Nueilate-思慮迷走
「また、失敗ですな・・・」
現在のヌエの姿を見た者は必ず二度振り向くであろう、と言うのが周囲で見守る者達の総意だ。
まるで子供が一日中遊び回った後のように、身体中が泥まみれだからだ。
しかも、その行動は意味不明。
道端にしゃがみ込み、土に少しの水をかけ、両手で握ると、軽く固まった泥を真上へ軽く放り投げ、右手の拳で殴るように受け止める。
当然、その結果は飛び散った泥によって身体中が汚れていくヌエの姿があるだけだった。
これが、今のヌエの修行だった。今日で二日目になる、泥団子を使った修行。
「ぬぅ、何度やってもさっぱり分からん」
「ホゥホゥ、苦戦しているぅようだね」
その様子を見かねたのか、はたまた発破をかけに来たのか、濡れた布地を持ったロクロクが前方から歩みを遅くして近づいてきた。
初めの頃、彼が泥団子を作っていたのだが、少し水分を含ませれば力技である程度の塊が作れる事を教えてやり、それ以来はヌエが一人で修行する形に落ち着いていた。
「ロクロク殿、感謝いたします。・・・ですが」
ヌエは何気なく受け取ろうとした手を止め、軽い会釈と共に恩義だけを受け取った。
「何の道汚れますので、今は受け取れぬのです」
だが、その答えをなんとなく察していたのか、ロクロクは布を丸めると、ヌエの頭の上へと放り投げた。
ハッと顔を上げ、落ちてくる布地目掛けて拳を繰り出す。同じ動作を繰り返し続けていたヌエは反射的に手を出してしまった。
水気を含んだ布地は泥団子と大差ない速度で落下し、拳と衝突した瞬間、弾いた音と共にヌエの腕へと張りついた。
「ホゥホゥ、その様子だと全然進歩していないようだね」
「・・・面目無い」
「根の詰め過ぎはよくないね、碌な事になりゃぁしない」
この言葉にはヌエも同意せざるを得なかった。日が昇った時からこの修行を始め、ふと空を見上げると日はほぼ真上に差し掛かっている。時間にして約五時間程度だろうか。
身体に疲労感は無い、それが魔術を使えない爬魔の利点であり、最大の武器でもあるのだ。
ヌエは拳に張り付いた布地が、少しづつ土気色に染まっていく様子を眺めながら、一つの感情を感じていた。
「時間が無いというのに、拙者は、何一つ身に付ける事が出来ないのです」
焦り。それは、武術において今まで感じる事の無かった、ヌエの初めての感情だった。
しかも、師であるカガシジから「基本はできている。後は実戦で使えれば問題ない」とまで言われたにもかかわらず、二日かけて何一つ進歩しない。
「やれやれ、舌足らぁずの師を持つ者は苦労するね」
ロクロクは深く帽子をかぶり直しながら、溜息のような笑いを洩らす。
「それは、いったい?」
言葉の意味が読み取れなかったヌエが聞き返すが、ロクロクがその答えを返してくれる事は無かった。
「休憩がてら、面白い話しをしてやろぉうじゃないか。そろそろ行軍も休憩に入る予定だしね」
ロクロクの視線の先、行軍の先頭から走って来た兵の一人が、大声で休憩を知らせながら走って来る所だった。
ヌエは少し戸惑ったが、言われた通り、ロクロクに付き合う事を決め、受け取った布で顔を拭き始めた。
ほんの少しの休憩、ヌエはそのつもりだったが、昼食を食べ終えたロクロクは、唐突に立ち上がり、泥団子を3つ作り出す。
「これは?」
「よく見ておきなよ」
三つの泥団子は空中に浮かぶと、ロクロクの手の動きに合わせて回り始める。
誰もが知っている子供の遊びである、お手玉。それを、彼は触れずにやってのけたのだ。
泥団子を崩すことなく器用に扱う様は見事だと思ったが、それは人魔である彼だからできる事だろう。爬魔であるヌエはそう納得してしまった。
「ふぅ、昔はもう少し出来たんだがね。今はこれぇが限界だね」
手の動きを止めると、泥団子は地面へと落下し、砂になる。
彼が何気なく生み出したのは、ある程度の形状を保つことのできる泥団子ではなく、ほんの少しの集中を解くだけで崩れてしまう砂団子。
