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 これにて、完結です。

 カン、カン、と一段ずつ。ゆっくりと階段を昇る。疲れきった体に鞭を打ち、どうにか一歩ずつ。

 何とも、不思議な気分だ。今僕が背負っているのは大悟なのだろうか、それともメリーさんなのだろうか。そもそも、メリーさんとはあの人形の事を示す名なのだろうか。

 もう少しでメリーさんの正体が分かりそうだという時になって、彼女が話しかけてきた。背中越し、耳をくすぐるその声は、あの日と同じ。

 「ね……さっき、この子の相手をしているあなた、すごく格好良かったと思うわ。やっぱり、少し無理してでも余裕ぶったほうが魅力的だと思うわよ?」

 「どうせ普段の僕は余裕が無いよ」

 思わずぶっきらぼうな言葉が口をついて出た。

 「あっ、少し怒ってるでしょ? 駄目じゃない、褒め言葉は笑って受け取るものよ」

 怒っているのではなく、照れ臭くてそっけなくなってしまっただけなのだが、それを告げるよりも早く彼女は言葉を重ねてくる。

 「男の顔は、性格は映さなくても生き様は映すわ。笑顔が一番、辛気臭いのは駄目、最悪。まぁ、常にヘラヘラしてる男は論外だけど」

 止める間もなくメリーさんの「講座」が始まってしまった。一度始まってしまったら結論を言うまで絶対にやめない。僕は諦めて、メリーさんの話に耳を傾けながら足を動かす。

 「笑顔を湛える、って言葉があるけれど、これはすなわち、己を喜びに満たしているということ。それが人の幸せよ……虚勢を張っていてもね。だから、にっこり笑って時々怒って、哀しい時は泣いて、その後また笑顔を作る。絶対に忘れないでね?」

 「嬉しくもないのに笑顔でいて、一体何の意味があるの? 僕にはピンと来ない」

 「じゃあ聞くけど、怒って楽しい? ……絶対に楽しくないわ、断言する。ほんの少しの解放感に、焦げ付く後悔と虚脱感と罪悪感。なら、笑ったほうが良いと思わない?」

 答えになっていないな、と僕はそっぽを向いた。

 「ちゃんと聞いてね? 『世界』を変えるのは認識や意識、ましてや理解や真理じゃないわ。いつだって『世界』を変えるのは「行動」だけ。それがこの世界のルール。みんな知っているはずなのに、知らないふりして目を逸らすけれど。「行動」するのには、とてつもない労力が必要なの……きっとそれは「魔法」みたいなモノだから。『世界』を変える、ね」

 雲を掴むような話だ。行動が魔法? 言葉ならまだしも、何故?

 「僕が動いても世界は変わらないよ。世界は破滅しないし、街に妖怪たちは現れない」

 「あら、そうかしら? あなたは今、『世界』を変えているじゃない。死ぬかもしれなかった人間を助けてあげた。紛れもなく、あなたは『世界』を変えた」

 「これはメリーさんの助言があったから……!」

 「だとしても、「行動」したのはあなた。この服を買ってくれたのもあなた、ご飯を作ってくれたのも、抱き締めてくれたのも拾ってくれたのも全部! 莞爾、あなたがしてくれたこと! 全ての引き鉄はあなたの「行動」――“そう思ったならそう行動すべき”と決めたあなたの「行動」が、『世界』も変えたんじゃない!!」

 ――――あぁ、そうだったな。

 いつも落ち着いている彼女が、声を荒げている。それほどまでに、僕に伝えたい事なのだろう。

 「……この歳になってまで説教してもらえるってのは、ある意味贅沢な事なのだろうね」

 断じて、僕が間違っている事を認めたわけではない。だが、メリーさんの言い分にも一理あると判断してこれからの将来、実験と考察を繰り返していきたいと思っただけであり、少しずつならメリーさんの理想に近づいてみても良いと判断しただけだ。うん、そうだ。何もおかしくない。おかしくないぞ。

 「ごめん、屁理屈ばかりこねて。つまり僕はどうしていけば良い? 浅学で無知で生意気な僕にご教授願えるかな?」

 能天気なものだ。僕らは、燃え落ちようとしている建物を上へ上へと昇っているのに。その心地は、絶望した自殺志願者とも気の狂った破綻者とも違う。いつもの、何気ない日常と変わらない。

 「笑顔よ、笑顔。健やかなる時も病める時も常に絶やさず、ね。本当はもっと伝えたいことがあったけれど……到着っ」

 煙で燻される六階の踊り場。そこで僕は一度、大悟を床に下ろす。腰を叩きながら顔を上げると、何とまぁ……炎が目前に猛り狂っていた。七階、屋上へと続く階段は火に飲まれ、もうこれ以上は昇れない。

