第45話 エリカと翼竜
≪カズヤ≫
明けて翌日。
起床ラッパや兵隊の早朝教練の掛け声にも慣れてきた。
「なあ、そろそろ機嫌直してくれよ」
「うるさいっ!怒ってなんかいないわよ!」
怒ってるじゃありませんか。
薔薇のエリカさんが、大変に御立腹である。
昨日、剣の訓練の際に、拘束具から解き放たれたエリカの胸部を凝視し続けたのが、マズかったようだ。
布一枚隔てた向こう側で、自由自在に揺れ動くおっぱい。
その様は、見えてないが故に俺の想像力を刺激しまくる。
巨乳では無いが、程よい大きさ、整った形のおっぱい。
腐女子のエリカも黙って立っていれば、目を見張るような美少女なのだ。
それが、俺の目の前で息を切らし、体を激しく動かし、額から流れ落ちる汗を散らしながら、セミロングゆるふわカールの髪の毛を風に泳がせていた。
首元から落ちた玉の汗が、胸の谷間へと一筋の線を描き、虹色に輝きながら落ちて行く。
どうしたって、その先へと視線が動く。
だって男の子だもん。
「馬鹿カズヤ、胸を見るなあっ!」
おっと、昨日の出来事を思い出していたら、つい視線が動いてしまった。
頬を染め、恥じらいながら両腕を回して胸を抱き、もしかしたら有るかもしれない俺の眼より発している謎透視光線から胸部を守ろうとしているエリカの姿に、ちょっとドキドキ。
そもそも、俺に勝つ為にアホクリスの提案を受け入れたのはエリカである。
俺は頼んでもいないし、強制してもいない。
エリカ自身が決断し、実行して自爆した結果である。
第三者的に、客観的に、冷静に、どう考えたって、俺は悪くない。
だが・・・、マコトちゃんを含めた薔薇パーティ全員が、俺にジト目攻撃を朝食そっちのけでしてくるのだ。
何故、クリスさんではなく、俺に敵意を向けるのか?
無言の圧力に負けて、エリカとの関係修復に早朝から努めている。
「すいませんでした。ワタクシ、カズヤは深く反省をしております。どうか許してください」
前線基地の草むらの上に土下座して、地面に額をこすり付ける。
朝練の兵隊達が、何事かと訝しげにチラ見して通り過ぎて行く。
はっきり言って、土下座なんぞ元の世界ではやったことなど無いのに、こっちに来てから連発しているような気がする。
土下座慣れしてくるようで怖い。
「だから怒ってないって言ってるでしょ!」
怒ってる、怒ってる。
漫画のように頭から湯気を立て、プリプリむくれて前線基地の端へと歩き出したエリカの後を慌てて立ち上がり、追いかける。
「ちょっと、ついてこないでよ!」
「いや、だけどさ・・・」
頭に血が昇ったエリカが、基地の中心地からズンズン遠ざかって行く。
すぐそこに天幕の固まりが見えるとは言え、このくらい離れるとゴブリンの斥候兵がウロウロしている事もあるので危ないのだ。
俺がいる事でエリカの御機嫌が、さらにヒートアップしてしまって逆効果なのは分かるが、放っておくワケにもいかない。
雑草を踏みしめながら歩き続けるエリカの後を、すごすごと付き従う。
歩き飽きたのか、頭が冷えてきたのか、草むらから突き出ている岩にエリカが、大きくため息を付きながら腰かける。
俺は遠くに見える天幕の屋根とゴブリンの山を気にしつつ、エリカの斜め後ろに立ち、反対側を向いて警戒する。
「あのさ・・・」
重い沈黙に耐えきれなくなってきた頃、エリカが話しかけてきた。
「ん?」
「私ね・・・、最近、ふと気づいたんだけどさあ。元の世界に帰りたいって思わなくなってたんだよね。こっちの世界に来てから、まだ四年しか経っていないのに・・・、もう四年って言った方が良いのかな?ううん、ちょっと違う・・・、こっちに戻って来れるなら帰ってみても良い。こっちに戻って来れないなら、帰りたくないって思うの。不思議だよね・・・、テレビやスマホも無いし、もしかしたら、魔物に殺されちゃうかもしれないのに・・・。カズヤはどう?」
