16.三社祭の季節
5月になると、東京の下町は落ち着かない空気をまとう。墨田区向島にある長屋カフェも、例に漏れない。
「三社祭の季節がやってきました~!」
ふぅー! と上がるテンションをたずさえて、朋子が声をあげる。
長屋カフェの閉店後、3店舗が集まる会合が行われていた。16時過ぎ、おにぎりころろに5人全員+シャルルが集まった。
「やってきた~って、全員初めての三社祭じゃないですか」
あはは、と泉羽が笑う。
三社祭とは、5月にある浅草神社を中心に行われる華やかな祭礼で、3日間で80万人の人出が見込める……と、浅草神社のホームページに書かれていた。
「でも、隅田川の向こうの話だし……どれくらい影響あるんでしょうね?」
のんびりした口調で、聡が言う。この会合のために、透明のプラカップにさまざまなお茶を入れて持ってきてくれた。
結心は、聡の一押しだというダージリンを飲んでいる。紅茶のシャンパンと呼ばれるダージリンは、マスカットのような甘い香りが特徴的……と、聡が教えてくれた。
普段飲んでいるものと違い、深みのある味わいだ。香りが体を満たすようにゆっくりと味わう。
シャルルは丸い手で自分のアゴらしき部分をなでる。
「向島にはあんまり関係ないな。スカイツリー含め観光客も増えるが、向島の住宅街に用がある人はいない。しかし浮かれた街の様子にあわせて、地元民も財布のひもが緩みやすく外食志向が高まる傾向ではある。特に3日目は早朝から宮出しが行われるから、見物して帰宅がてら長屋カフェで朝ごはんに買って自宅に戻る人もいる」
テーブルの真ん中に座り、みなの中心となっているシャルルが助言する。長くこの長屋カフェにいるだけあって、説得力がある。
三社祭は、浅草一帯が会場となるが、隅田川は一切超えてこない。
それでも長屋カフェにはそれなりに需要はあるようだ。無関係とは切り捨てられない。
「せっかくなら便乗して、一発大儲けしたいわね!」
朋子が目を輝かせて、なんのオブラートにも包まない言葉を放つ。
直接的でなんだか下品……と口に出しかけたものの、泉羽と大輝、聡が頷いたことでぐっと飲み込んだ。
「飲食店てさ、もちろん一番は『自分たちの料理で食べてくれた人を元気にしたい!』っていう思いがあるからやるわけじゃない? でも、お金がない事にはその志も長くは続かなくなるのよ」
何か言いたげな結心の心中を思ってか、朋子が言い訳するように言う。
「本当に。おいしいもので誰かの心を癒せても、お金がないとわたしたちの心はすさんでしまうもの。わたしたちも、お客様も、みんなで笑顔でいられるようにお金は稼げるときに稼がないと」
「稼ぎたいっすね」
普段は口数の少ない大輝がしみじみと言う。
しょせん朋子に雇われている結心には、わかりえない感情だった。けれど、お店を経営している人にとって、売上がたたないと店を続けることはできない。
会社員感覚が抜けない考えであったことを、結心は心の中で恥じた。よかった、「下品」だなんて口に出さなくて。やっぱり、沈黙は金だ。
「僕は、早く旅の資金を貯めたいな~」
黒縁の眼鏡をくいっとあげながら、聡が夢見るような顔をする。ここにいる誰の顔も見ていない。ふわりと遠くを眺めているような表情だ。
ふいに、心臓がひやりと凍り付く。旅。
いつまでも、聡が長屋カフェにいるわけじゃないんだ。自由を愛する聡が、ひとつの場所に留まれるわけがない。必ず別れがくるのだと思うと、冷たい何かが体に沈み込んでいくような気になる。
勝手に落ち込む結心をよそに、経営側の3組はわいわいと相談している。
「シャルル~なんかいい案ない? コンサルタントなんでしょ」
朋子が、ぐいっとシャルルに顔を近づけて圧をかける。それには動じず、シャルルは落ち着いた様子で答えた。
「コンサルしているつもりはない。この長屋カフェに詳しいだけだ」
「じゃあ、歴代の長屋カフェの人たちがなにをしたのかくらいは教えてよ」
「特別なことをした人は知らない。いつも通り営業していただけだったように記憶している。あまり覚えてないがな」
「そうなんだぁ……」
がっかりしたような声を泉羽があげる。
長屋カフェができて5年ほどと大昔でもないのに、覚えてないんだ。結心はひっかかるが、シャルルは話を続ける。
「そもそも、これまでの長屋カフェの人々は協力するという感覚がなかった。各々が自由にやっていた。なにせ出入りが激しいしな。協力しあっているここの3組が特別なのだと思う」
シャルルは、5人の顔を見回す。
それはそうか。入れ替わりの激しい長屋カフェで、深く協力体制を敷くのは難しいだろう。
でも、普段から協力しあっている3組なら、これまでにないことができるんじゃないだろうか。結心は頭をめぐらせる。
三社祭みたいに、楽しく盛り上がって、お客さんがつい財布をひらいて何かを買ってしまうタイミング。お祭り……ときたら。
はっとひらめくものがあった。ちょっと、面白いかもしれない。
でも、それを口に出すと面倒なことになりそう。言わないでおこう。
結心が自分の意見を心にとどめておこうとしたけれど、朋子がそれを見逃さなかった。
「なによ結心。今、いいこと思いついたって顔したけど? 言ってみなさいよ」
なぜこんなにも顔に出やすいのだろう。自分の習性を恨む。
「……ないよ、そんなの」
「あるでしょ! お母さんを謀ろうなんて100年早いよ!」
「たば……」
BSで見ている時代劇に影響されたような口ぶりで攻め立てられる。ここでとぼけても、朋子が逃がすはずがないと結心は知っていた。さっさと口にしてしまおう。
「……3組で協力してお祭りの屋台を出したらどうかなって……」
なーんだ、そんなことか。そんなのとっくに思いついていたけれどやらないだけだよという反応を期待したけれど、4人とシャルルがぱっと顔を輝かせていた。
「結心も、面白い事言うようになったじゃないの!」
朋子は奥の銀歯が見えるくらいにいっと笑う。泉羽は、白い歯を見せて大輝を向いた。
「いいね! お祭りと言えば屋台。みんなで屋台を出そうよ!」
「屋台か……いいな。つい財布のひもが緩む言葉だな」
表情は変わらないが、大輝は乗り気のようだった。
「結心さん、いいね。せっかくなら楽しまないと」
聡まで、わくわくとした様子でお茶を飲んでいる。
「あ、いや……」
お祭りの屋台となると、準備が大変になりそうだ……めんどくさいことを言ってしまった。
普段の結心は、余計なことはしない主義だった。それなのに。
……だって、真剣に「食べてくれた人たちを癒したい」「お店を盛り上げたい」って願っている人たちの力になりたいって、思ってしまったから。
「そうと決まれば! 準備、忙しくなるわよ~」
わいわいと、楽しそうに作戦会議を始める面々。シャルルがとことことテーブルの上を歩き、結心に声をかける。
「ずいぶん、お店に馴染んできたな」
よかったよかった、とシャルルは丸い手で自らのアゴをさすりつつ、作戦会議に加わった。
お店なんて、実家に置いてもらうための手伝いでしかなかったのに。すっかり住人のようになってしまった。