 目が焼ける、髪が焼ける、肌も空気も何もかも。こうしている間にも火は嘲笑うように迫ってくる。幾許もしないうちにここも火に包まれるだろう。

 「さて、そろそろ教えてもらってもいいかな。まさかこのドアを開けろ、だなんて言わないよな?」 扉は奇妙な音を立てながら歪み始めており、何となく向こう側の惨状が理解できた。この進退窮まった状態を、どうやって打開するのだろうか。僕には見当も付かない。

 「そうね……うん、そろそろ種明かしの時間かしら。簡単よ、ここから隣のビルに――跳ぶの」

 「……………………は?」

 よく聞こえなかった。と言うか、聞きたくない。今凄く不吉な言葉が聞こえた、きっと気のせい、気のせい……。

 「ここから跳ぶの、向こう側に。この高さならギリギリ届くわ。……あぁもう! そんな顔するって分かっていたから教えなかったのっ!」

 「そりゃそうだろ! 絶対に無理だっ、子どもを抱えて、あんなに跳ぶだなんて……僕は漫画の主人公じゃあないぞ!?」

 知っていればその時点で却下していた。あぁ、だからこそ頑なに秘密にしていたのか!

 (……どうする? ……いや、もう――――決まってるんだろ?)

 彼女の教えを実践するつもりなどなかったが、笑みがこぼれてしまった。頬が弛み、目尻が下がる。どうせ僕はメリーさんを信頼しきっているのだ、どうしたって彼女の言う通りに動かざるを得ない。そう思うと笑えてしまって仕方がないのだ。

 「ははっ、もう……分かった、何でもするよ。メリーさんがそう言うならやってやるさ」

 最悪、自分が届かなくても大悟は助かるよう、小さな身体を前に抱く。跳ぶときに邪魔になるだろうと鉄柵に蹴りを入れて壊した。錆びてボロボロだったので、苦もなく壊せたのは幸運だ。

 「っし、さてメリーさん。何か伝えておくべき注意点とかはあるかい?」

 前へ乗り出して、飛び移るビルを確認する。ビルは百貨店の五階ほどの高さしかない、六階からでもビルの屋上は見える。何の手入れもされていないうちっぱなしのコンクリートだ、ぺんぺん草も生えていない。

 (やっぱり無理だろうな、うん。あと1メートル、1メートル足りない)

 跳んで、駄目なら大悟をぶん投げる。足の踏ん張りが無い状態で上手くいくか……いや、上手くいくと思おう。

 踵を返し、扉の前まで戻った。胸に抱く大悟は眠るように目を閉じている。額から流れる汗が、彼にはまだ命が宿っていることを証明していた。

 ぼんやりと大悟の顔を眺めていると、ひどく不思議な気持ちになってくる。僕は彼の父親でも何でもないが、絶対に守らなければと、使命にも似た思いが湧いてくる。全く、僕らしくもない。

 その時、大悟の口が動いた。耳を澄ませ、彼女の言葉を待つ。

 「無駄口叩いてないで早く跳んだら? 決心が鈍っても知らないわよ」

 相変わらず手厳しい。その言葉に笑みを深くした僕は、力いっぱい地を踏みしめ駆け出し、そして―――跳んだ。



 「ああああああああああああああああああああああああッ!!」

 宙に浮いた身体は、空恐ろしくなる浮遊感と絶望的な高さに晒される。無意識の内に叫んでいたが、果たして僕自身、何と叫んでいるか分からない。ただただ、何かに縋るように声を出すしか無かったのだ。

 間延びした空間で、ゆっくりと自分の体が前へ進んでいる。だが、それと同時に、下へ引っ張られる力が少しずつ増していく。

 目の前に広がるビルの屋上。そこまであと数メートルだと言うのに、既に前へ進む力よりも下へ落ちる力が勝り始めている。あと幾許もしないうちに僕はビルの谷間を墜ちていくだろう。

 (やっぱ無理……!)

