯上りの良い匂いが漂ってこなかったら、俺は鍋をひっくり返してキレていただろう。
「ザリガニのスープ」
「ザリガニ?そんなの大丈夫なの?」
「ザリガニ捕まえて食べた事無いのか?」
「あるわけ無いじゃない」
「まったく近頃の若いヤツは」
「あんた、いったい、いつの生まれなのよ」
俺はまだ二十台だっつーの。
水汲みに行った際、川の中に姿を見つけたので、手掴みでも良いが、昔を思い出して干し肉をエサにして釣って来た。
それを見たクリスさんとベネットさんが、『面白そうだ、オレにもやらせろ』と言ってきたので、三人で釣りまくった。
ザリガニは食べれる。
食感はエビとほとんど変わらない。
俺が子供の頃は田んぼの用水路で取ったザリガニを、母親に料理してもらうのが好きだった。
ただし、背中に青紫色の背ワタがあるので、取り除く必要がある。
普通は泥抜きの為に、二、三日、綺麗な水で絶食させなければならないが、山からの澄んだ湧水で出来た小川にいたので、しばらく酒の中にどっぷり漬けるだけで臭みは取れた。
しかも、異世界規格なのか、俺の知っているザリガニの二倍以上の大きさだ。
もはや、小振りのロブスターと言っても差し支えない。
「ほれ」
スープの具材とは別に、焚き火の脇で串焼きにしていた一匹を取って、エリカに渡す。
警戒しながら、少しだけ口に入れるエリカ。
「あ、美味しい」
「だろ?」
それを見ていた他の薔薇組が、『私も、私も』と言って、手を出してきた。
夕食の分が無くなるからやめれ。
「だけどさ、あんた料理上手よね」
もう一匹の串焼きを目で狙いながらエリカが言う。
それ以上食ったら、お前の夕食の分は無しだからな。
「この程度で料理が上手と言われるのは心外だが、そもそもお前等、俺にばっかりメシの支度させてるじゃん。自分でメシくらい作った事無いのか?」
女性陣が、水浴びでキャッキャッ、ウフフしている間に、俺とマコトちゃんでメシの準備をするのが規定事項になってしまっている。
コジロウは何をするでも無く、周りをチョロチョロしているだけなので、戦力外。
今煮ているスープにしても、ダシはザリガニ任せ、後は塩と胡椒を適当に振りかけただけだ。
この程度で『料理が上手』などと言う薔薇組の腐女子。
さては、食材に火を通すと何故か黒い物体Xしか出来上がらない特殊錬金術スキルの持ち主か?
そいうのは、ソフィくらい美人にならないと通用しないぞ。
「ば、バカ!私だって料理くらい出来るわよ」
「じゃあ、たまにはやれよ」
「嫌よ・・・、だって・・・、あんた味にうるさそうなんだもん」
「え?俺が?」
「フィオナさんの美味しいご飯食べ慣れてるし、いっつも、コクが~とか、旨味が~とかぶつぶつ言っているじゃない」
「それは味噌を追い求める過程で試行錯誤しているだけだ。そもそも俺は、多少まずいメシが出てきただけで、怒ってちゃぶ台ひっくり返したりなぞしない。可愛い女の子が作ってくれたなら、味と見た目がイマイチでも、黙って腹に収めるくらいの男気はある。そしてだな・・・」
「ナニよ」
「料理は愛情だ」
「ば、馬鹿カズヤ!」
何故か顔を真っ赤にしたエリカが、串を投げつけてきた。
ホントだぞ、ソフィが作ってくれたモノなら、例え見た目がクトゥルゥー神話に出て来そうなモノでも完食する自信がある。
食べた事は一度も無いのに、すでに俺の中では、ソフィが料理下手キャラで定着してしまっている。
もしソフィが知ったら、氷の微笑を浮かべながら、頭の上にリンゴを乗せられて弓の練習台にさせられそうだ。
エリカさん、いつまでも顔を赤くしてモジモジしてないで、機嫌なおせよ。
もう一本、ザリガニ食うか?
明けて翌日。
筋状の雲が薄く広がる秋の空。
モスラ高地は山と山の間に出来た盆地。
「カズヤ君、ラモア高地だから。やる気出してよ」
中心地に湖があり、その周りに白樺に似た木がまばらに立っている。
紅葉はすでに終わっており、木の根元には落ち葉が積もっている。
若干、殺風景で寂しさを感じるが、静謐とも言える風景は見ごたえがあり、のんびりお弁当でも食べれば楽しいだろう。
「あれが目的の木?」
俺の隣に立って、風に金髪を泳がせているソフィに尋ねる。
「そうよ、ラモアアッシュって言って、街に近い場所にも生えているんだけれども、ここで採れた物の方が、木目が詰まっていて丈夫なの。二本・・・でいいかしら?ベネットもいる?」
「ああ、俺も貰っておこう。何かに使うかも知れないからな」
「それじゃあ、三本ね」
マコトちゃんを従えて、木の間を一本、一本吟味しながら歩くソフィ。
ラモアアッシュ以外に背の高い木も茂みも無い。
地面に這うように葉の尖った雑草が風に吹かれているだけ。
余計な物が存在しない高山で良く見かける美しい風景ではあるが、すっきりし過ぎていて、冷たい風が急に気になりだした。
寒さに震える俺の横で、薔薇の女子達がゴソゴソ動きだす。
エリカが予備の盾を何枚か取り出し、皆に配っている。
どうしたんだ?
