本日の一冊 「古本食堂」
一年ぶりの投稿になりますが、ぼちぼちと続けてまいりますので、これからもよろしくお願いします。
「古本食堂」
原田ひ香・【ハルキ文庫】
かれこれ十年近く前、めったに旅行をしない私たち夫婦が、ある用事で上京せざるをえなくなった。
「なあ、用事が済んだら、どこに行きたい?」
主人はこれまで職場の出張を利用して、いくつか名所は訪れている。それでも、スカイツリーやディズニーランドなどはまだ未知の世界。多分、私がそういう場所を選ぶのではないかと期待したようだ。
だが、私の返事はみごとに、彼の期待を裏切った。
「あのね、靖国神社と、神田の古本屋街に行ってみたいんだけど」
そう、私にとって古書の世界は憧れの世界。どんな本に巡り合えるか、一度訪れてみたかったのだ。
かくして、そんな私の希望を叶えるため、主人は半日じゅう付き合ってくれた。
古本屋といえど、明るく綺麗で、お洒落なお店もあった。何軒もあるから、あの本、後で買おうと思ってもどこだったか思い出せない。けれども時代を超えた昔の本たちの背表紙に囲まれ、とても充実したひと時を過ごせた。
原田ひ香の「古本食堂」は、まさに神田神保町が舞台。実在する本屋や、カレーやさん、美味しいお店などが、ふんだんに織り込まれて、登場する本や、食べ物には、本当に興味をそそられる。
物語は、この神保町で、とある小さな古書店を営んでいた高島滋郎が急逝。そのお店とビルの相続をすることになった妹の珊瑚が、北海道から単身上京するところから始まる。
一方、珊瑚の親戚であり、生前から滋郎と交流のあった国文科の大学院生の美希喜も珊瑚を助けて、その店で働くことになる。
作品は、珊瑚と美希喜の二人のヒロインの目線で語られていくが、何といってもだんだんと明らかにされていく滋郎の謎と人間性、珊瑚が北海道で心から愛していた想い人の東山、美希喜のことが好きで、いろいろアタックを試みる建文。美希喜の大学院の指導教官である後藤田先生。
この店の行く先はどうなってしまうのか。
美希喜の将来はどうなるのだろうか……。
登場人物が非常に魅力的であり、そんな人たちと美味しい食事を共有することで、だんだんと深まっていく絆。そして何よりも古書があり続け、古書を扱う人々が受け継がれていく大切さ。
ページをめくるごとに、あの時に訪れた古書堂の、普通の書店とはちがう何か特別な空気感を呼び覚ましてくれる一冊だった。
ちなみに、神保町の古書堂で、私が求めた一冊の本は、昭和二十五年初版の随筆集、中川一政著の「香炉峰の雪」であった。