 無理だという事は、無茶だという事は分かっていた。絶望的ではあるが、失望はしていない。自己犠牲が素晴らしいとは全く思えないが、大悟を助けられるならそれで良いだろう。僕にしては上出来だ。

 (メリーさん、ごめんね)

 胸の中で一言彼女に謝罪し、大悟を放る事を決めた。あと少し距離が縮まったところを見計らって思い切り押し飛ばせば、恐らく届く。いや、届かせる。

 そして腕に力を込め、タイミングを見極めていると―――


 「……あ、れ?」


 ―――背中を、押された。


 とん、と小さな手が僕の背中に触れた。勇気付けるようなその感触は、一体何なのだろうか。

 グラリと前のめりになった僕は、そのまま回転して背中からコンクリートに叩きつけられた。胸に抱いた大悟の重みと背に走る衝撃で、一瞬呼吸が止まる。

 (え……あれ、何で…………?)

 頭も強かに打ちつけたせいか、思考が定まらない。何故、僕は、何処に、居るんだ?

 背中に感じるコンクリートの冷ややかさに、少しずつ頭が落ち着いてきた。手のひらを這わせると、何処までも続くザラザラした地面が。

 「やった……」

 終わった。そう思うと途端に体から力が抜けていった。煤で汚れた手のひらを見ると、みっともなく震えている。思わず、その手で顔を覆った。

 本当なら勝利の雄叫びをあげたいぐらいだが、とてもじゃないがそんな元気は残されていない。とにかく、疲れた。今すぐシャワーを浴びて寝てしまいたい。メリーさんには悪いが、食事は後回しだ。

 「…………っ! そうだ、メリーさんは!?」

 胸の中にいる大悟は未だに眠ったまま。軽く揺さぶり、声を掛けてみても起きる気配がない。

 「メリーさん、メリーさん!?」

 何度呼びかけても返事はない。彼女はいま、何処に居るのだろうか。もしかして、あのバッグの中へ帰ったのだろうか。そうなら一向に構わないのだが、何故だろうか。どうにも胸騒ぎがして仕方がない。

 疲れきった体を無理やり起こし、先ほどまで自分が居た百貨店を見た。もう、基礎部分ばかりが目立つその姿は、内部からの圧力に耐えられないのか、内側から爆ぜつつあった。

 「え……っ!?」

 自分が踏み出した六階の階段、そこはもう既に炎に犯されていた。煙が生まれ、吐き出されるそこに、踊る赤い蝶の柄。あれは―――メリーさんだ。

 こちらに掌を突き出し、煙に巻かれるメリーさん。いつも眺めていた無機質な顔は、何処か笑っているようにも見えた。

 「な、何で……! 助け――」

 立ち上がり、飛び出そうとした段差に足を掛けると同時、メリーさんの背後にある扉が……弾けた。

 小規模な爆発。弾け飛んだ扉の向こうから噴き出した炎は、悪意の奔流に感じられた。その炎はあっという間にメリーさんを飲み込み、僕を後方へ圧し飛ばした。

 もんどりうって倒れた僕の近く、半壊した扉が鈍い音を立てて転がっていく。僕の顔にも何かが刺さっているようだが、そんな事はどうでもいい、今はメリーさんだ、メリーさんの無事を確認しないと……!

 再び立ち上がって辺りを見回す。外付け階段は先ほどの衝撃で外れ、枝垂れを作って下に伸びる鉄の塊となってしまった。ビルの谷間を見下ろすが、そこにはメリーさんはいない。もしかしたらと、こちらのビルの屋上を確認してもメリーさんの姿は発見できなかった。

 きっと、すんでの所であのバッグの中に戻ったのだろう。そうだ、そうに違いない。

 そう思いたかった。きっとあの時、僕の背中を押してくれたのは彼女だったのだ。まだ感謝も伝えられていない、早く会いに行って「ありがとう」と伝えないと彼女は怒る、だから早く。

 だが、その思いは一枚の布切れで打ち砕かれた。ひらひらと舞い、僕の目の前に墜ちた蝶々。それは、彼女に贈った着物の切れ端だった。



 ぼんやり、と。部屋で天井を眺めている。果たして、意識がここに在るのか無いのか。まだ季節は夏。なのに、暑さを感じない。

 いや、頬を伝う汗、それがこの部屋の暑さを証明している。なのに、何でこんなに僕の心は動作不良を起こしているのか。握った携帯電話は何も答えてくれない。

 「学校、行かないと……」

 数日振りに通う大学、今日は教授に聞きたいこともある。早くしないと。

 


 あの後、僕は大悟を連れて地上へと戻った。いつまで経っても夢うつつの彼を母親に預け、鞄を取り返してさっさとその場を離れた。

 幾人に引き止められたが、それを無視して逃げ帰る。もしかしたらと鞄の中を覗いてみたがそこには数枚のレジュメがあるのみだった。一縷の望みを託したアパートにも、やはりメリーさんはいなかった。何日待っても、帰ってこなかった。

