32. 安堵
――エリーゼを見送ったアルフォンスは、訓練場の端にあるベンチに一人腰掛けていた。
暗くなった空を仰ぐその頬は赤みを帯び、口元は緩んでいる。
ベンジャミンにこんな姿を見られたら、絶対に突っ込まれるに違いない。
(こんなに自分が不器用だったとは……)
それでも、ブレスレットを受け取ってもらえたことが、アルフォンスは嬉しくて仕方なかった。
その上、気になっていた公王弟との関係も、思っていたものとは違ったのだから、当然かもしれない。
◇◇◇◇◇
数日前――。
時は、ブレスレットを渡す前に遡る。
アルフォンスは友人として、だいぶエリーとの距離も近づけたのではないかと感じていた。
だから、折を見てブレスレットを渡したいと考えていたのだが……。
(出来れば、自然な形で話を持っていきたいが……なぜ上手くいかないんだっ!?)
常に自分の腕に着け、エリーが気づいたらそれとなく話を振って、最終的にプレゼントするつもりだった。
なのに、エリーは気づかないのか全く触れてこない。
アルフォンスの中では、もうエリーがエリーゼだと確信している。
だが、それを証明できる、決定的な証拠は見つからなかった。
そんな中、考えに集中していると、ふとしたところで覚えていなかった記憶が戻ってくる。
(これは、魔法か幻術か? もしそうなら、誰が……)
不快さに顔を顰めた。
引っかかっていたのはデールの存在だ。いろいろと仮説を立ててみると、それ以外考えられなくなっていく。
ただ、それならば――アルフォンスが学校を抜け出した件で呼び出された時の、公王弟と校長の態度は気になるところだ。
デールの報告が遅れていたのか、はたまた問い詰めず泳がされているだけなのか。
(まあ、いずれ分かるだろう。いや、分からなかったところで、どうでもいいことだ)
アルフォンスは、強くなるためだけにここにいるのだ。自国では――身体の弱い第一王子は、いつもの療養地で治療に専念していることになっているのだから。
王子として剣になるのか。死んだことにされ、別人として剣になるのか。
(プライドなんてものは、とうの昔に捨てた)
アルフォンスの胸の中で、押し殺していたはずの感情がざわざわと蠢く。
ハッとすると、頭を左右に振りその感情に蓋をした。
(母上が無事に過ごせるならば、それでいい。それよりも、今は……今だけは)
エリーがエリーゼだと思ったら、居ても立ってもいられなかった。
卒業まで二年を切っているのだ。この学校にいる間は、自分はただのアルという存在でいられる。
国に戻り弟の剣となれば、もう会うことも出来ないかもしれないのだから。
(まずは、ブレスレットを渡すことだけ考えよう)
とりあえずの作戦としては、ブレスレットの魔石を見せ、動揺したところで言質を取る。そうすれば、エリーゼであると認めてくれる――そう思っていた。
決して、彼女を追い詰めたいわけではない。
もう一度、嘘偽りのないエリーゼの瞳で自分を見てほしかった。ただ、それだけのこと。
(――なのに)
全くエリーと二人きりになれる時がない。
大抵、デールかベンジャミンがエリーのそばにいて、それ以外はなぜかクラスメイトが寄ってくるではないか。徐々に苛立ちも出てくる。
そんな矢先、学校長からの呼び出しがあったのだ。
実際には、呼び出したのは公王弟であるヴィルヘルムだったが。
一緒に校長室へ行けば、親しげに……それも、相当近しい者だけが呼ぶことを許された名前、「ユリウス」とエリーは呼んだのだ。
正確にはユリウス先生と言っていたのだが、アルフォンスは動揺して、聞き取れていなかった。
アルフォンスの頭の中では、どんどんと仮説が組み上がっていく。
出会いこそ分からないが、エリーゼの才能と容姿をヴィルヘルムが見初めたのだとしたら――。
幼くとも自分の手元に置いて、育て上げるつもりなのかもしれない。
アルフォンスから見ても、ヴィルヘルムは若々しく魅力的な男性だ。年齢は離れているが、エリーゼが成人してしまえばどうとでもなる。
平民でも、それなりの家門の養子にし、婚姻を結ぶなど、公王弟という地位を考えればたやすいことだろう。
平民は、貴族ほど国に素性を把握されていない存在だから、国境を越える方法さえあれば問題ない。
(いや――、まだわからないっ)
結局、そのじりじりとした焦りがアルフォンスの背中を押し、突き動かした。
そして、翌日エリーを訓練場に呼び出したのだ。
◇◇◇◇◇
(冷静さを保つために、冷水を浴びてきたのに――)
訓練場にやって来たエリーを見たら、気持ちを抑えられなくなってしまった。逃げられないように、あんなふうに逃げ道を塞いでしまったのは、アルフォンス自身もさすがにやり過ぎたとは思ったが――。
とはいえ、彼女ならかわすことも可能だったはず。
でも、そうはしなかった。
想像以上に近くにエリーゼを感じ、焦りは消え去り、高揚感からか饒舌になっていた。
思い出したら、また全身が火照ってくる。熱が冷めるのには、まだ時間がかかりそうだった。
(ダメだ。もう一度、冷水を浴びるか……)
立ち上がったアルフォンスは、再び大浴場へ向かった。
◇◇◇◇◇
「どこが、友達としてなんだ……」
誰もいなくなった訓練場で、武器庫から出てきたベンジャミンが塀にもたれかかり、思い詰めた表情をしたまま呟いた。
ベンジャミンにも十分な実力はあったが、実践練習を兼ねた訓練には参加させてもらえなかった。
イザックに、エリーゼの父ガスパルに会えば、ベンジャミンがミトス村の出身者だと、すぐに見破られてしまうと言われたからだ。
ガスパルはユリウスに、エリーゼを特別扱いしないことが、預ける条件でもあった。
にもかかわらず、ベンジャミンをつけたのはユリウスの独断だ。
「そういうところが、奴らしいが……。まあ、実際の討伐だとしても、奴がいればエリーゼは大丈夫だろう」と主人に言われてしまえば、ベンジャミンは頷くしかない。
まだ若く、所属が決まっていないベンジャミンには、影という存在以外にも進む道はある。
(この任務が終わったら……)
ベンジャミンは密かに決意した。




