黒山羊亭
可愛らしい音が俺のおなかから聞こえてきた事に、俺は思わず赤面する。
「ぷっ、あははは!
嬢ちゃん、意外と可愛らしい音出すのな!」
「かっ──!?」
可愛い、などと言われた事に驚いて、一瞬鸚鵡返し仕掛けた口をつぐむが、そんなふうに弄ばれている事になんだか腹が立ってきて、思わず彼の隆々な筋肉の壁を拳で叩く。
何故だろうか。
前まではかわいいなんて言われて、こんな変な感情が湧き起こることなんて無かったのに。
「いたっ、痛い痛い。
わかった、わかったから!」
笑いながら受け止められて、痛いと言いつつも全く効いていない素振りで対応される。
結構本気で叩いていたつもりが、全く効果がないと知って、元男でえるというだけにちょっとだけ凹む。
「じゃあこうしよう。
これから工房の場所も決めなきゃいけないんだ、ついでに飯でも奢ってやるよ」
そういう提案がなされて、俺は攻撃の手を止める。
「えっ、本当?」
「おう、冒険者街に旨いランチを出すレストランがあるんだ」
──というわけで、二人はニトロクリスのある魔導街を抜けて、歩いて冒険者街へ移動する事になった。
もちろん、俺はあまり運動してはいけないので、カニスの背中に乗って移動するのだが。
(冒険者街……冒険者街かぁ……)
そういえば、せっかく異世界に来たというのに、なんやかんや、本格的に冒険者などの世界に足を踏み入れるのは初めてだった気がする。
身近な冒険者といえば、最近一緒にノザリア地区のプールに遊びに行ったフラッペンとアリアくらい。
冒険者ギルドに顔を出したのも、オートマトンを作るための素材アイテムを買取に伺った時くらいしかないから、結構楽しみだ。
メインストリートとなるグランドストーン通りを横切って、噴水広場を挟んで西の旧ブリューナク通りへ向かう。
よくマリアが服を買う服飾店やお茶の専門店、薬局などが立ち並ぶ商店街を途中で北に折れて向かえば、徐々に道ゆく人たちの様相が変わり始めてきた。
「おお……」
軽装鎧や剣を身につけていたり、長いローブを羽織っている人が目につくようになる。
中には人間以外の種族である獣人の姿まで多く目に入るようになり、改めて異世界を実感する。
自分たちの生活圏にも、少数ながら獣人やエルフ、ドワーフなどといった種族を見かけることもあるが、この冒険者街ではどうやら人間の方が少ないらしい。
(それにしても、なんかめっちゃ視線を感じるような……)
「わふ……(どうやら、吾輩のことが珍しいようですね)」
リードを伝って、カニスの予想が聞こえてくる。
言われて周囲を見渡してみれば、そういえばペットを連れている冒険者を見かけない。
いや、この場合はペットじゃなくて従魔というんだったか。
そうこう考えていると、不意にウィルさんの足が止まった。
「ここだ」
看板を見ると、『黒山羊亭』と彫られていた。
しかも、漢字で。
「……え?」
⚪⚫○●⚪⚫○●
紅葉谷紅葉。
それがここ、黒山羊亭で働く大将の名前である。
表向きには、料理修行に蓬莱とかいう東の果てにある、日本のような国からやってきたという事になっているが、れっきとした日本人である。
……というのも、時は10年ほど前。
ある日仕込みを終えてそろそろ開店しようかと店の扉を開けると、そこは何度も姪の柚子葉から煩いくらいに聞いていた異世界に繋がっていた。
紅葉は正直驚いた。
異世界なんてものはただの仕事に疲れたサラリーマンたちや、夢を追いかける学生たちの妄想の中にあるものだと決め付けていたからだ。
故に、初めて異国風の装いをして、鎧と剣を身につけて街を歩く人たちを見かけた時には、ひどく素っ頓狂な声をあげてしまったものだ。
その日は臨時休業と張り紙を出して店を閉め、姪が高校から帰ってくるのを待つ事に決めた。
姪の柚子葉が帰ってきた。
どうやら、店の裏口は元の世界と繋がったままになっているらしく、紅葉は一人異世界に残されずに住んでホッとしていた。
ホッとして間も無く、彼は柚子葉にことな時代を自慢げに報告した。
それから何やかんや紆余曲折を経て、紅葉と柚子葉が経営する小さな和食の食事処黒山羊亭は、異世界に店を展開する事になった。
そうやって店を開いて10年。
この時、ある常連客の一人が、一つの運命の出会いをもたらしてくれる事になるのだが、それはまだ神のみぞ知るところであった。
「あ、ウィルバートさんじゃないですか。
最近よくいらっしゃいますね」
ガラガラガラ、と音を立てて扉が開くと、1人の巨漢が来店してきた。
彼の名前はウィルバート・フォン・グランバルド。
大手魔道具メーカーに勤める社員さんで、先月あたりからよく顔を出すようになっていた。
「あれ、来ちゃいけなかったか?」
「いえ、ぜんぜん」
応対した柚子葉の言葉に、からかうようなやり取りを挟んで、いつものカウンター席に誘導する。
──と、彼の後ろからもう1人、見たことがないくらい巨大な犬(見た目はサモエドに似ている)に乗った、銀髪の女の子が入ってきた。
「その娘は?」
疑問に思いつつ、紅葉はウィルバートに尋ねた。
「あぁ、うちの仕事仲間だ。
犬に乗ってるのはちょっと健康上の理由があってな。
あまり深く追求しないでやってほしい」
くしゃくしゃ、と銀髪の少女の頭を無造作に撫でる。
対して、『むぅ』、と少女の方は嫌そうな顔を浮かべている。
髪を乱された事に怒っているのだろう。
その辺は異世界も同じなんだな、などと思いながら、ウィルバートに用意した席の隣にもう一つ椅子を用意する。
(犬の方は──)
柚子葉に指示を出そうとしたが、既に犬用の餌皿が彼女によって用意されていた。
「お嬢ちゃん、お名前は?」
「アリス、です」
緊張しているのだろうか。
ウィルバートに髪をぐしゃぐしゃにされてから一言も発しない少女へと、柚子葉が話しかけていた。
「そっか、アリスちゃんか。
可愛い名前ですね!
