愛おしいほどの一日
心地よい温かさ。甘い香り。
誰かの傍にいることがこんなに落ち着くなんて。
魂も体も溶けてしまいそう。
抱えてきたもの全部放り投げて、ノエルと2人──
「…………………」
眠い。
起きなくてはと体を動かそうにも、動きたくない。
……さっきから左手に何か当たって…………。
俺は何かを確かめるべく、手を動かした。
……柔らかい。なんなんだ、これ……?
軽く揉んでみる。
「………ん………」
手に収まりきらない………あと、さっき声がしたような……?
でもなんだか触っていて嫌じゃない………。
「……ん………ちょっ…………」
あれ……俺、今何してるんだっけ?
……そうだ、これが………何か……確かめてるんだった…………。
今度は撫でるように触ってみる。
「きゃっ………………オト……きて………ってば…………って……ひゃっ…………」
「……………?」
ようやく目を開き、だんだん世界が見えてくる。
部屋は暗い……が、普通に見える。
特に夜目が利く訳では無いが、この程度の明るさなら見え
「え?」
頭が真っ白になり、顔が赤くなっていくのが自分でも分かった。
俺の頭と左手の下には…………ノエルの胸があった。
急いで起き上がると、寝転んだまま顔を赤くしたノエルが俺を睨みつけていた。
俺は女の子になんてことを…………!!!
「うわぁっ!あ、あの……こ、これは違っ………ごめん!!」
「……手を動かそうにも動けないし……何回呼んでも起きないし…………アオトのえっち。すけべ」
「き、気がつかなくて………じゃ、ないよな。
本当にすまん………」
ノエルは起き上がり、胸を押さえるように自分の両腕を掴み、頬を膨らませ俺を見る。
そんな彼女のことを、こんな状況で思うことではないのだが……可愛い、と思ってしまった。
「……私も前尻尾触っちゃったし………その、お互い様だよ。
でも…………」
「でも、なんだ?遠慮せず言ってみろって」
「………今度、2人で出かけようよ」
「なんだ……そんなことでいいのか?」
「アオトにとってはそんなことかもしれないけど、私にとっては大事なことなの」
「いや、俺もそういうつもりで言ったわけじゃ……」
「ふふ、分かってるよ。
ちょっと意地悪してみただけ」
「お前なぁ……」
「てことは決定ね。
早速だけど、いつ行く?」
「そうだな。
……明日でも大丈夫、だけど」
「じゃあ明日、ね!
すごーく楽しみだなぁ」
「そうだな」
──翌日。
ノエルがいつもと違う髪型と服装でやってきた。
髪を緩く右肩近くで結び、フワッとした白のトップスに花柄のロングスカート。
前も思ったのだが、やはり髪型や服装が違うと印象が変わる。
なんて表していいのか分からない………それぐらい彼女が魅力的に見えて。
「どう、かな」
「………に、似合ってる……と、思う……ぞ」
「ほんとに?……ふふ、そっか」
ノエルは頬を赤く染め、嬉しそうに微笑む。
その表情にまた、見とれてしまって……。
「アオトはいつもの服装なの?」
「それじゃダメなのか?」
「ダメって訳じゃないけど………せっかくなんだから着替えようよ……」
だんだん声が小さくなっていくノエル。
「もしかして仕事のこと気にしてくれてんのか?
……武器さえ持っていればいざという時なんとかなる」
ノエルがぱぁっと笑顔に変わる。
早速着替えを済ました。
「…………」
「じっと見てなんだよ」
「そういえば、アオトの私服姿見るの初めてかも。
部屋着とかはよく見るけど、そういうのじゃなくて……出かける時の服装とかは見たことなかったなって」
紺のタンクトップの上にヒラヒラしたトップスを重ね、同じく紺のガウチョパンツを履いている。
「アオトも似合ってるよ」
「そ、そうか……」
「あと、髪型も変えない?