「ん~、そうだなあ。俺も、もし今、目の前に元の世界への扉が現れたとしても、それが一方通行だったとしたら、絶対に帰らないだろうなあ」
「あんたには、ソフィアさんやアリスがいるもんね」
エリカが蹴飛ばした石ころが雑草の茂みの中へ、転がって消えていく。
「真面目に答えてんだから、茶化すなよ・・・。まあ、その通りだけどな」
「こっちに来たばかりの頃はさ、お父さん、お母さんの顔をよく思い出して泣いていたんだよね。でも、随分長い間泣いてない事に気付いたの。今は、両親の事を考えても涙が出て来ない事が、少し悲しい。マコちゃん、ナオミ、ユキコ、ユカリ。ソフィアさん、アリス、サナエさん、フィオナさんと子供達。あの家の食堂でみんなと騒ぎながら食べるご飯がおいしくて、すっかり忘れてた。それで分かったの、ああ、こっちの方が楽しいなあって。カズヤはどう?向こうの事、思い出す?あ、でも、カズヤはこっちに来て、まだ半年くらいだもんね、私達とは違うのかな?」
肩越しに振り返ったエリカの表情がやけにしおらしい。
女の子と二人きりで、こういう打ち明け話的な会話をした経験がほとんど無い俺は、心の中のドキドキを悟られないように平静を装って返事を絞り出す。
「いや、俺も何かの拍子に思い出す程度だな。何しろ、こっちに来てからびっくりどっきりの連続だったから、目の前の出来事を片付けるだけで、いっぱい、いっぱいだったよ。」
「そうなんだ・・・、そうだよね・・・。昨日、クリスさんが、その・・・、ブ・・・、ブラを外せって言いだして、このオジサン、バカなの?ヘンタイなの?って思ったんだけど・・・、カズヤに勝ちたいなら、使えるモノは全部使え。相手の弱点が分かっているのに狙わないのは、ただのバカだって言われてさ・・・」
「弱点がスケベで悪かったな。実際、勝てただろ?」
「効果てきめんだったわ。でも・・・、ちっとも嬉しくない。あ~あ、バカやっちゃった。ねえ、カズヤって強いよね、どうして?」
岩に片手をかけて体を捻って俺を見るエリカと目が合う。
「どうして、って言われても困るが、エリカや他の転生者と比べれば、だろ?前にも言ったけど、お前らが脳内スキルボタンに頼り過ぎているんだよ。転生で得た身体能力のスペックを生かす事が出来れば、今よりずっと強くなれると思う。システムメニューが開けない俺からすると贅沢な悩みだ。相手の隙を捉えれば、絶妙のタイミングで高火力のスキルが打ち出せるだろ?それに着火とか灯火とか使えるじゃん。俺も魔法っぽい魔法を使ってみたいよ」
「そうかなあ。それだけじゃ無いような気がするのよね」
「ソフィア先生とアホクリスのスパルタ授業のおかげかもな」
「あはは、それ、あるある」
ようやく笑い声が聞こえ、エリカの表情が和らいできて少しほっとした。
エリカもいろいろ考え込んで行き場の無い感情が、袋小路にはまり込んでいたのかもなあ。
「実際、クリスさん相手だと、俺なんか手も足も出ないからな。やっぱり、こっちの世界の生え抜きは凄いと思う」
「うん、あの人、めちゃくちゃに強いよね。ソフィアさんも本職は魔法使いなのに、剣も弓も使いこなす。綺麗で強い、良いなあ、恰好良いなあ」
「エ、エリカも、見てくれは、わ、悪くないと思うぞ」
上手く会話を返そうとしたら、かんじゃった。
「・・・、カズヤがそんなお世辞言うなんて、珍しいじゃない。雪どころか、矢が降ってきたらどうすんのよ」
「ば、ばっか、ち、ちげーよ。お、俺はだなあ・・・」
細目で俺を睨んでくるエリカの視線を背中に受け、この後、どうやって言葉を繋ごうかと悩んでいたら。
「ねえ、あれ・・・、何かしら?」