私は柚子呑森柚子葉。
で、あっちのブスッとしたのが大将の紅葉谷紅葉さんですよ、よろしくお願いしますね!」
「あ、ありがとう、ございます。
よろしくお願いします」
「ブスッとしてるは余計だ!」
柚子葉の紹介に紅葉がツッコミを入れる。
そんな彼に、柚子葉はといえば『テヘッ?』とふざけた応対をしてやり過ごした。
それにしても、このアリスと名乗った少女はかなり整った容姿をしているな、と紅葉と柚子葉は思っていた。
銀色のサラサラの髪は細く、その小さな体躯やガラスのような綺麗な瞳が合わさって、まるで精巧に作られたビスクドールだ。
黙ったまま何もしないでいれば、その美しさばかりが際立って近寄りづらい印象を与えるが、しかしさっきからくるくると物珍しそうに店内を見渡す姿は、年相応に見えて可愛らしい。
思わず抱きつきたくなるが、今は仕事中。
柚子葉は気持ちを切り替えて、目線の高さを合わせながら接待を続けた。
「珍しいでしょー」
「そうですね、この辺りでは見ない造りですから」
2人の前にお冷を出しながら、内装を自慢する柚子葉。
日本では全く珍しいこともない、ごく普通の木造建築だが、扉の向こうの異世界ではレンガ造や石造の建物の方がメジャーだ。
おそらくアリスが店内を観察しているのも似たようなところからだろうと推測してのセリフだったが、意に反して『それに、なんだか懐かしくて』と応えた。
「そうか?」
ウィルバートが怪訝に返した。
「そんなことより、飯だ飯。
タイショー、いつものランチセットこいつにも頼む」
「少々お待ちください」
ウィルバートの注文を受けて、紅葉は厨房の奥へと引っ込む。
「アリスちゃん、ウィルバートさんの仕事仲間って言われてたけど、こんな小さな見た目だけどもしかして結構大人だったりするんですか?」
紅葉が厨房の奥に消えたのを見計らってから、柚子葉がそんな質問を投げかけた。
「いえ、まだ10歳です」
「え、10歳!?
しっかりしていそうに見えたから、てっきりドワーフかエルフ、ノーム族あたりかと思ってました!」
驚いたように口元に手を当てながら、そんな風に驚いてみせる。
「そうだろ?
こいつ、こんなナリだが実は魔道具開発の天才でな。
まだ俺は才能の一端しか見ちゃいないが、よく見なきゃ人間と間違うくらいよくできたオートマトンをこの歳で開発しやがったんだぜ?
全く、ヤベェ才能だぜ」
言って、お冷を呷るウィルバートに、目をパチクリさせる。
自分たちの暮らす元の世界ですら、そんな精巧にできたロボットは開発できていない。
いや、あるいは見た目だけなら可能かもしれないが、本物の人間と見間違うレベルのものはまだできてはいないだろう。
それが、こんな時代に、こんな年齢で作り上げることができるなんて。
「す、凄いですね……!
今度見せてもらっても良いですか?」
「じ、時間があれば!」
目をキラキラと輝かせて、身を乗り出しながら了承を伝える。
(あれ、なんだかさっきとキャラが違うような?)
きっとSNSでバズるに違いない。
そんな単純な思考で約束を持ちかけてみたのだが、どうやらそれだけでは済まないようだ。
それからこの少女は、紅葉が料理を運んでくるまでの間、自分が作ったオートマトンがどれだけ凄いかとか、作るのがどれだけ大変だったとか、どこが魅力的かだとかいった話を延々と語り明かす勢いで、早口で捲し立て、柚子葉たちに聞かされるのであった。
(……あ、これ、完全にオタクの会話だ)
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございますm(_ _)m
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