儀式の時にしてたお団子ヘアすごく良かったし。あの時は低い位置で結んでたけど、高い位置で結んでみたりさ。
きっと今の服装にも合うって」
「何もそこまでしなくても……」
「私が結んであげるからさ。ね?」
「……分かった。なら、頼むよ」
部屋の椅子に座り、ノエルが結んでいる髪を解こうとする。
「あっ!しまっ…………た」
「え?な、何?」
時すでに遅し。結んでいた髪が解ける。
髪を下ろした姿を見られるのはあまり好きではないのに、うっかりそれを忘れてしまっていたなんて。
「い、いや……その」
目の前の鏡に映る自分から目を逸らすように、視線を下に向ける。
「……もしかして、髪下ろしてるとこ見れたくなかった……とか?」
「…………なんで、分かるんだよ」
「今のは分かるよ。だって、髪下ろした途端に言うんだもん」
突然、ノエルは後ろからぎゅっと俺を抱きしめた。
「私はアオトの長い髪、好きだよ。
それに……髪を下ろした姿、すごく綺麗」
「──っ!」
恥ずかしくて、ここから逃げたくて。普段そんな事を言われたら絶対嫌なのに……。
すごく嬉しい………この気持ちを、感情をどうしていいのか分からない。
ノエルは俺の髪を触りながら、言葉を紡ぐ。
「最初会った時から思ってたけど、髪ツヤツヤしてるよね。実際触ったらさらさらだし……いい匂いするし」
「……っ、恥ずかしいからやめろって……」
「えぇ〜。
アオトってこういうとこ、可愛いよね」
「大人をからかうな!」
支度を済ませ、ようやく外に出る。
空は相変わらずの曇り空だが、いつもより明るい。
武器も持ったし、村からもそう遠く離れてない場所に行くつもりだから、怪しい奴が来ても気配で分かるはず。
……本当に、こんな事をしていいのだろうか。ノエルと出かけて、俺だけ楽しむみたいなこと。
朝に見回りを済ませたから、一応仕事はしたことになるんだけど……。
「それでどこに行く?
ローブ着てないってことは、人がいない所に行くってことだよね。
もしかしてあそこだったり?」
そう言って川の向こうを指さすノエル。
「そのつもりだ。
……不満か?」
「ううん、前ちょっとだけ行ったことがあるってだけ。詳しくは知らないから、ずっと気になってて。
そこに行けるなんてワクワクするよ。
……まぁ、アオトと一緒なら何処でもいいんだけど」
最後のは恥ずかしいから、聞かなかったことにして……。
前行ったことあるって、あそこは確か……。
「ほら、早く行こーよ」
「わ、分かったから引っ張るなって!」
橋を渡り、森の中へ。
まるで御伽噺に出てくるような森の、坂になっている一本道をノエルと歩く。
「空気が美味しく感じる〜」
大きく伸びをしながらノエルが言った。
「村とここもあんま変わらないような……そうでないような。
微妙な違いってやつか?」
「ここ、他の森とかとちょっと違う空気や雰囲気を感じるの。
……だから時々1人になりたい時にここに来てたりもして」
「危険だぞ。
落ち着くんだろうが、森だからな」
「でもここの動物達、みんな穏やかな感じだったよ?」
「そう、なのか?」
さっき言っていた「ちょっとだけ行ったことある」っていうのはこの事だったんだな。
言われてみれば、ノエルが落ち着くのも分かる気がするが。
森を抜けると、街の広場のような景色が広がっていた。
水が吹き出していない噴水、大きな祠のような物。なにより目の前にあるのは大きなメルヘンチックな家。
村や街とは雰囲気の違う空間だった。
「開発中止になった街なんだよな、ここ」
「うん。
本当だったら私、この家に住むはずだったんだけどなぁ。
……でも上手くいかなくなっちゃったんなら仕方ないよね」
「ノエル今なんて──」
「うわぁ〜、ねぇこっち来て!」
「待てって!」
大きな家の中に入る。
中は埃を被っているものの、それ以外は綺麗で掃除すれば住めそうだ。おまけに家具も揃っている。
天井が高く、陽の光も色んな角度から差し込んでくるので灯りをつけなくとも明るい。
「2階に行ってみよ」
「元気だな」
「だって、アオトと一緒だもん。姿を隠さず一緒に外に居られるし。
普段とは違う特別な感じ?」
「……っ、ノエルってそういうの恥ずかしげもなく言うよな」
「へ?」
「自覚が無いならいい」
2階は複数の部屋があり、1階とは違って家具は一切無かった。
硝子の扉を開けバルコニーに出る。そこまで広くはないが、景色はとても美しかった。
「きれ〜い!
