12. 本領発揮といきましょう
(何も……見えない)
目は確かに開いているはずなのに、視界に広がるのは真っ暗な闇だけだった。寒さも暑さも何も感じない中、エリーゼは膝を抱えるように座っていた。どうしてここに居るのかさえ理解できない。
またも夢を見ているのだと、エリーゼはぼんやりと思う。夢の中で、エリーゼ自身が状況を変えられたためしがないので、次に起こる事を待つしかない。
この状況を受け入れようとした矢先――。
『……あなたが、これ以上悲しまないように。その為ならば、わたしは何でもやりましょう。どうか、それまで待っていて――』
突然聞こえてきた声。囁きかけるような声色で、すぐには誰のものだか分からなかった。
ハッとしたエリーゼは、床に手をつき慌てて立ち上がる。感覚で歩くには心許なく、両手で周囲を探りながら前へと――声がした方向へと向かう。
だが、声の主がまだそこに居るのかも分からない。今が現実なのか夢なのかさえも。
焦燥にかられ、思わず叫んだ。
「だめよ! お願い……行かないでっ!!」
エリーゼは自分の叫びでパチリと目が覚めた。
周囲を見渡せば、カーテンの隙間から入ってくる光。プロイルセン国で滞在している宮の、エリーの寝室だ。
額に触れれば、びっしょりと汗をかいている。いつもの過去らしき夢とはどこか違った。
「今のは……夢?」
エリーゼが呟いたタイミングで、トントンと扉がノックされた。
「エリーお嬢様、お目覚めですか?」
洗面器を抱えたミラベルがやって来た。カーテンが開けられ、柔らかい朝日が入ってくると、気遣わしげなミラベルの表情が見てとれた。
(もしかして、さっきの……隣の部屋で控えていたミラベルも聞こえちゃったのね)
どうやら現実でも、しっかり声にだして叫んでいたようだ。
心配そうに、「失礼します」とミラベルはエリーゼの汗をそっと拭き取った。
(これは誤解させちゃったわね)
エリーとしての過去の話は公国では有名だ。特に公爵邸に勤める者は、エリーが引き取られた経緯を詳しく知っている。作られたシナリオだと疑う者などいない。
だからミラベルは、エリーが幼少期の夢を見たと思ったのだろう。
「ちょっと、怖い夢を見たみたい。でも、どんな内容だったか思い出せないわ」
同情されていることに少しだけ申し訳なさを感じながら、エリーゼはふふっと笑って誤魔化した。
「左様でございましたか。夢って本当に不思議ですよね。すごく幸せで忘れたくないって思っていても、いざ思い出そうとよくわからなかったり。怖い夢なら、思い出さない方がいいですよね!」
わざと明るく言ったミラベルに、エリーゼは「そうね」と頷く。
「エリーお嬢様、本日のご予定はいかがなさいますか?」
「今日はお茶会は開かないから、部屋でゆっくりしようかしら」
「図書室で、何冊か本を借りてきましょうか?」
「それはいいわね。後でいくつかリストを書くから、お願いできるかしら」
「もちろんでございます!」
久しぶりに何の予定も無い日だった。
クラウスは神殿に滞在していて、あれからまだ連絡は来ていない。
アルは公務があり、アダラールはパーティーへ出席するそうだ。そのため、今日は二人ともエリーの所へはやって来ないので、お茶会をする必要がないのだ。
アダラールのパーティーへの出席は、急に決まったことだった。
遊び人と浮き名を流すアダラール。帝国の皇子がプロイルセン国に滞在していると知った一部の貴族から、連日パーティーの招待状がたくさん届いている。これを機に、あのマージ帝国の皇族に近づくチャンスだと考えているのだろう。
アダラールもアルも、ある程度は予想していたらしく、うまく断るつもりだったようだが――。その中に、例の魔獣転移の件に関わっている者の縁者の名前があった。
アダラールがプロイルセン国にやって来た真の目的を探る為なのか、それともただの私欲のためか、探りを入れるチャンスを逃すわけにはいかない。
出席すると返事を出し、確かめに行ってくるそうだ。
ちなみにエリーの王太子妃教育も、カサンドラの都合でお休みなので、本当にぽっかり予定が空いてしまった。
(せっかくだから、久しぶりに散策してみようかしら)
すっかりルークに返すタイミグを失い、こっそり仕舞いっぱなしになっていた魔道具のペンダントを取り出した。
◇◇◇◇◇
「それではこちらに置いておきますね」
ミラベルが借りてきた大量の本を、護衛のフィルマンがワゴンからおろし、テーブルの上に積んでいく。
「ありがとう、ミラベル。集中して読みたいから、今日くらいあなたもゆっくりしてちょうだい。せっかくだから、フィルマンと一緒に休憩してきたらどうかしら?」
「で、ですが……」とミラベルは、チラッとフィルマンを見る。フィルマンの方は相変わらず、無表情だが。二人がお互いを意識していることは何となく感じていた。
この際、エリーゼはそれを利用することにした。
「暫く、この部屋には誰も入ってほしくないの。待機だけなら他の者でも大丈夫でしょう。必要な時は、呼びに行ってもらうから安心して」
メイドや護衛騎士は、他にもたくさんいるのだからと言えば、二人は「かしこまりました」と引き継ぎに向かう。
扉が閉まり、エリーゼはホッと息を吐く。
(これで、動きやすくなったわ)
ジャノは念のため、アダラールの護衛としてパーティーの方へ行っている。
元刺客なだけあって、フィルマンもジャノも人の気配に聡いが、他の護衛騎士ではエリーの気配が消えても気づかないだろう。
エリーゼはペンダントと、アルから渡されていた緊急連絡用の魔道具を手にした。久々にメイド姿になると、そうっと窓を開ける。
手摺りに足をかけ、ヒョイっと飛び乗ると下の階のバルコニーに向かって飛び降りた。そのまま、近くの木に飛び移り静かに地面に着地する。
エリーゼは認識阻害を発動すると、スカートを摘み猛スピードで走り出す。神殿の関係者らしき男――突然姿を消した窃盗犯が入れられていた、地下牢へ向かって。