エリカの指さす方へ眼を凝らす。
まだ遠い空の向こう側、前線基地の上空へ近づいて来る三つの飛行体が見えた。
≪エリカ≫
自分の意思とは関係なく連れて来られた異世界。
中世ヨーロッパを舞台にした映画のワンシーンのような石造りの街並とそこに住む人々。
街からほんの少し離れただけで手つかずの自然に囲まれる。
切り立った崖から流れ落ちる川の水が作り出した水しぶきが、陽の光を受けて鮮やかな虹に変わる。
山脈の間に横たわる広大な湿地帯。
水生植物が咲かせた小さな花の間を舞う蝶に見惚れていると、突然、水の中から魚が跳ね上がり捕食する。
その魚を狙い空から鳥が急降下して水音を立てる。
自分の足で辿り着いた美しい世界。
目にする物全てが新鮮で、驚きだった。
魔物と魔法が存在する不思議な美しい世界。
こちらの世界に来て四年目の夏。
マラガの街を足掛かりにして、組合から発行される依頼の中でも手頃な案件を選び、近場の森や荒地に現れる魔物を討伐する事を繰り返していた。
こっちの生活にもすっかり慣れて、私達もそろそろ魔境デビューしても良いんじゃない?調子に乗って仲間達とそんな軽口を交わしていた。
浮かれて、増長していた。
あっと言う間の出来事だった。
ナオミの叫び声に振り向いた私の眼に入ったのは、血溜まりの中に無言で横たわるユカリ、そしてユキコに切り殺された魔物だった。
マコちゃん、ナオミ、ユキコ、ユカリ。
この異世界に飛ばされて、一緒に生きてきた仲間達。
このまま変わらずに、これからもずっと一緒だと思っていた。
誰かがいなくなるなんて考えた事も無かった。
慌ただしく治療薬を振りかけるマコちゃん、ユカリの名前を呼ぶナオミとユキコ。
寝ぼけまなこでテレビ画面をぼんやり眺めているような、他人事のような感覚から立ち直った私は走った。
助けを求めてマラガの街へひたすら走り続け、諦めとほんの僅かな希望を抱えて、息も絶え絶えに村に駆け戻った。
そこで初めてカズヤと出会った。
見た目はどこにでもいるような男の子。
でも、ソフィアさんとアリスを傍に従える普通じゃない男の子。
ソフィアさんの事は噂に聞き知っていた。
バルト王国一の風魔法の使い手。
マラガの組合で飲んだくれる冒険者達が、常々話題にする憧れと羨望の女性、強さに裏打ちされた圧倒的な存在感。
偶然、組合の中ですれ違った時は、息を潜めて後ろ姿を見送り、その後、夢から覚めたように、仲間達といつの日か、ああ成りたいと身の程知らずにはしゃいだものだった。
なし崩し的にではあるが、雲の上の存在だったソフィアさんと一緒に冒険し、彼女から指導を受けられる様になったのは望外の喜びであった。
そのソフィアさんが好意を寄せる男の子。
ふと気づくと、ソフィアさんはいつもカズヤを目で追っている。
いつもは冷静で理知的なソフィアさんが、カズヤに関すると恋する乙女になってしまう。
カズヤに身を寄せて話している彼女は、本当に幸せそうだ。
アリスに至っては、好きという感情を飛び越えてしまっているように見える。
カズヤから離れて、前線基地の診療区画で負傷兵に声をかけながら歩いている姿は、穏やかで優しい慈愛に満ちた教会のシスター。
手当を受けた兵士達が、通り過ぎて行くアリスの後ろ姿をうっとり眺めている。
ところが、カズヤを目にした途端、駆け足で抱き着いて離れようとしない十代の女の子なってしまう。
カズヤに向ける溢れんばかりの愛情表現は、恋とか愛とか言うよりも、心酔とか崇拝とか熱病だとかの言葉の方が似合うような気がする。
ソフィアさんは、人を寄せ付けない険しい崖の上で、風に吹かれながら気高く咲いている孤高の花。
アリスは穏やかな春の野原に咲き誇る可愛らしい花。
この二人から好意を寄せられるカズヤは、いったいナニモノなのだろう?
