シリウス・ブルフィンチ
「まさか、お前さんがあんな行儀悪い食い方するとは、夢にも思わなかったぜ……」
黒山羊亭を出た後、開口一番にウィルさんに窘められた。
「いや、あれは、その……普段はあんなことしない」
なんと弁明すればいいか困って、そのような回答しかできないことに、少しだけ歯噛みする。
俺がもし転生者だと言ったとして、果たして信じてくれるのだろうか。
あの店は蓬莱のものではなく、紛れもなく異世界のものだと言って、果たして信じてくれるのだろうか。
答えはわかっている。
信じてくれないに決まっている。
俺だってそうだ。
まさか、こんな偶然的な巡り合わせがあるだなんて、夢にも思わなかったんだから。
「そうかい。
ま、次は気を付けてくれればそれでいい」
事情を知っていれば今回は仕方がないと思ってくれるかも知れなかったが、彼にはそんな事情はつゆとも思いつかないだろう。
だから、食事のマナーでそのように諫められるのも仕方がないと、俺は無言で頷くことにした。
「あー、やめやめ!
俺ぁ本来、こんな説教みたいなのは好きじゃねんだ。
……嬢ちゃん、これから不動産屋に向かってそのまま工房の場所を探したりするつもりだが、体調はどうだ?
ついて来れそうか?」
閑話休題とばかりに、伸びをしながら尋ねてくる。
俺はそれに、今はまだそんなに疲れてないから大丈夫だろうと、首を縦に振って賛同した。
⚪⚫○●⚪⚫○●
ヨアヒム横丁は、グランドストーンの南西に位置する区画だ。
背の高いアパートが碁盤の目の様に配置され、高層はそれぞれのアパートを繋ぐ空中の渡り廊下で繋がっていて、なかなか複雑な作りをしている。
ヨアヒム一階と呼ばれる区画──ヨアヒム横丁を巨大な一つの建造物と見たとき、1番下の階層をそう呼ぶ──から空を見上げれば、蜘蛛の巣状にいくつもの渡り廊下が縦横無尽に走っており、その橋の欄干の下には鉱石灯が吊るされ、思っていたより横丁は明るかった。
「こっちだ」
ウィルさんに連れられて、ヨアヒム横丁を歩く。
この街で10年過ごしてはいるが、未だにこの場所は全く通ったことがない。
様々な店が軒を連ねる中、ずんずんと俺たちは横丁の階層を登っていく。
二階、三階と上り、四階にたどり着いたところで、近くの角を曲がってずんずん進み、ようやく目的地にたどり着いたのか、ウィルさんが足を止めた。
「着いたぜ」
シリウス不動産屋。
店の看板にはそう書かれていた。
店構えはシックな印象を受けた。
他のアパートと同じくレンガ造りの壁に、樫製のアーチ扉、そして四分割されたガラス窓がはめ込まれていて、中の明かりが外に漏れていた。
ウィルさんが扉を開け、中に入る。
カランカランとドアベルの音が、店内で新聞を広げていた青年に来客を告げれば、彼は新聞をたたみながら、金縁のモノクルをつけた灰色の目でこちらを向いた。
「やぁ、いらっしゃい。
……って、ウィルバートじゃないか。久しぶり」
「久しぶりだな、シリウス。
最近どうだい?」
「商売繁盛、とはいかないが、まぁそこそこやってるさ。
今日は……その後ろの娘さんかな?」
どうやら2人は知り合いらしい。
他愛のないやりとりを交わして、こちらへと笑顔を向ける。
遠くからモノクル越しに見えた灰色の瞳は、近くで見ると緑色に変わっていた。
(ヘスティオライト水晶のモノクル……あれは鑑定の魔道具か)
ヘスティオライト水晶は、遠くから見るとそれを通して見た向こう側の景色が白黒になって見えるのが特徴的な水晶だ。
魔力を内部に蓄積しやすい物質で、様々な魔道具の素材に用いられることで有名である。
例えば俺が人工脂肪を作るときに使っていたゴーグル型の魔道具のガラス部分にも、これと同じ素材が使われている。
「はじめまして。
アリス・トルソンです」
軽くスカートの端を持ち上げて、片足を後ろに引いて膝を曲げ、礼をする。
ちなみにカニスは店の前で待機している。
「これはご丁寧に。
この不動産屋を経営しているシリウス・ブルフィンチだ。
彼、ウィルバートとは同じ学校に通っていた同級生でね」
笑顔を崩さずに自己紹介を返すシリウスに、思わず俺は目を見開いて──そのままウィルさんの方に視線を移した。
目の前のシリウスは20代後半あたりの年齢に見えるというのに、この隣に立つ筋肉ムキムキの彼は40代後半くらいの歳に見える。
それが、よもや同じ年齢だとは、全く想像できなくて驚いたからだ。
「ははっ、わかるよその反応。
彼は少し、老け顔だからね」
カラカラと笑い声を上げて、ウィルさんを揶揄うシリウスに、『やめてくれ』と顔を赤くするウィルさん。
「それで、今日は何を?
