便箋
プールから帰って来ると、どっと疲れが押し寄せて来て、リビングのソファに突っ伏した。
この10年、どころか、前世でも小学生以来経験してこなかった量の運動をしたせいか、身体中が疲労で力が入らない。
明日はきっと筋肉痛に違いない、なんてことを思いながらも、ノロノロと起き上がる。
どうせならカニスに部屋まで上げてもらおうと考えたが、あいつはすでに庭の小屋にマリアに連れて行かれた為、不在。
だったら夕食の時間までここでゴロゴロしているのがいいだろう。
火のつかない暖炉を茫然と見遣りながら、今日の出来事、いや、あの事件からの振り返る。
そもそも、こんなことになったのも目の前にタコの人が血塗れで『止まるんじゃねぇぞ……』していたのが始まりだ。
どうしてあの人はあんなところで倒れていたんだろう。
時間の最後の方は、今となっては少し思い出すのも怖いが、何やらツェペシと関わりがあるらしいことはよくわかったけど……。
もしかして、カニスを強奪しに来たら何者かに攻撃された、とか?
いや、流石にそれはないだろう。
あの倒れ方はどう見ても、そう判断するには似合わない。
じゃあ一体何が?
悶々と頭を悩ませながらうーうー唸っていると、マリアがリビングに入って来た音が聞こえた。
「私のかわいい子、そんなところで寝ていたら風邪をひくわよ?
それと、喜んでいいわ、お父さんから手紙が来たわよ」
ソファを回り込んで、マリアが一通の便箋を寄越した。
既に封が切られていることから、マリアは既に読んだあとなのだろう。
俺はうつ伏せの姿勢から、億劫そうに体を起こして便箋を受け取った。
『拝啓、我が愛しい娘アリス・トルソンと、我が最愛の妻マリア・トルソン、そして我らの騎士カニスへ
盛夏の候、我が愛しの家族達は健やかにお過ごしだろうか。いや、そうでなくては私も安心できまい。今年のグランドストーンでの暑さは例年よりもやや暑いと聞き及んでいる。熱中症には大いに気をつけて過ごしてくれ。
そういえばグランドストーン駅での事件は、隣領ロナウドの港町ロナウディアまで届いている。巨大な魔獣が現れたそうだな。週刊イデア誌に大々的に取り上げられ、こちらでもなかなかの反響を呼んでいる。我らが愛しの家族達は、この事件に巻き込まれなかっただろうか、心配で眠れない日々が続いている。
さて、俺の今回の仕事についてだが、なかなかどうしてうまくいっている。以前にも話した通り魔術講師としての臨時教員の事だ。なかなか優秀な生徒が沢山いて、中には極東の蓬莱という国からやってきた生徒までいた。ホーライ人は見た目は小さく小人の様だが、ゆえにかどうか、手先が器用で物を覚えるのも早い。私のかわいい子同様、ややおてんばなところが目立つが、その才能は保証できる。
そんな彼女だが、どうやってこんな西の果てにあるような島国まで来たのかと尋ねたのだが、面白いことに魔導列車と飛空挺を乗り継いできた様だ。アリスは普段からお淑やかにする様に注意するも、こういった魔導具には目がないところがあるから、きっといい話し相手になるに違いない。
そんな訳で今度、彼女を家に呼ぶことになった。名前はヤヤ・オニガワラ。顔貌は写真を同封したから参考にしてくれ。家に呼ぶことになったというのも、経緯、彼女、アリスのことを話せばどうやら少し気に入ったらしくてな。もしかしたらいい話し相手どころか、いいお友達になるかもしれないとお節介を焼いてみた次第だ。
そういうわけで、今度の大連休にもオニガワラさんを連れて帰宅しようと思う。なので、それまで準備を進めておいて欲しい。
追伸:アリスはそれまで、お父さんが与えた課題をちゃんとこなしておく様に。敬具。
スヴィン・トルソン』
手紙を読み終えて、小さく一言『バレてたのか』とつぶやた。
なんとか魔道具には興味がなく、お淑やかな女の子を演じていたのだが、どうやら筒抜けだったらしい。
おまけに魔道具オタクなこともバレていた様だ。
そんな呟きにマリアが『あれでバレないはずがないわ』と追撃の一言を浴びせてきたので、うぐぅとうまくしかなかった。
そんなことよりも、スヴィン。
近々大連休の日に帰ってくる様だ。
大連休というのは、元の世界でいうゴールデンウィークの様な物で、大きな会社などが一斉に大きな休みを取るのだ。