私の後ろで所在無げにぽつねんと立っているカズヤ。
頼りがいがあるとは言い難い見かけのワリには、意外と統率力があるみたい。
先頭に立って、皆をぐいぐい引っ張って行くタイプではないと思う。
それぞれに合わせて調整しながら、まとめていくのが上手なのかな?
私もそうだけれど、我の強いナオミ、ユキコ、ユカリが、なんだかんだ言いながらも合同パーティのリーダーだと認めている。
私達の我が儘に苦労していたマコちゃんは口にこそ出さないが、肩の荷が下りてほっとしているに違いない。
サナエさんによると、ゲームの中ではそこそこ名前の通ったクランの盟主だったらしい。
どんなクランだったのかはっきりした事は教えてくれない。
カズヤに聞いても。
『そんなたいしたクランじゃないよ。活動していたのがゲーム黎明期で、クラン同士が小学生みたいに公園で砂場の取り合いをしていた頃だったから、逆恨みしたヘンなヤツに絡まれないように用心しているだけだよ』
そんなふうに言葉を濁して逃げて行く。
私達がゲームを始めた頃には、戦争クランと非戦争クランの棲み分けがすっかり出来上がっていた。
それでも、ヒトの噂話やwikiによると、当時は相当混乱していたみたい。
ゲームなのに、ゲームどころではない状況に辞めていくプレイヤーが後を絶たなかったらしい。
その頃の事を武勇伝のように語る古参と呼ばれるプレイヤー達もいた。
直接の係わりは無かったけれど、『Line of the fool』の名前くらいは知っている。
混乱の元凶であったクランは、私達がゲームをしていた頃もいろんな戦功ランキングのトップを独占し続けていた。
そして有ろうことか、この異世界では国を一つ乗っ取ってしまった。
カズヤとサナエさんのひそひそ話を盗み聞きした断片から察するに、どうやらカズヤはその『fool』と係わりがあるらしい。
秘書官の様にカズヤの斜め後ろに付き従い、盟主様と呼び続けるサナエさんは、そのクランを再興するのが野望のようだけれど、カズヤは相手にせず突っぱね続けている。
ゲームの中の事とは言え、『fool』相手に暴れまくるカズヤは、ちょっと想像できない。
そんな事を秋風に吹かれながら考え、私の背中で困り顔をするカズヤを感じていた。
今、私がカズヤに対して取っている行動は、単なる八つ当たりだ。
それは分かっている。
私が腹を立てているのは自分自身、カズヤが下手に出ている事を幸いに、やり場の無いイライラを母親に甘える子供のようにぶつけているだけ。
八つ当たりなのは、分かっている。
分かっているけれども、理性と感情は別モノだ。
出会った時からカズヤは私達よりも強かった。
『お前らはいいよな、チートスキルが使えてさあ』
などと、いつも不満をこぼしているけれど、私から言わせれば、カズヤは私達の様に頭の中のシステムメニューに頼らなくてもずっと強い。
初めて会った時から、頭一つどころか二つも三つも飛び抜けていた。
私、ナオミ、ユキコ、前衛の三人が文字通り、束になってかかっても敵わなかった。
カズヤとクリスさんの木剣がぶつかり合う音が前線基地の中に木霊する。
圧倒的な強さのクリスさんに対して、あの手この手でカズヤが巻き返そうとしている。
終始クリスさんが押し込む一方的な展開。
それでも、私だったら打ち合う事すら出来ずに倒されていただろう。
カズヤとの稽古を終えたクリスさんに駆け寄って、私も手合せして欲しいと頼んだら、肩越しにチラリと一瞥され、『ケガさせちまいそうだ。やめとくわ』そう言って、手をヒラヒラさせながら水飲み場へ歩いて行ってしまった。
悔しかった。
相手にしてもらえなかった。
女、子供扱いされたのではない事はわかっている。
