7. ガスパルの留守
爽やかな澄んだ空気の中、静かに風が吹いた気がした。
デールは木剣での素振りを止めて、「へぇ」と雲一つない空を見上げる。
「……ん?」
動きやすい、男の子みたいなズボンにシャツを着たエリーゼは、不思議そうにデールを見て動きを止めた。
「どうかしたの?」
首を傾げると、ポニーテールに結い上げた青い髪がしなやかに揺れる。
「いや、アンジェは面白い結界を張ると思ってさ」
「結界?」
デールは頷く。
「なかなか高度なやつだ」
「きっと、父さまが出かけたからだわ」
エリーゼは、チラリと家の方を見る。
さっきまで、二階の窓から手を振っていたアンジェリーヌの姿はない。
それを知ってか、デールはポイッと木剣を投げると草の上に倒れ、大の字になって伸びをした。悪魔に剣の稽古は必要ないが、律儀にエリーゼに付き合ってくれている。
「そろそろ休憩にしよっか?」
「ああ!」
パッと目を輝かせたデールの視線は、おやつが入っているカゴだ。掛かった布の下から、ほんのり甘い香りがしている。
エリーゼも、ちょこんとデールの隣に座った。
無邪気におやつを頬張る姿を眺めつつ、デールの言った事に思いを巡らす。
(結界かぁ……)
最近、ガスパルは家を空けることが増えた。
学費を稼いでくれようとしてるのか、学校を探しているのかは分からない。聞いても濁されるし、子供のエリーゼがあまり突っ込むのは不自然だ。
ただ……ガスパルが出した条件とはいえ、原因がエリーゼにあることは間違いないから、申し訳なく思っていた。
ある程度、訓練のメニューを繰り返し、エリーゼとデールが慣れてきた頃。
ガスパルは、暫く家を留守にすると言った。
「懐かしいお友達から連絡が来たのよ〜」と、ニコニコ送り出したアンジェリーヌは、きっと理由を知っている。
が、聞いたところで無駄だ。笑顔で上手くはぐらかされるだろう。
「高度って、そんなに凄いものなの?」
「ああ。これが国全体に張られたら……その国は安泰だろうな」
「国って……。さすがに、そんな広範囲はねぇ」
一瞬、アンジェリーヌなら出来てしまいそうな気がして、ブンブンと頭を振った。
「まあ、無理だろうけど」
「……うん」
「聖女でもあるまいし」
「そ、そうよねっ!」
デールの言葉に少し胸を撫で下ろす。悪魔なら、そっち方面には詳しいだろう。
万が一にも聖女の娘とか、高貴な血筋どころの騒ぎじゃない。ややこしい事に巻き込まれるに決まっている。
エリーゼ……と言うより、根本的な前世の性格のせいか、見て見ぬ振りは出来ない。
聖女ではないが、なまじ能力があり結果的に若くて命を落としたこともある。
――チクンと胸が疼いた。だが、何度繰り返しても同じ選択をするだろう。
(いつかデールに話せたら……呆れられる気しかしないわ。でもまあ、今の私にはそんな力はないし。余計な心配ね)
エリーゼも、パクリとクッキーを口に放り込む。
「で、この結界の何が凄いの?」
「ん? そうだな、まず魔物は入って来られない。あとは、黒魔法の所持者。結界を張った者への悪意は、それが生じた時点で自然と結界の外へ飛ばされる……。それ以外は出入り自由で普段通り、ってとこかな?」
(はい? 自然と……って何?)
「……それ、普通じゃないわよね?」
「だから、面白いって言ったろ」
「確かに、言ったけど……。ん? 黒魔法?」
「ああ」
そもそも悪魔との契約は、悪魔が使う黒魔法によって成されるものの筈。黒魔術で贄を捧げ、契約した人間でも使うことは可能だが。
どちらにせよ、結界に弾かれる対象なのではないかとエリーゼは思った。
そんなエリーゼに、デールはニヤリと笑う。
(あ、これは……聞いてほしいのね)
「じゃあ何で、デールはここに居るの?」
「それだけ、オレはすんごい悪魔ってこと!」
ドーン!と胸を張る。
「私と契約しているからじゃないの?」
何となく意地悪を言いたくなった。
「ま、まあ。それもあるけどなっ」
「でも、デールは凄い悪魔なんだ」
「そうだ!」
ドヤ顔をするデールに、エリーゼは笑いを堪える。
(単純……。やっぱり、デールって可愛い!)
しばらく、そんな他愛もないやり取りを続けた。
カゴが空っぽになると、エリーゼは訓練を再開しようと立ち上がったが、デールは何か考えている様で動かない。
「だけど、この中じゃ……な」とデールはボソっと呟く。
「え、何?」
「いやさぁ。せっかくガスパルも居ないし、エリーゼにオレの力を試させたかったんだけどな」
「あ、前に言っていたやつ?」
「そっ。オレ自身が使うなら問題がないけど、人間のエリーゼが使うと……こいつが反応しそうだからな」
何もない青空を、ちょっと不服そうなデールは顎で指す。
「そうかもしれないわね。でも……きっと、母さまも頑張って結界を張ってくれている筈だもの。また、折を見て教えてくれる?」
「まあ、そうだな」
「ふふっ、楽しみにしてるから!」
「よし、任せとけっ」
満足そうに立ち上がったデールと、今度は次のメニューの打ち合いを開始した。
手に響く衝撃を感じながら、目の前のデールを見てエリーゼはふと思う。
(そういえば。もしも、あの日にこの結界が張られていたら? ……デールと出会うこともなかったかもしれないわ)
ただの偶然かもしれない。
――でも。
今世の人生は、今までとは何かが違う。そんな予感がしていた。
お読み下さり、ありがとうございました。
だいぶ期間が空いてしまいました。
すみませんm(_ _)m