 重たい身体を引き摺り、やっと学舎に到着する。挨拶代わりに絡んでくる小泉を軽くあしらい、いつものように講義をこなすと僕は教授の研究室にお邪魔した。

 今日、決着を付けなければならない。いつまでもこうしている訳にはいかない。それだけを心の支えにして扉をノックする。そうしなければ、こうして大学に来た意味が無くなる。

 「――はい、どうぞ」

 形式的な挨拶も済ませ、僕は教授に訊ねた。

 「すいません。柳田教授にお聞きしたいことがあるのですが」

 「ん、何だい? 面白い事だと良いんだけどね」

 彼は卓上に敷いてある布に何やら墨で絵を描いている。アレは……トウテツ。何でも喰らう化け物、転じて災いや魔をも喰うと信じられている魔除けの紋様だ。

 「あ、これかな? ははっ、ついに私にも曾孫が出来てね。その子の為にこうして、ね」

 嬉しそうに笑う教授は、僕の顔を見ると表情を一変させた。

 「……とにかく、話してごらん。そこに座って。さぁ」

 勧められるまま椅子に腰掛け、教授に訊ねた。

 「教授は……メリーさんについてどのような見解を?」

 腕を組み、顎に手を当て、目を閉じる教授。しばし逡巡すると口を開いた。

 「――メリーさん、か。私はアレを個人的には「託宣するモノ」だと思っているよ、うん。彼女は電話を通じて言葉を告げ、そしてそれはその通りに事が起きる」

 僕の考えに近い。つまりは、

 「予言を行い、『世界』を操るということですか?」

 だが、教授は首を横に振る。

 「いや、少し違う。零落した彼女にそこまでの力は残されていないだろう。彼女に出来ることは、気付かせる事。もうそれぐらいだろう。キミは『シュレーディンガーの猫』という話を知っているかい?」

 「はぁ……猫は死んでもいるし生きてもいる、という話ですね」

 途端に胡散臭くなってきた。この手の言葉が持つ、「煙に巻く」力を知っている僕は拒否反応を起こしてしまう。

 『シュレーディンガーの猫』、簡単に説明するならそれは、「どちらともつかない」という事だ。猫が箱の中に居る、その箱には毒ガスが噴き出す仕掛けがなされており、いつその仕掛けが動くか分からない。ただ確実に言える事は、猫はそのガスは猫を殺すには充分毒性があるという事だけだ。そこで、一定時間経った箱の中に居る猫はどうなっているか、というものだ。

 その答えは「どちらともつかない」、だ。その状態での箱の中の猫は「死んでいる」とも「生きている」とも言える。これが『シュレーディンガーの猫』……だと思う。

 「うん、そうだね。この話のミソは、「確認するまでは状態は確定されない」……つまりは、認識されなければあらゆる事象は確定されず、存在しているとは言えない、存在する事も出来ないという訳だ。いいね?」

 やけに哲学的な物言いだが、言いたい事は分かる。

 「つまり、彼女は――自分の存在を認識させ、そして現れる怪異?」

 人差し指でずいっと僕の鼻先に突きつける教授は、少し微笑んだ。

 「ご名答。そうさ、彼女の存在を認めた瞬間、彼女は現れる。彼女は何処にでもいて、何処にも居ない。まぁ、これは他の妖怪たちにも言えるかもしれないが。……己の存在を気付かせるために託宣する、だなんて矛盾した存在だ、だからこそ彼女はひどく能動的な存在なのかもしれない。もしかしたら君の後ろにもいるかもしれないねぇ」

 僕が咄嗟に振り返ったのを喉を鳴らして笑う教授は、テーブル上の布を手に取って僕に渡してきた。

 受け取れない、と僕が拒否の姿勢を見せると半ば無理やり手に押し込んでくる。

 「今の君には必要なものだと思うんだけどねぇ。ほら、持っていく」

 抵抗できない。ならばありがたく貰っておくだけだ。トウテツの描かれた魔除けの布をポケットにしまうと、教授に頭を下げて研究室を後にした。



 道すがら、彼女の事を考える。あの時、大悟の口を借りた時には既にメリーさんは覚悟を決めていたのだろうか。

 『都市伝説』に死は存在するのか。人が聞いたら笑い飛ばすか呆れるか、僕はそのことばかり考えている。

 正直に言おう、僕は……死んだと思っている。今まで感じたことのない喪失感が胸の中を占拠して、僕を捕らえて離さない。彼女は己の死を予期していたから、しつこくお説教してきたのだろう。