こちらの世界の人達はいったん剣を抜けば、年齢、性別は一切考慮しない。
単純に私の実力が無いだけだ。
カズヤとの力の差は、縮まるどころか、広がっていくばかり。
気持ちだけが先走っていた。
強く成りたかった。
何だかんだと嫌がるカズヤを引き摺って山へ入って行くクリスさん達を見送った後、私達はソフィアさんの指示に従って山裾で展開する軍隊の陽動作戦に参加したり、ナオミやユキコとソフィアさんの指導を受けながら剣を振っていた。
「エリカ、焦っちゃダメ。カズヤにはカズヤの戦い方、エリカにはエリカの戦い方があるんだから。目の前の事に集中しないとケガするわよ」
ソフィアさんが、汗を拭きながらため息をつく私にそっと近づいて、静かに諭してくる。
何もかも見通すような切れ長の眼から逃げるように、汗の染み込んだ布で顔を隠す。
「うん、でも、このままじゃ・・・」
「エリカだって、ちゃんと強くなってるわよ。それは自分でも分かるでしょ?」
「それは分かってるんだけど・・・」
「焦らないで。エリカはエリカ、カズヤはカズヤ」
ソフィアさんにそう言われて頷いたのに、バカやっちゃった。
穴が有ったら入りたいとは、こういう気持ちの事だろう。
どっかにちょうど良さそうな穴はないかしら?
あの時の自分の前に現れて『頭を冷やせ』って叫んで、思いっきり張り飛ばしてやりたい。
そんな持て余した自分の感情をカズヤにぶつけていたら、なんとなく気が晴れてきた。
冷静になったらなったで、今度はカズヤに八つ当たりした事を後悔して、またもや抑え切れ無い感情がこみ上げてくる。
私って、バカだなあ。
改めてそんなふうに思い、空を流れて行く雲を目で追いながらカズヤと話していたら、空を飛んでこちらに近づいて来る何かが見えた。
≪カズヤ≫
前線基地の上空をゆっくり旋回しながら下りてくる三つの飛行体。
兵隊達も仕事の手を停めて、上を見上げている。
細長い胴体、硬質な羽、風に揺れる長い尾。
そして、その背中には、ゆったりと手綱を握る人影。
逆光で細部は、まだ分からないが大型の鳥類ではなさそうだ。
騒ぎを聞きつけたアーロンさんが天幕から出て来て、手のひらで作ったひさしを額に当ててじっと見ている。
「場所を空けてくれ!」
空から聞こえてきた声に兵隊達が、一斉に動き場所を譲る。
滑空しながら徐々に高度を下げ、戦闘機のソフトランディングのように地面に足を付ける。
鉤爪で地面を削り取り、羽をばたつかせて着陸の勢いを殺し停止した。
「この部隊の指揮官に会いたい」
飛行生物の背中から降り立ったのは、浅黒い肌の南部エルフの男性。
「俺だ」
アーロンさんが野次馬を掻き分けながら進み出る。
「私の名前はレンリ、王都への定期便の途中だ。差し支え無ければ休憩の為に場所をお借りしたい」
「いいだろう。そいつらには水を張ったタライ。竜騎士の方々には天幕の中に熱いお茶を用意させよう」
「ありがたい。空の上の風はひどく冷たくてね。いくら自己強化しても体の芯まで染み込んでくるんだ」
「こちらへ」
指揮官らしき南部エルフは、二人の部下と幾つか打ち合わせをした後、アーロンさんの後に続いて天幕の中へ入って行った。
ごつごつとした厚く硬い皮、羽毛の無いコウモリのような翼。
胴体は大型の馬くらいの太さ、そこから伸びる長い尾。
空を飛ぶ爬虫類。
「竜?」
「ちょっと違うわ。翼竜って呼んでいるけど、ドラゴンよりはトカゲに近いの、翼の生えたトカゲね」
いつの間にか俺の後ろにいたソフィが教えてくれた。
「へ~、初めて見た」
鋭く尖った鉤爪と口から覗く大きな牙。
翼の生えたトカゲ、そんな可愛いモノじゃないと思うが。