「御見事な技ですな」
それが、ヌエの率直な感想だった。
「技かい、お前さんにはそう見えたんだね」
「・・・それは、どういう?」
ヌエには、その問いの意味が分からなかった。彼女は自分の頭が良くない事は良く知っている。だからこそ素直に、愚直に生きて来た。
その事は、ヌエと共に過ごした者ならばすぐに理解できる事だ。それほどまでに、彼女は分かり易かった。
「まずは難しい話からしようかね」
そう言うと、先程と同じように砂団子を一つだけ作り出すと、ヌエの手の上にそれを乗せた。
「さっきの魔法はね、砂を纏める力、塊を動かす力、回す力、受け流す力、その4つを同時に使ってるぅんだよ」
指を一本づつ立てていき、4つの力という部分を強調する。4つと言えば簡単なように聞こえるが、両手両足で違う文字を書くようなものだ。
その域まで達するのにどれだけの時間がかかるのか、ヌエには想像もできなかった。
「魔術っていうのは、それぇを簡単にできるようにするための技術だね。多分、おじょうちゃんなら、一目見ただけで同じ事が出来ると思うね」
「確かに、姉者なら当然ですな」
エリスを褒められ、まるで自分の事のように喜ぶ。それと同じく、それではダメだという思いも、ヌエの中にはあった。
なんでもできてしまうエリスの後ろに居るのでは意味が無い、爬魔という取り柄しかない自分は、エリスより前に立たねば、意味が無い。
「・・・意味が無い」
自分の中に湧きあがった言葉は、自分を苦しめる鎖のように、重く苦しく縛りつけるものになる。
「そうだね、意味なんかないね」
そう言われ、ヌエはハッと顔を上げる。自分が零すように言った言葉を肯定され、意味の無い答えを無意識に期待したのかもしれない。
「お前さん、少し頭を使いすぎているぅのかもしれないね」
「頭を?」
人差し指で自分の頭を小突くロクロクにつられて、ヌエも自分の頭を撫でる。ほのかに温かい髪の感触と、髪の擦れる音が僅かに耳に届く。
その感覚は、意識して感じた物ではない。そこにあるのが当然のように、当り前の感覚。
「確かに、知るぅためには多少の頭を使う必要はあるぅだろぉうね。けれぇど、誰しもが全てを知って行動している訳ではないだろぉう?」
歩く為に足の使い方を考える者はいない。文字を書く為に指の動かし方を考える者はいない。考える者がいたとすれば、それは歩く事も書く事も知らない子供。
「知る事の大切さ、ですかな・・・?」
「思う事の大切さ、だろぉうね」
知る事は誰にでもできる、大切なのは、それを知りどう思うか。
「自分の思い通りに魔術式を形成し、術を使うのが魔術。だとしたら、自分の思い通りに肉体を躍動させ、技を使うのが奥義。そうだと思うがね?」
その言葉は、ヌエの考えを導くには十分すぎた。何度もカガシジの行動を頭の中で考え、同じように使うにはどうするか、考える。
考えている筈なのに、同じようにやっているのに、出来ない。
カガシジの歩く速度に達する為にはどうすればよいか、必死で考えるのに夢中で、自分が立ち止まっている事に気付けなかった。すでに自分が歩いている事を忘れて。
「拙者、どうやら立ち止まっていたようですな」
「ホゥホゥ、分かってくれぇたならよかったよ。知る事で思い、思う事で作る、これは師の言葉だがね」
「今の拙者になら分かる気がします。御助力、かたじけない!」
ロクロクとの話が終わる頃には、昼休憩も終わりを告げ、再び行軍が開始された。
けれど、その時から、ヌエはがむしゃらに訓練する事を止め、自分の力の進むべきを見つける為に思い続けた。
「基本はできていると言われた、ならば、立って歩く事はできている」
自分の思い通りに身体を動かす。それならば生まれてからこの日まで、ずっと続けてきた事、頭で考えず、まずは感覚だけで身体を動かせるようになれば。
その考えに至ったヌエは、一歩づつ歩く度に全身の鱗膚を動かし、それが感覚として馴染むまで繰り返し歩き続けた。