 「僕なんかの為に……」

 強く握った掌には着物の切れ端が。こんなことになるならもっと違う方法を選んでいた。僕にとって彼女は、彼女だけは……。

 夕暮れに沈んでいく町。一人だけの往路に、影法師が伸びる。赤い赤い夕陽を浴びて、黒い影が僕の足元から伸びていく。その影が突然、ぼやけた。

 「あれ……?」

 次に頬を水が流れていく。温かい水が顎を伝って地へ落ちていく。この時になってやっと気付いた。僕は――あぁ、僕は泣いているんだ。

 今まで単純な肉体的苦痛でしか泣いた事がない僕は大いに戸惑った。そうして驚いているうちにも涙はとめどなく溢れてくる。

 

 『――哀しい時は泣いて』


 メリーさんの言葉を思い出す。足は止まり、顔を拭う手の甲はしとどに濡れている。

 僕は、今まで泣く事を拒否していた。泣いたら認めることになる。弱い自分を、誰かが必要な自分を、そして……メリーさんが居なくなってしまった事実を。

 でも、教授との会話で分かってしまった。メリーさんは「自分の存在を気付かせる怪異」だ。その彼女が僕に何もしてこない。これはすわなち……。

 「ちくしょう……」

 止めようのない涙とやけに熱い鼻水が流れる。通行人が僕の顔を覗いてくるが知ったことか、僕がここで泣いて何が悪い!

 不甲斐ない、彼女を助けられなかった自分が。憎い、彼女のサインに気付いてあげられなかった自分が。


 『――その後また笑顔を作る』


 そんなの、無茶だ。無茶だよ、メリーさん。あぁ、彼女はこうなる事を見越して、あんなに口がすっぱくなるほど繰り返していたのか。


 『笑顔を湛える、って言葉があるけれど――』


 だったら、残された僕に何が出来るだろう。


 『――これはすなわち、己を喜びに満たしているということ』


 メリーさんを探す? いや違う。


 『それが人の幸せよ』


 きっとそれは、胸を張って。


 『虚勢を張っていてもね』


 笑って生きる事だ。


 『健やかなる時も病める時も常に絶やさず、ね』


 浅学な僕のことだから何度も間違えるだろう。


 『本当はもっと伝えたいことがあったけれど』


 でも、やってみせるさ。それが僕とメリーさんの約束だから。


 『うむ、よろしい』


 叫びだしたい衝動が抑えきれず、僕は涙をそのまま走り出した。道往く人が驚き、振り返るがそんなものは目に入らない。走っているうちに、我慢できなくなって声にならない叫びを上げた。大魔々時を走り抜け、空に星が灯る頃、疲れきって倒れた僕はようやく笑えた。何とも不恰好だが、これで良いんだろう……メリーさん?



 それから何度か春が来て。僕は鏡を覗いてネクタイを締める。少し老いた僕の顔は、皺がほんのり目立つものになっていた。

 そんな感慨深く皺を見ていた自分に、思わず苦笑してしまった。笑うと、その皺通りの顔になる。それが面白くてまた笑ってしまった。

 相変わらずの僕は、あれだけ好きだった民俗学とは全く関係ない職に就いている。何だかんだとあったが、無事卒業してこうしてお仕事も戴いている、順風満帆とはいかないが及第点ぐらいは貰ってもいいだろう。

 資料が片付けられて少しさっぱりした部屋。その部屋の一角のテーブルに、あの頃の僕が使っていた携帯電話とメリーさんのお古が置いてある。

 もう何世代も型落ちしてしまったその携帯電話は、今はこうして部屋の神様のように飾られている。

 「早いもんだな……」

 どうしてあの頃の僕はあんなに余裕が無かったのだろう。若さゆえ、と一言で片付けてしまうのは簡単だが、きっとそれは――

 「おっと、もうこんな時間だ。メリーさん、行ってくるね」

 ディスプレイに時間のみ映す携帯電話に向かって手を合わせると僕は鞄を手に急いで立ち上がったが、


 突然、調子外れのメロディーが流れ始めた。


 「ひゃあ!?」

 もう数年間、うんともすんとも言わなかった携帯電話。画面は着信を示すものになっており、相手の名前は表示されない。

 恐る恐る携帯電話を手に取り、通話ボタンを押す。そしてゆっくりと耳に当てると、懐かしいあの声が。



 「――――――私、メリーさん」



 長い期間掛かってしまいましたがこれでおしまいです。戦闘の無い作品で、モチベが下がり、ダラダラと先延ばしていたら夏が終わってしまいました。

 内容としても、どうにも締りのない形となってしまい、悔いが残る作品です。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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