残った南部エルフに乾いた布で体を拭かれ、タライの中に頭を突っ込んで、ガフガフ言いながら水を飲んでいる姿は、ウチのシリウスと大差ない気がしてくる。
もっと良く見ようと近づいたら。
「待った。そこで止まって。こいつは気性が荒くてエルフ以外には懐かないんだ。それ以上近づくと尻尾で跳ね飛ばされてしまうぞ」
「おっとっと、すんません。つい夢中になっちゃって」
エルフの人に注意されてしまった。
慌てて後ずさるが、タライから顔を上げた翼竜と目が合ってしまう。
あれ?なんかマズイ予感。
こちらを向いた翼竜が、俺に向かって突進してきた。
「おわっ!」
やっちまった。
そう思いながら、身構えて衝突に備える。
が・・・。
「およよ?」
寸前で停止し、頭を下げてゆっくり近づき、俺の腹に頭を当ててこすりはじめた。
残りの二匹も寄ってくる。
「な、なんだ?お前達、ひょっとして撫でて欲しいんか?」
甘えて、なでなでを要求してくるシリウスに似ているので、手を差し出したら、鼻づらを押し当ててくる。
むぅ、こうして見れば、可愛くなくもナイかも?
気性が荒くて懐かないって言われたけれども、こいつらだけ人慣れしてんのかな?
俺は、ヘビとかトカゲとか、爬虫類的なモノは苦手なんだけれども・・・。
「ね、ねえ、カズヤ。大丈夫なの?その・・・、私も触れるかな?」
後ろの方で見ていたエリカが進み出て、おずおずと手を近づけると、今まで大人しく撫でられていた翼竜が『シャアッ!!』と首を振って牙を剥きだし、鳴き声をあげ威嚇する。
「こらっ!」
思わず、ぺしっと翼竜の頭を叩いてしまった。
ありゃ、なんだかしょんぼりして首を下げている。
「ごめん、ごめん。お前ら、こいつ俺の仲間。触ってもいいか?」
エリカの手を取って俺の手と一緒に頭の上に乗せる。
今度は、大丈夫そうなので俺の手だけ引っ込める。
おっかなびっくりエリカの差し出した手におとなしく撫でられ続けていた。
≪ソフィア≫
目の前の光景が信じられない。
竜騎士が『人には懐かない』と言っていたが、『人にもエルフにも懐かない』のが正解だ。
もともと魔物である翼竜は、懐いたりなどしない。
性格は荒く、口に入る物は何でも食べる。
知能も高く、人間の村を集団で襲う事もある。
上位種であるエルフの郷の山奥に棲む双角竜から、エルフに従うように命令されているだけ。
守護竜の好意で、エルフに貸し与えられているだけだ。
それを知っているエルフは翼竜を決して粗雑に扱ったりしない。
二人の竜騎士も、カズヤにじゃれつく翼竜を唖然として見ている。
「ちょっと、ソフィ。どいうこと?あんたの旦那、いったいナニモノなワケ?」
私の横に立つドロシーも困惑している。
「わからない・・・。私もこんなの初めて見た・・・」
「カズヤ!私も撫でたい!私もー!」
後から来たアリスが声を上げ、私の横を通り過ぎて駆け寄っていく。
アリスが翼竜の鞍に手を掛け背中に登ろうとした時は、さすがに慌てた竜騎士に取り押さえられていた。
ホントに・・・、どういうコトなの?
≪エリカ≫
翼竜の背に跨った竜騎士が、片手を上げて別れの合図を送ってくる。
太陽の光を受けて、羽飾りのついた兜が眩しく輝いている。
一声叫んだ翼竜が、翼をはためかせ、土を蹴り上げて空へ駆け上がる。
あっという間に、雲を突き抜け、空の彼方へ消えていってしまった。
「エリカ、他人の戦いを見るのも勉強の内よ、しっかり見ておきなさい」
「あ、はい。ご、ごめんなさい」
目に焼き付いた光景をいったん振り払う。
もう見慣れたカズヤとクリスさんの練習風景だけど、またカズヤがナニかやろうとしている。
腰に吊るした鞘を左手で抑え、鞘に納めたままの剣の柄を右手で握り、膝を曲げ、腰を落としている。
居合抜き?