ここ村よりも高い位置にあるから、2階でもすごく高く感じるね」
森や川が雲の隙間から差し込んだ日に照らされ、キラキラと眩しく輝いている。
離れた所に村があって、その反対側には岩などの境界の先が見える。
「本当に綺麗だな」
「ふふ、アオトも楽しんでるようで良かった」
「……俺は感情があまり表情とか態度に出ないからな」
「でもちゃんと分かってるから」
柵に乗せていた俺の左手に、重ねるようにノエルの右手が乗せられた。
陽の光よりも暖かい温もり。
ノエルの温かさ、優しさに触れる機会が多くて、そのせいで俺の中の何かがどんどん変わってきている。
それだけじゃない。彼女の信念の美しさ、それに対する憧れ、言葉に表すとキリがないこの気持ち。
彼女と一緒に居ることで、恐れていたであろうたくさんの感情が芽生えてくるのだ。
でも、俺はまだこの感情の名前を知らない。今まで似たものを感じたことがあるのかもしれないが、こんなにも熱く、なかなか消えない感情を抱いたのなんてこれが初めてなのだから。
家を出て、ゆったりとした坂道を歩く。
言葉を交わさずともこんなに心地よく、楽しいと思えるなんて。
この坂道のようにゆったりとした時間。暖かい日差し。そして、何よりも1人でなくノエルが隣に居ること。
……今日の俺、というより最近の俺はどうしてこう……やけに素直というか、普段思うはずもないことをベラベラと考えてしまうのだろう。
ノエルが傍にいると、本当に全て解けてしまいそうだ。
繭のように守られていた外側が、たった一本糸を引っ張られただけでどんどん解けていく。そして、誰にも見られないように隠していた素の自分が顕になっていくのだ。
それだけは防がないといけないはずなのに
ノエルになら見られてしまってもいいと
それは一時的な感情だと思っていた。
けれどそうじゃない。
本当に、もしかしたら……俺はノエルに……………
「アオト、ここも綺麗だよ!」
「……!
あ、あぁ……どんな感じだ?」
揺らいでいた感情を途切らすようにノエルが俺に声をかけた。
道の途中のなんてない所、バルコニーより低いこの場所からはまた違った景色が広がっていた。
向こう側の山が見え、近くには誰も住んでいない家が何軒か立ち並んでいる。
「珍しく今日は日が出てるな」
「ほんと〜。青空が少しだけ覗いてる。
こんなにいい天気なのいつぶりだろ」
暖かい風が吹く。
もうすぐ夏になる。
といっても、この島にあまり季節は関係ない。春は暑さがほんの少し和らぎ、夏は普通に暑い。秋は春よりも暑さが和らいで、冬は長袖を着るまでではないが一番涼しくなる。
この場所、天気、気温、一緒にいる人……その全てが完璧すぎて、一瞬一瞬が遅く、だけど確かに過ぎていて。
すぐ壊れてしまう脆い時間。だからこそ壊れないように大切にしたい。
壊してしまうかも、なんて恐れたくない。
「この時間がずっと続けばいいのに」
「…………」
「アオト、私ね今とても不思議な気分なの。
最初会った時からは想像できないことが起きてて。
だって、あんなに私の事良く思ってなかったのに……今あなたは私の隣に居る」
「俺も同じ気持ちだ。
ノエルと一緒に居ることで、確かに何かが変わってきている。
人生何が起こるか分からないっていう言葉、前までは信じてなかったけど……今ならちょっとは信じられそうだ」
「ちょっと、なんだ」
「一度の事で信じたりはしねーよ」
「じゃあ何回かあったら信じるの?」
「どうだろうな。場合によるかな」
「そっか」
彼女が話すと空間が震える。
彼女が道を歩くと世界がぱっと明るく輝いて見える。
彼女が自分を見つめると、心が動き出す。
日が傾き、雲の隙間から夕日が街を照らす。
気温も下がってきた。
帰り道。高い建物が両側に並ぶ道を歩いていた。
「今日はたくさん歩いたね」
「だな。
……寒くないか?」
「全然大丈夫だよ」
「そうか」
前を歩いていたノエルが俺と歩く速さを合わせる。
「…………」
彼女の様子がおかしい。
さっきからモジモジしてるというか……顔を僅かに逸らし俯いているようにも見える。
「な、なぁ……どうし──」
不意に手に温かいものが触れ、驚く。
「んなっ、きゅ、急になんだよ………」
「さっき寒くないって言ったの……無し」
「………!」
「だから……いいでしょ?」
「…………嫌、とは一言も言ってねーだろ」
「……ふふ、うん」
手をぎゅっと握り返す。
心臓が全身に響き渡るぐらいうるさい。
小説でよく、心臓の音が相手に聞かれたらどうしようというのを見て、そんな訳あるかって思ってた。
けど………今その気持ちが痛いほど分かる。
この音が、握ってる手を通じて伝わってしまったら……って。そう考えると少し怖くて……。
この思考をどうにかしなくてはと、ノエルに話しかける。
「もう遅いから送るよ。
見回りもしなくちゃいけねぇし」
「前もこんな事あったよね」
「……そんなことあったか?」
「雨降ってる日。止んだから見回りついでにって。
今回は素直に言ってくれたね」
「な……素直って……意味分かんねぇ」
「説明してあげよっか?」
「お前からかってるだろ……!」
「バレちゃったか」
「バレバレだ」
なんて楽しい……んだろう。
こんなに楽しいと思ったのは初めてかも、しれない。
こんなに……今日という日を愛おしいほど、大切に覚えておこうと心に刻んだのも。




