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【完結】婚約破棄された令嬢は、毎朝パンを買いに来る無口な騎士が自分を好きだとは知らない  作者: 夏灯みかん


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1.「やはり妻にするなら、貴族の女性がいい」

「セシリア。――婚約を解消したい」


 向かいに座る婚約者のオスカーからそう告げられても、セシリアはすぐには意味を理解できなかった。

 ここはオスカーの暮らす子爵家の応接室。

 屋敷に招かれるのは久しぶりだった。

 新しいドレスに袖を通してやってきたセシリアは、テーブルの上の紅茶を見つめた。

 先ほど使用人が運んできたばかりの紅茶からは、まだ湯気が立っている。


「……婚約を、解消?」


「ああ」


 聞き返すと、オスカーは気まずそうに視線を逸らした。


「君に何か大きな不満があるわけじゃない。ただ……僕もいずれ子爵家を継ぐ。妻には、やはり同じ貴族社会で育った女性を迎えた方がいいと思うんだ」


 セシリアは膝の上で両手を握った。


(……そういうこと)


 セシリアの父は、王都でいくつもの店を営む商会の主だ。

 暮らし向きだけなら、下手な貴族よりよほど裕福だろう。

 それでも、セシリアは貴族ではない。


「……そう、ですか」


「僕は、他に結婚したい女性がいるんだ」


「……レベッカ様ですか」


 セシリアには心あたりがあった。先日の夜会で、セシリアを置いてオスカーがずっと話していた女性。オスカーは言葉を濁した。


「……レベッカとは、以前から気が合っていてね。彼女も僕のことを好いてくれている」


「……そうだったのですね」


 喉の奥がひどく乾いている。

 それでもセシリアは、いつものように微笑もうとした。

 オスカーの婚約者になってから、ずっとそうしてきた。


 商人の娘だからと、彼に恥をかかせてはいけない。

 そう思って、貴族の作法を必死に覚えた。

 オスカーが話しているときには出しゃばらず、何か意見があっても一度飲み込んだ。

 食事に行けば、自分が食べたいものではなく彼の好みに合わせた。

 夜会で、父の商会が扱う新商品の話題を振られたときも、本当はたくさん話したいことがあったが、当たり障りのない返事だけで済ませた。

 商売の話ばかりするなんて、やはり商人の娘だと思われるのが怖かったからだ。


「セシリア」


 オスカーはセシリアを見つめた。


「……君は、昔より随分つまらなくなった」


 一瞬、息が止まった。


「何を聞いても『オスカー様のお好きなように』だろう? 何をしたいのかも、何が好きなのかも、まるでわからない。君といても……正直、楽しくないんだ」


 セシリアは、何も言えなかった。


 ――そんな。


 あなたに相応しい女性になりたくて、そうしたのに。

 今日だって、久しぶりに会えることを楽しみに、新しいドレスを選んできたのに。

 口にまで出かかった言葉を飲み込んだ。


 オスカーの隣に立っても恥ずかしくない女性になろうと、ずっと頑張ってきた。

 ――自分の好きなものも、気持ちを表す言葉も飲み込んで。

 

 ……けれど、それを口にしたら。

 きっとまた、彼を困らせてしまう。

 

 セシリアは膝の上で握っていた手をゆっくりほどいた。

 それから、何度も練習して身につけた淑女の微笑みを浮かべる。


「……承知しました」


 それだけ言うのが、精一杯だった。



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