素人が見よう見まねで使えるような技じゃないと思うけれど・・・。
居合は、もともと狭い場所で座った姿勢から立ち回る事を想定して磨かれてきた技のはずだ。
剣を背中の後ろに隠し、相手に間合いを悟らせないようにするなど言われているけれども、いつも一緒に訓練をしているクリスさんには、さほど効果は無いと思う。
どう見ても、いつもの木剣だし。
カズヤはどういうつもりなのだろうか?
カズヤが足を踏み出す。
始まった。
「せやあっ!」
掛け声と共にカズヤが、右手の剣を振り抜く。
「「え?」」
予想外の出来事に、ソフィアさんと私、二人そろって気の抜けた声を出していた。
クリスさんの顔目がけて何かが飛んでいた。
剣の鞘だった。
カズヤが放った必殺技?は、少し体をずらしたクリスさんに難なくあしらわれていた。
躱される事は織り込み済みだったのだろう。
発射された鞘を追い抜く程のスビードでカズヤも飛び出していた。
避けたクリスさんにカズヤが連打を浴びせている。
あれ?
今の攻撃は、ユキコが得意としている上段、中段、上段の三連撃スキルに似ている。
いつの間に?
攻防は一転し、反撃を耐え凌ぐカズヤの左腕が不自然に動いた。
クリスさんの後方から何かが飛んでくる。
・・・・・・。
カズヤが戦闘開始と同時に放った鞘だった。
細い糸で結んでおいたらしい・・・。
だが、起死回生を狙ったカズヤの隠し玉?もやはり躱されていた。
「くそうっ!」
心底悔しそうなカズヤの声が聞こえる。
どうやら、本気で逆転を狙っていたらしい。
あいつ・・・、ナニ考えてんのかしら?
「エリカ・・・、ああいうのは、マネしちゃだめよ」
「はい・・・、でも、クリスさん、今のよく躱しましたね。後ろに目が付いてるみたい」
「たぶん、何かある、って警戒してたんじゃないかしら。それに、ほら、カズヤって、ああいう小細工を仕掛ける時、いかにも『イイコト思いついた』って、悪戯っ子みたいな顔する時あるでしょ?」
「そうかな・・・」
相変わらず、ソフィアさんはカズヤの事をよく見ている。
「でも、ああやって、何とかしようと足掻くのは悪い事じゃないわね。方法はアレだけれども・・・。あ、繰り返すけど、エリカはマネしちゃだめよ」
「うん」
めまぐるしい攻守交代が繰り返されが、結局、いつも通り地面に転がったのはカズヤだった。
≪カズヤ≫
「くっそー、勝てねぇ!」
夕食の席、いつもの様に、目の前に積まれた肉の山にフォークを突き刺す。
やけ食い気味に口の中に放り込み、苦味の濃いお茶で腹の中へ流し込む。
「カズヤ、お前、しばらくは仕込み技禁止な」
「えーーーっ!」
俺の向かい側に座って、ちびちび酒を飲んでいるクリスさんにダメ出しされた。
「小技を使う機会を狙いすぎて、基本が疎かになっちまってるじゃねぇか。少なくとも、ここにいる間は使用禁止」
「ちっ、だって、そんな事でもしないとまるで歯が立たねぇんだもん」
次は、煙玉でも投げつけてやろうかと思ってたのに・・・。
「カズヤ、焦らなくてもちゃんと上達してるわよ。あれだけクリスと打ち合える剣士は、なかなかいないのよ」
さすがソフィ!さり気ないフォローが疲れた心に染みわたる。
「えっ、そ、そう?俺って・・・」
「ソフィ、カズヤはおだてるとダメになるタイプだ。あまり甘やかさない方がいいぞ」
「ちっ・・・」
アホクリスが余計な事言うから、ソフィが笑いながら俺の肩に当てた手を引っ込めてしまったではないか。
せっかく良い感じだったのに。
「それにしても、今日は珍しいモン見れたな。カズヤは翼竜を見たの初めてだったんだよな?」
「うん」
「そうか・・・、初めてか・・・」
「ん?どうかしたの?」
「いや、なんでもねぇ」
なんか珍しいな、クリスさんが、言葉を濁すなんて。
あの翼竜に何かあるのだろうか?
