第十七話 「ガツンと一発やってみよー」
その日、グリザイユ民主主義人民共和国の首都にある冒険者ギルド、グリモール支部を恐怖と戦慄が支配した。午後の休憩時間が過ぎた頃、国家元首たる魔王陛下と三人の妃殿下の突然の行幸により、全職員と、館内に居合わせた冒険者たちは、全員集合して陛下の入館を迎える役目を仰せつかった。
そして、集まった一同を何よりも驚かせたのは、魔王陛下と、妃殿下が御自ら鎖を引き、連れてきた謎の怪人物の存在である。
「ぐっふぇっへっへっへ! 匂う! 匂うぜぇ! 血と、金の、香しい香りがよー!」
「ひっ! あ、あの~、へ、陛下。この恐ろし気な怪人物は何者なのでしょうか?」
ギルドの名物職員にして、花も恥じらうお年頃のみんなのマドンナ、アイリス嬢(17)は、恐る恐るではあるが、魔王陛下に尋ねるという快挙をなした。だが、彼女の不幸は、正にそこから始まったのだ。
「あ~、見ての通り、冒険者志望の若者だ。おお、そうだ、丁度いいからアイリス、お前が面倒を見てやってくれ」
などと、恐れ多くも魔王陛下直々に仰せつかってしまったのだ。
「はい、これ❤」
と、それまでドヤ顔で鎖を引いていたオードリィ妃殿下から、鎖の先を引き継がされたアイリス嬢は、既に涙目となりながら、気丈にも件の怪人物に向き直って、何やら奇妙な得物を持った彼に問いかける。
「そ、それでは、冒険者登録をいたしますので、こちらにお座りください。ひーん!」
そう、言われた怪人物は、その、手に持った奇妙な得物をなにやら、いじくるとガチャン! と音を立てて変形させた。
(お、おかあさーん! 助けてぇー!)
今は亡き母に祈ったアイリス嬢を誰が責められようか? 見やると、魔王陛下も、妃殿下たちも、ニヤニヤしながら自分を見つめている。その視線に逆に腹の座ったアイリス嬢は、癖のある明るい金髪をリボンで結い直すと、怪人物を正面から見据える。
怪人物は、変形させた得物をドカッと地面に固定すると、なんと、な、なんと、
座った。
「椅子ですか――――――――っ!!」
つっこまずにはいられなかった。
「ドッキリ大成功❤」 と、プラカードを持ってゲラゲラ笑っている魔王陛下をはじめ、妃殿下たちも、もはや箸ころ状態で笑っている。
どうやら、いつものきついジョークだと判ったようで、ギルド内の空気も、弛緩していく。が、
その空気を再度硬直させる光景に、しかも、今度は怪人物の方が硬直した。
スパン! スパン! スパン! スパパパパパバン!!
あろうことか、魔王陛下と妃殿下たちをハリ扇でぶっ叩いた人物が登場したのだ。
「あんたら、よくもあたしのシマでやりたい放題してくれたわね!」
その、恐ろしい剣幕に怪人物、というか、俺は流石に度肝を抜かれた。やっぱ不味かったかなぁ?
「おー! アンナミュール! 相変わらず怒った顔がキュートだぜぇ」
「ウザい!」
再度スパーン! とハリ扇を魔王陛下にかました美女は、こちらに来ると、ジト目で俺の方を見て
「で? これが、昨日後宮に侵入した賊だっての? 何のスキルも持ってない只のガキじゃん?」
「だからだよ。いきなり舐められたら可哀想じゃんか?」
「だから、うちのかわいい職員たちを威嚇したってのかい? ギルドから指名依頼で魔王討伐の依頼、出してやろうか? ええっ!」
「ヒー! 勘弁!」
「酷いよアンナ! お姉ちゃんにまで思いっきり♡」
「うっさい! ザべス! 恋愛脳! あんたも同罪!」
「ひーん」
うわ、あの怖そうなエリザベス様まであの扱い。顔も、体型も良く似た二人だけど、こうして並ぶと、エリザベス様の方がなんか可愛く見えてしまう。この人、もしかしてこの国最強?
「さて、と、あたしが、このギルドのマスター、アンナミュール=ド=ファンシミン様だ。魔王のコネがあるからって、特別扱いはしねぇからな! 冒険者になりたきゃ覚悟決めてやりな! ルーキー!」
「ひーん! マスター! 怖かったですぅ~」
「アイリス! あんたもシャキッとしな! そんなおどおどしてたら、この国じゃ、すぐ男共の餌食だよ!」
「ふぇ~ん! 今度はマスターが怖いですぅ~」
そして、最後はお茶が怖いのだろうか?
「さっさと登録してやんな! スケジュールが立て込んでんだから、いつまでたってもダンジョンに押し込めないだろうが!」
「ふぇ~ん! それでは、こちらに記入してください」
と、手渡された書類は、
「え? 日本語?」
そう言えば、今までも、日本語で会話してたよなぁ? で、文字も日本語? なんか、異世界感が薄れてきたなあ。
「この世界、今は日本人の文化が広く普及してる。だから、メインの言葉は、日本語なんだよ。古い人だと、これにスペイン語だのラテン語だののちゃんぽんになっていくから、段々話が通じなくなっていくけど、そこらの町中なら大体日本語で通じるぜ」
と、魔王様が教えてくれた。
そんなわけで、早速書類を記入していくと、
「ふーん。なかなか綺麗な字を書くじゃないか。アイリス! あんたも、この位書ければもう少し使い手があるのにねぇ」
「ふえ~ん! とばっちりですぅ~」
などと外野で五月蠅くされてしまって困ったが、取りあえず記入し、アイリスさんに預けると、
「ふぁい! 承りましたぁ~」
と、受け取って、マスターさんに捺印してもらい、
「こちらの書類を持って中庭にてお待ちください。そちらで教導官による講習を受けて頂きます。講習終了の判を押した書類と引き換えに発行されたギルドカードと交換いたします。ギルドカードを受け取った時点でEランク冒険者としての登録を完了しますので、その時点から依頼を受けることができます。ただし、クリスさんの場合は既に十日間のダンジョン探索が義務付けられておりますので、その期間別の依頼を受けることは出来ません。以上、ご確認の上、不服が無ければ中庭へどうぞ」
そう一気にしゃべったアイリスさんは、やりきったドヤ顔で書類を渡してきた。これを持って中庭か。
建物を出て中庭を見渡すと、中央にあるマット上に筋肉達磨が鎮座して待っていた。
「ようこそ、ルーキー! 地獄の一丁目に」
カッ! と、目を見開いた筋肉達磨は、剣呑な声音で、そう囁いた。