彼女を紹介しに来たわけではないだろ?」
閑話休題と、シリウスが話を切り替える。
それに乗るように、ウィルさんが『あぁ』と答えながら、彼の座る机の前の席に腰を下ろして、事情を話しはじめた。
俺も彼に習って、隣の木製の椅子に腰を下ろす。
「実は、かくかくしかじかでな」
「なるほど、わからん。
かくかくしかじかでなと言われただけで事情が伝わるのは、小説の中だけだよウィルバート」
呆れたように肩を竦めて、机横の戸棚から資料が詰まっているのだろう、分厚い帳簿を何冊か引っ張り出してきた。
「それで、彼女の工房についてだったか?」
(伝わってんじゃねぇか!?)
一瞬ツッコミそうになるのを、口元に手を当てて抑える。
「そうだ。よくわかったな」
「長年の経験だよ」
『それで──』とシリウスが言葉を続ける。
彼とのやりとりを要約すると、俺の工房としてふさわしい物件が、帳簿を調べる限りヨアヒム横丁に3件見つかったそうだ。
そもそも、彼はこのヨアヒム横丁の不動産しか取り扱っていないらしく、それ以外の場所を希望の場合は、別の不動産屋を頼って欲しいと付け加えられたが。
「やはり工房となると、下の階層の住人の迷惑になるし、騒音も出るなら近隣住民の迷惑にもつながる。
となると、場所は絞られてしまってね。
防音設備のある一階の空き部屋は、ここくらいしかないみたいだ。
もちろん、十分な広さもある。
一階だから、地下室があるものも多くてね、幸い、3つのうち2つは地下室付きだ」
説明しながら、間取りや家賃などが記された資料をこちらに提示してくる。
見れば、地下室が付いていない部屋は他の二つに比べて家賃などは安いが、部屋が狭いしマナプールの容量も小さい。
しかし地下室のある2つは、家賃はそれより高いものの、部屋は広くマナプールの容量も大きく作られていた。
ただ、立地は──つまり、家から近い方は──地下室がない方の部屋の方がいい。
立地条件の良し悪しはそれだけだから、これからのことを考えれば、家から近い、この地下室なしの方はひとまず除外してもいいだろう。
「どうする?」
シリウスが尋ねてくる。
「この2つのどちらかですね」
「うん、そうだろうね。
この部屋は工房にするにはやや狭すぎる」
資料を1つ帳簿に戻す。
残る2つは、どちらも似たような条件だ。
ただ、片方はかなり部屋が広く、もう一つは民家のようなコンパクトさがあった。
これは、実際に見に行って見なきゃわからないな。
そういった事をシリウスに話すと、『わかった』と応えて、続けた。
「それじゃあ、これから見学に向かいますか?」
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