エリカの盾コレクションの品評会でも始めるつもりか?
「こんなところかしら、それじゃあ準備はいい?」
盾を構えたエリカ、ナオミ、ユキコ、ユカリが、斧を手に持ったマコトちゃんを囲むように散開する。
クリスさんとベネットさんは棍棒を手に持ち、準備運動している。
棍棒?
アリスは鼻息荒く、鍋を頭に被り、フライパンで武装していた。
フライパン?
え?
「マコト、始めていいわよ」
マコトちゃんの振り下ろした斧が、拍子よく木を打つ。
コーン、コーン、山の間に木霊が響き渡る。
囲む山から山びこが跳ね返ってくる。
木々の間を流れる風の音。
カサカサ揺れる落ち葉の音。
そして、携帯のバイブが出すような低い振動音。
ヴヴヴ・・・、周囲一面から聞こえてくる。
何の音だ?
「来るわよ!」
ソフィの声と同時に俺の至近距離を黒いナニかが高速で通過した。
「そこだあぁっ!」
クリスさんが棍棒をフルスイング。
打ち返された黒いナニかが空の彼方へ飛んで行く。
次々と唸りを上げて飛来する黒い物体。
ガコッ、ガコッ!鈍い音を立てて、薔薇組が構えた盾にぶつかる。
カーン、と時折、アリスのフライパンに当たった乾いた金属音が響く。
撃ち落とされた物体がコロコロと足元に転がってきた。
コレ、何だ?
摘まんで目の前に持ち上げる。
カブトムシ?カナブン?テントウムシ?
大きさはゴルフボールくらい。
色艶と外骨格の質感はカブトムシに似ているが角が無い。
そうかと言って、メスでもない。
球形にかなり近い真っ黒の甲虫。
一番外側の羽は鉄板のように硬い。
しげしげと観察していたら、息を吹き返してモゾモゾ動き出す。
若干ひしゃげている羽を広げ、ヴヴヴと羽音を立てて指の間から飛んで行った。
あ・・・、逃げた、と思ったら、くるりと方向転換して俺の額に突っ込んできた。
「いでっ!」
近距離からの突撃で、加速が足りなかったにも係わらず、おでこが割れるかと思った。
しゃがんで額を揉んでいたら、バスン、バスンと俺のジャケットに次から次へとぶち当たってくる。
「痛っ、痛っ、いでででっ!」
「カズヤ!ぼさっとしてないで打ち返せ!」
クリスさんの声に、使えそうな棒がその辺に落ちていないか慌てて探す。
「盟主様、こちらをどうぞ」
「これは・・・」
斜め後ろに現れたサナエさんが差し出してきたブツを受け取る。
「美津濃作成、高野連認可一九九五年型木製バット。別名、窓硝子クラッシャー、思春期の愛刀でございます」
「ふむ・・・、美津濃の銘入りか・・・」
自然の木目をそのまま生かした外観。
握った手が吸い付くようなグリップ。
全長八十五センチ、最大部の直径六十点五ミリ。
ギリギリ硬球一個分しかないスイートスポット。
女性のシルエットの様に、先端から手元へと流れる様な洗練されたライン。
素人を寄せ付けない設計思想。
「バッティングセンター荒し、と呼ばれた盟主様が振るにふさわしい一品にございます」
「いいだろう。所詮、血塗られた道か・・・」
伸ばした左腕、そこから続くバットの先端に太陽が重なる。
「カッちゃん、サナエを甲子園に連れて行って」
「そこは、タッちゃんにしてくれ。死んでしまう」
グリップを握り直し、脇を絞める。
心を無にして、耳を澄ます。
「そこだあっ!」
右中間へのクリーンヒット。
手ごたえは十分だが、飛距離が伸びない。
全盛期のカンを取り戻すには、まだまだ時間がかかりそうだ。
足元の土を蹴って立ち位置を調整している俺の後ろから、カーーーン!と、真芯を捉えた長打確定の音がした。
レフトスタンド方向へ、大きな弧を描いて飛んで行く甲虫。
振り向くと、アリスがフライパンの取っ手を握り直し。
「もうちょっとタイミングを遅らせたほうがいいかな・・・」
そう呟きながら、頭の鍋をかぶり直していた。
「盟主様、負けておりますよ」
「くっ」
「本日のデーゲームは、カズヤチーム対クリスチーム。実況は、ワタクシ、愛の狩人と呼ばれて二十五年、マラガ冒険者組合の美人すぎる受付嬢、サナエ。そして解説は、いったい何処にいるのか分からない、居ても居なくてもどうでも良い、貴族の腰巾着回復師、コジローさんとの二人でお送りします」
