5. 説得中
――ドンッ!!
とガスパルがテーブルを叩いた瞬間、置いてあった木製の食器が宙に浮き、ガシャガシャと音を鳴らす。幸い夕食は終えたばかりだったので、こぼれる物はなかった。
ガスパルの強く握った両手は、テーブルの上でわなわなと震えている。
「……エリーゼは、この家が嫌なのか? そんな……出て行きたい程に?」
野太い声は少し掠れていた。
俯いているのでどんな表情かはわからないが、ガスパルは怒っているのではない。エリーゼからは見えなくても、相当なショックを受けているのが伝わってきた。
(えーと……)
エリーゼは困り顔で、話を続ける。
「父さま、あの……。私は、家を出たいわけじゃなくて学校に行きたいんです」
その一言に、ガスパルは悲壮感あふれる顔を上げ、更にぶわっと涙を浮かべる。
(あぁー……)
外見とのギャップにエリーゼとデールは戸惑っていた。
だが、さすが夫婦と言うべきか、妻であるアンジェリーヌはそんな夫を見ても動じていない。
エリーゼは一つ目の願いを叶えてもらった後、学校について色々と調べてみた。
そして、ある程度絞ってから両親に話し出した……直後に、この状態になってしまったのだ。
(こんな反対の仕方……想定外すぎだわ)
もっと、威厳のある態度でガツンと反対されると思っていた。いくつか反論も考えていたが、これでは調子が狂ってしまう。
「学校なら、もっと近くに通える場所があるじゃないか!」
ガスパルの隣に座るアンジェリーヌの方が、余程落ち着き払っていて、なだめるように優しく口を開いた。
「あらあら、ガスパルったら。エリーちゃんはきっと何か目標があるのよね?」
柔らかく微笑むと、アンジェリーヌはガスパルの涙を拭いてあげた。
「はい。私っ、将来は父さまの様な立派な騎士になりたいのです!」
エリーゼの宣言に、目を見開くガスパル。
「なっ――!? どっ、どうしてそれをっ! お、俺は騎士じゃなく、平凡な農夫だろうっ」
デールはエリーゼの背後で、『平凡な農夫って……』と笑いを堪え肩を震わせている。
その小さな呟きは、エリーゼ以外には聞こえていない。思わず肘でデールを突いた。
どう見ても普通の農夫じゃないのを、当人以外は皆知っているのだから。
ガスパルとアンジェリーヌ。いかにも訳ありげな二人を、この集落の人々は温かく迎え入れてくれた。
特に年寄りが多い地域のせいか、頼り甲斐のあるガスパルと、美しく皆に優しいアンジェリーヌはとても好かれている。
だから、誰も過去のことを尋ねたりしなかった。
ガスパルが農夫と言うならそうなのだと。アンジェリーヌが平民だと言うならその様に接したのだ。
そんな優しい土地で、二人はエリーゼの成長を望んでいた。
「ねぇ、ガスパル。エリーちゃんにはエリーちゃんの人生があるのよ。私達もそうだったじゃない?」
「………」
「エリーちゃんには、ここに帰る場所がちゃんとあるのだもの。少しくらい、冒険するのも悪くないわ」
「騎士なんて命懸けだ。生半可な気持ちでなるものではないっ」
誰よりもそれを知っているからこそ、ガスパルは反対している。
エリーゼは、命を軽んじているわけではないが、それでもやってみたかった。
転生前に幾度となく守ってくれた者がいたのだ。
今は、逆に誰かを守れる能力があるのに、それを使わずのほほんと生きるなんて出来そうもない。これが最後だと思えば特に。
「生半可な気持ちではありませんし、簡単に命を落とすつもりもありません。その為に強くなりたいのです。もしも、素質が無ければ諦めます」
つい、大人びた口調になってしまった。
ガスパルは、助けを求めるかのようにアンジェリーヌを見る。すると、ガスパルの手を包み込むように、自分の手を重ねた。
「ほらほら、エリーちゃんも真剣に考えているようよ。まだ、入学の年には時間があるわ。それまでに、ガスパルが素質があるか見てあげたら?」
(母さま、ナイスアシスト!)
しばらく二人の世界で見つめ合っていたが、エリーゼの方に向き直り、咳払いを一つした。
「エリーゼ、お前の気持ちは分かった。だが、簡単に認める訳にはいかない。……いくつか条件を出す。それを守れるならだっ」
「はい!」とエリーゼは即答した。
そして、後日――。
ガスパルが決めた条件を聞かされた。条件は全部で四つ。
一つ目は、十三歳の入学時期まで、ガスパルの決めたカリキュラムで訓練を受けること。途中で挫折したり、一定のレベルまで到達しなけば諦める。
二つ目は、最初に通う平民の学校はガスパルが選ぶということ。
三つ目は、そこで特待生になれなければ、諦めて家に帰ること。
四つ目は、必ずこまめに手紙を書き、状況連絡を怠らないこと。
「それを守れなければ認めないが、どうする?」
四本の指を立てたガスパルに、エリーゼは「わかりました」と頷いた。
◇◇◇◇◇
その夜、エリーゼは寝付けずにいた。
「困ったわ……」
「何がだ?」
「なにって、父さまが学校を選ぶってこと……ん?」
一人でベッドの中にいるのに、なぜかデールの返事が聞こえ、ガバッと起き上がる。
月の光が少し入った薄暗い部屋の中に、寝そべったデールがプカプカと浮かんでいた。
「えっと……デールは何をしているの?」
「オレか? エリーゼの声が聞こえたから、話し相手になってやろうと思ってさ」
エリーゼは、自分の手首を見てハッとする。
(そうか、声を出すと普通に聞こえちゃうのね。いつも一緒だから気付かなかったわ……)
「で、エリーゼは何で困っているんだ?」
本来の姿に戻っているデールは、頬杖をつきながら赤い眼を細めて笑顔で言った。