元々は勇者が魔王を討伐して、首都に凱旋した日と、それを祝った祭りがある日を記念して始まった物で、今では各地の劇場で勇者の活躍が劇団によって演じられる事も多くなった。
俺はまだ一回も観に行ったことないけど。
演劇、一度でいいから見てみたい。
……ではなく、そんなことよりも大事なことがあった。
さっきまで大連休に気を取られたフリをして現実逃避を決めていたが、そういうわけにもいかなくなってきた。
というのも、俺、実はスヴィンからの課題をまだ一つもしていないのである。
大連休まではまだ日数があるから、その間に済ませてしまえば無問題ではあるが、まだその量すら見ていないので不安しかない。
「……どうせ、今は安静にしておかなきゃだから、暗黒形式で魔法を使うだろうオートマトンの修理もできないし」
この体が治るまでは、スヴィンの課題をして過ごすことにしよう。
便箋に書かれた言葉に、俺はそう心に決めるのだった。
「それで、お母さん。
お父さんが連れてくるっていうオニガワラさんってどんな人なの?」
──が、そんなことは後回しだ。
スヴィンからの課題は明日することに決めて(どのみちこんなだるい状態じゃやってもそんなに進まないだろうし)、マリアに同封されていた写真を尋ねた。
「可愛らしい娘よ。
大陸の東の方に住んでるオニ族っていう亜人の女の子」
オニ族……。
そのオニという発音が、何やらどこかで聞いたことがある気がして、写真を受け取った。
「あぁ、オニって、鬼の事か!」
若干音が鈍っていたので連想されづらかったが、写真に写る少女の額から突き出た物を見て、一瞬で悟った。
「あら、知っていたの?」
そのセリフを聞いて、マリアが首を傾げた。
「ま、まぁね、ちょっと」
家には鬼に関する文献が無かったし、俺もカニスとの散歩以外であまり頻繁に外出するような子供では無かったからなのか、疑問に思ったのだろう。
俺は慌てて適当に繕って、写真の女の子、ヤヤ・オニガワラを観察した。
名前の感じからして、言葉は完全に元の日本語と同じなのかもしれない。
このオニガワラって、きっと鬼瓦のことだろ?
鬼瓦といえば、インド発祥ともいわれる魔除けのおまじないだ。
……この世界、もしかして完全な異世界というわけじゃなくて、ちょっとしたパラレルワールドなのでは?
そんな風に思えてくるが、今はそんなことはどうでもよかった。
彼女の額から生える、肉でできた尖った二本の角を見れば。
写真に写るヤヤ・オニガワラという少女は、まさに鬼っ娘だった。
黒いストレートの髪はショートで、前髪をかき分けて、その両脇からは短い肌色の角が生えている。
瞳はやや紫のつり目。
顔の造形も白銀比に整っており、つんと小さな鼻もかわいいなかなかの美少女である。
笑顔でスヴィンと肩を寄せ合っている姿が写真に写っていた。
背丈はスヴィンの腰あたりくらいだろうか。
となると、身長は俺とさほど変わらないらしい。
服装は和装を想像していたが、和装っぽいデザインのジャケットを着ている。
全体的に緑を基調とした、ポケットがいっぱいついたジャケットで、袖が和服の様にヒラヒラしていて可愛らしい。
そしてよく見てみれば、その振袖のところには、驚くことに漢字で『鬼』とプリントされているのが見てわかった。
どうやら、ホーライというのは漢字まで日本と同じらしい。
ちなみに、彼女の服装は、ジャケットの下は胸の上あたりまでが白、その下が黒のツートーンのチュニックの様な丈のパーカーで、下はホットパンツ、黒のレギンスで脚を覆っていて青緑が基調のブーツを履いていた。
なかなか現代的なデザインで、この世界のホーライという国は、衣装文化がこの国ティル・ナ・ノーグよりも100年くらい進んでいるらしいことが窺えた。
様式美からの脱却はもっと先の時代に起こると思っていたが、どうやらそうでも無かったらしい。
ということは、文化自体は元の日本と似てはいるが、歴史は完全に違うものと捉えた方がいいに違いない。
となると、俺の知る日本文化とホーライの文化には違和があるはず。
……ホーライ、気になってきたな。
そんなことを思いながら、スヴィンが彼女を連れてくるのを心待ちにしてみるのだった。
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