「最初から面白い事言うじゃん、サナエさん。それ、俺じゃ無かったらゲキオコだよ。まあ、俺は心が広いからさあ」
「お黙りなさい、ゴクつぶし。さて、盟主様の立ち上がりは如何でしょうか?」
「うーん、イマイチ調子が上がってないなあ。今日のストライクゾーンの広さに馴染めないみたい。振りもキレがないね。玉袋をもっとパチーンと鳴らさないと」
「対して、アリス選手は予想外でしたね。大外からマクり上げてきた大型新人といったところでしょうか」
「うん、アリスちゃんは、なにやっても可愛いよね。なんでカズヤに引っ付いてるんだろう?カズヤは死ねば良いと思います。魚ヘンにブルーなんですねぇ」
「お黙りなさい、ロクデナシ。おっと、ここで動きが有りました。ライト方向への流し打ちが、見事に決まった盟主様でしたが、一塁の立ち木に阻まれ凡打。しかも、跳ね返ってきた甲虫に股間を直撃され悶絶しております。これは自打球という事になるんでしょうか?」
「うーん、状況は併殺打に近いかな。あ、アリスちゃんが救援に向かったよ、やっぱりカズヤはこのまま死ねば良いんじゃないかなあ」
「お黙りなさい、このたわけ者。待っていて下さいませ、盟主様。今、サナエが参ります。もし不能になっても、サナエがついております!」
「こ、こら、触るな!大丈夫だから、よせっつーの!」
「うーん、ああいうのは、放っておくしか無いんだよなあ」
「カズヤ、大丈夫?ここ?ここが痛いの?」
「アリスさん、ここは私にお任せください。大人の経験と知識が必要でございます」
「アリス、もうちょっと下、イヤ、そうじゃなくて、もういいから、それ以上触ると俺の象さんが・・・。やめて!だからそういうのは、二人っきりの時にして!」
俺の股間にまとわりついてくるアリスとサナエさんを振り払う。
嬉しいが、今はそれどころではない。
隣のバッターボックスでは、クリスさんが快音を量産し続けている。
俺はハードバンクホークスの会長が現役でホームラン王だった頃からの野球ファンだ。
このまま負けるわけにはいかない。
暴走したピッチングマシーンのように、黒い弾丸を吐き出すアモーレ高地。
無心でバットを振り続ける。
開き直ったら楽しくなってきた。
左に引っ張り、右に流したり、正面に打ち返してみたりする。
「カズヤ!どうだ、楽しいだろう!ガハハ!」
クリスさんの高笑いが、静かな風景画の世界に響き渡る。
「クリスさん、虫がだんだん大きくなってきてる気がするんだケド!」
初めはゴルフボールくらいだった甲虫が、テニスボールくらいになってきている。
「おう!もっと楽しくなるぞ!気合い入れろ!」
「押忍!」
最終的に、甲虫の大きさは、ソフトボールくらいまでになった。
そこまで行くと、弾丸どころではなく、大砲から打ち出される鉄球のようである。
俺は堪らず、盾に切り替え跳ね返していたが、クリスさんは、棍棒を剣に持ち替え、高速で突撃してくる黒い三連星を真っ二つにしていた。
終始、高笑いで剣を振りまわすクリスさんは、狂戦士というより、狂人であった。
「さて、今日の試合、振り返ってみていかがだったでしょうか?猛打賞のアリスさん」
「うーん、もうちょっと打ちたかったなあ。やっと、コツが分かってきたところで終わっちゃったから、なんかモノ足りないなあ。次は、柵越えを狙いたいと思います。あっ、カズヤ!もう痛くない?大丈夫?サナエが『致命的な大事な場所』って言ってたよ。『不能』って何の事?良く見せて、アリスが直してあげる!」
「やめて!デリケートな話題を大声で叫ばないでっ!こ、こらっ!ズボンを脱がすんじゃない!」
「アリスさん、ここは特別な治療が必要な場所です。サナエにお任せください。さ、さ、盟主様、恥ずかしがらずに見せて下さいませ」
「サナエはあっちに行って!カズヤ、手をどけて、ほら、早く!」
「アリス!もう大丈夫だから、ホントにいいんだ!パンツを引っ張らないでっ!」