「ところでさ、クリスさん。翼竜がいるなら、空の上からゴブリンの山をささっと偵察してもらえば良かったんじゃないの?」
「バカ言うな。自分達の頭の上でエルフを乗せた翼竜が飛んでたら、さすがに何か有ると思うだろ。せっかく苦労して正面に集めた連中が奥に引っ込んじまう。それにな、カズヤ、翼竜ってのは、王国にとっても、エルフにとっても貴重品なんだ。今、王国内に預けられている数は・・・、え~と、どのくらいだっけ、ソフィ」
すっかり陽が落ちた前線基地の中、天幕の突っ張り棒に吊るされたランタンの灯りが兵隊達の影を作る。
「だいたい、七十~八十匹くらいかしら?百はいないと思う」
俺の隣で足を組んで座っているソフィが、ちょっと考えてから答えた。
「翼竜部隊ってのは、エルフの軍隊の中でも精鋭部隊だ。今の所、その翼竜部隊を貸与されているのは、シルチス、アウソニアを差し置いてバルト王国だけ。魔境の偵察、緊急時の長距離伝令、ここぞという時の上空からの援護。バルト王国と同じく魔境に接しているシルチスなんぞは喉から手が出る程欲しいだろうな。その翼竜部隊をこんな場所で運用して何かあったらアーロンの首が飛んじまう」
「まあ、そこまで無茶はしないでしょうけどね」
「ふ~ん。何でバルト王国だけ優遇されてんの?」
クリスさんが飲んでいる酒を俺も少し頂いてみる。
焼酎の果汁割りかな?
程よい甘味とお酒の苦みがちょうど良く合っている。
「確か・・・、前の前の王様の御妃様がエルフなんだったかな?」
「そうよ。昔、この国で内乱が起こって政権が交代した時、今のバルト王家に手を貸したのがエルフね。バルト王家成立を祝い、両国の繋がりをより深くするために輿入れしたって聞いてるわ」
政略結婚ってやつだな。
「へ~、いろいろと繋がりがあるんだ」
「そうね」
≪エリカ≫
隣のテーブルから聞こえてくるカズヤ達の会話に耳を傾ける。
エルフの精鋭部隊か・・・。
今でも目に焼き付いて離れない。
翼竜の背に跨って手綱を取り、誇らしげに胸を張るエルフの戦士。
大きく力強い翼で風を起こし、大気の壁を突き破るように空へ駆け上る翼竜。
私もあの翼竜を従え、空を自由に飛んでみたい。
竜騎士になりたい。
カズヤがクリスさんと言い合っている。
その隣で優しくカズヤを見つめるソフィアさん。
少し酔っぱらったアリスが、カズヤの背中から首に手を回して抱き着いている。
いつもの夕食の風景。
竜騎士になればカズヤと対等になれるだろうか?
胸を張って堂々とカズヤの隣に立てるだろうか?
今日、クリスさんと打ち合うカズヤを見て、素直に恰好良いと思った。
今更・・・、好きだなんて言えないよね。
ずいぶん間が空いてしまいました。
【追記】
漫画家の吉野朔実さんがお亡くなりになりました。
恋愛、嫉妬、欲望、羨望、人の持つ感情を冷静に分析し、漫画という表現方法で読者に伝える事ができた稀有な作家だったと思います。
その作風は当時から少女漫画の域を飛び出していました。
「少年は荒野をめざす」
「恋愛症候群」
「ジュリエットの卵」
作品の中でも、私の好きな話を例にあげました。
改めて、ご冥福をお祈りいたします。




