36. 魔物と血
デールの呟きに振り向こうとするが、エリーゼの視界に飛び込んできたのは、アルの手から流れ落ちた血だまりだった。
さも平然としていたので、魔力を上手く使えたのだと思っていた。それなのに……
(まさかっ!?)
さっきのデールとの会話を思い出す。まだ、正しい答えをもらっていない。
エリーゼは嫌な予感からデールを探すが、いたはずの場所に姿は無かった。
『デール! どこ!?』
『ちょっと待ってろ! ガスパルから離れるなっ』
頭の中にデールの声が響く。
(離れるなって……。それより魔物が来ることを父さまに知らせないと。でも、どうやって説明したらっ)
エリーゼが顔をあげた、その時だった。
ぐわんっ――……
と、突然辺りが揺れた気がした。
否――エリーゼの視界が歪んだのだ。めまいのような感覚に足元がふらつくが、意識を保とうと、ギュッと目を閉じ軽く頭を振った。
(今のは……)
その刹那、遠くにゴゴゴゴゴ……と大きな地鳴りのような音が聞こえた。
(なっ!?)
けれど、アルを囲む生徒や、走ってきた教師も気づいていないようだ。
ただ、教師と一緒にやって来たガスパルだけが、バッと森の方を振り返る。
エリーゼは、ガスパルに駆け寄った。
見上げたガスパルの表情は強張り、眉間に深い皺を寄せる。醸し出される雰囲気が、ガラリと変わった。
「すぐに転移陣を起動させ、生徒を学校に避難させろっ! それから、学校長に周囲の結界を強めるように伝えるんだ! 急げっ」
腹に響くようなガスパルの大声に、教師はすぐに従った。副担任がその場に転移陣を展開させ、担任が班ごとに呼び寄せ迅速に移動させる。
ただ事ではなさそうな様子に、戸惑いながらも生徒は一言も発せずに転移陣の中に飛び込んでいく。
それを確認すると、ガスパルは森へと走り出した。一切迷うことなく。
「これ以上は魔力が持たないっ! 君たちも、早く!」
副担任の切迫した呼びかけ。転移陣の光が薄れてくる。最後に呼ばれたエリーゼとアル。デールがいないことに誰も気づかない。
「エリー、行こう!」
アルはエリーゼの手を引き、消えかけた転移陣の中へ飛び込もうとした。が、その直前でエリーゼはパッと手を離す。
「ごめん、私は残る」
エリーゼは転移し始めた教師のもとへ、アルをトンッと突き飛ばした。
「なっ!! エリー……」
アルの声は光と共に消えた。
塵が舞うように光の粒子だけが残る。
「ちゃんと治療してもらってね、アル」
誰もいなくなった場所にむかってエリーゼは呟いた。
(さて! 早く父さまを追わなくちゃ)
エリーゼは踵を返すと走り出した。
ガスパルの経験値でも、どれほどの魔物がやってくるのか判断できなかったのかもしれない。
だから、全員を避難させたのだ。本来なら戦力になる教師まで。
エリーゼも、強大な魔物の気配を追って森の奥へ向かう。
走りながらも、頭を整理していく。
デールがガスパルから離れるなと言ったのだ。きっと意味があるのだろう。
結局、エリーゼはアルについて何も聞けていない。
それでもアルの血が原因ならば、アルをこの場に残してはいけない。少しでも離さなければと思った。
幸い、ガスパルからの学校へ戻る指示がすぐに出された。学校に戻れるなら治療もしてもらえる。
とりあえず、アルを森から離せて良かったと思っていた矢先――
突然、グイッと二の腕を掴まれた。
「エリーゼ!」
そこには、避難したはずのアルがいた。
「――アル!? な、なんでっ」
「エリーゼを一人で行かせるなんて、できるわけないだろ!」
息を切らせながらも、本気で怒っているアル。
「だからって!」
「戦うなら俺も行く! 一人で無茶するなっ」
口調とは裏腹なすがるような表情で、アルはギュッとエリーゼを抱きしめた。
背の高いアルの胸に顔が埋まり、そこで初めてアルの体が震えていることに気づいた。
(どうして……)
エリーゼは思考を巡らす。
これは、魔物への恐怖とは違う気がした。むしろ、アルは――。
エリーゼという存在がなくなってしまうかもしれない、そんな不安があるのかもと思った。大切な誰かがいなくなる恐怖。
過去のエリーゼ自身が感じたように。
(そうね、私たちは友達だもの)
どうやって、アルが戻って来られたのかは分からない。
エリーゼには転移魔法は使えないし、アルは自分からこの場を離れるつもりはなさそうだ。
このままでは、アルは無理やりにでもエリーゼについて来てしまうだろう。
(気絶させて放置するには場所が悪すぎるし……もうっ! 仕方ないわ)
どうせ色々と勘付かれているのだから、自分がアルを守ればいい。エリーゼは覚悟を決めた。
エリーゼはアルを押し返すと、怪我した方の手を確認する。
誰かが応急処置として巻いてくれたらしいハンカチ。血が滲み、白い色が赤く染まっている。
これではまた、魔物を呼んでしまうかもしれない。
「わかったわ。でも、その前に傷を見せて」
「大したことない」
「そういうことじゃないの。何だか分からないけど、人の血が魔物を刺激してしまうみたい」
「そんなことっ……」
「もちろん、確かではないけど。念のためよ」
エリーゼは、アルの血がとは言わなかった。
人間の血が刺激になると思ってくれたらいい。そう勘違いしてほしかったのだ。デールがあれだけ渋ったのだから、確証のない推測を勝手に伝えるべきではないと思った。
それにはきっと、言えない理由があるのだから。
アルは半信半疑ではあったが、ハンカチを取り素直に手を差し出した。傷は思ったより深かった。
(……無茶してるのはどっちよ)
「アル」
「なんだ?」
「ありがとう」
「い、いや……」
アルは照れたのか、視線を傷ついた手に落とした。
エリーゼは、アルの目の前でそれを治癒する。
傷が一瞬で治る様子にアルは瞠目するが、さほど驚かず「やはり、あの時も……」と、ぼそりと言った。
「このことは誰にも言わないでほしいの」
「……わかった、絶対に言わない」
エリーゼはほっと胸を撫で下ろす。
「血のついたハンカチは……燃やせる?」
「ああ」
アルはためらいなく、手にしていたハンカチを燃やした。それも、無詠唱の火魔法で。
これで、お互い秘密を少し共有したことになるだろう。
「じゃあ、急ぎましょう」
二人は、一緒に走り出した。




