ベツレヘムの星
つい、一時間ほど前に公園で出会ったはずの少女の顔にレニーの指が震えた。
「嘘だろ、どうしてこんな……」
さっきの少女と違うのは、細い首に残る紫色の無残な扼殺痕。
「かなり強い男性の手で絞められているみたい」
「……いつ? 亡くなったのはいつなんだ?」
カブリーニはちょっとだけ首をかしげた。
「検屍官が言うには、だいたい五時から六時の間あたりじゃないかって。まだはっきりはいえないみたいだけど。銃声らしきものを聞いた人は、日が落ちてすぐくらい、と言ってるみたい。私がざっと見た感じもそんなところかな」
このあたりの日没は、今の時期なら午後四時半から五時の間くらいだろう。だとすれば、レニーと会う前ということになる。
「やぁ、フィリパ……」
ささやくような声でレニーが少女の名前を呼んだ。事務的に答えていたカブリーニが、あら、と戸惑ったような声をあげた。
「この子の名前、知っているのね。もしかして、知りあいだったの? この子、フィリパ・アイアランドっていうのよね?」
カブリーニは、壁に貼られた子供らしくクレヨンで描かれたクリスマスツリーの絵を指差した。レニーが目をこらすと、確かにたどたどしいフィリパの署名が隅の方に入っている。
「ここにツリーは?」
唐突なレニーの問いにもめげず、カブリーニはかぶりを振った。
「そんな贅沢なものはなかったわ。ツリーを置くくらいなら、パンを買うでしょうね。冷蔵庫もほとんど空だったし」
レニーはうなずき、ぎゅっと拳を握り唇をかみ締めた。
その様子にカブリーニは、
「知りあいだったら余計につらいわね、気を落さないでね」
と、優しい声でささやくと自分の仕事に戻っていった。
レニーは辺りを見まわした。
古ぼけた小さな箪笥と布地が傷んで綿がはみ出そうな二人がけのソファ。年代物のテレビ。色褪せた敷物の上に置かれた小さなテーブルと椅子に薄汚れた壁紙。小さな台所の流しには、何も入っていない鍋とマグカップがふたつ置かれている。年代物の古い小さな冷蔵庫には、ベタベタと何かのキャラクターシールが貼られているが、そのほとんどはすっかりこすれて元の色合いすらわからなくなっている。
壁に貼られた何枚かの絵は、すべてフィリパの描いたものだろう、全部にサインが入っていた。
もうひとつある奥の小さな部屋には頑丈そうだが、風情も何もないひと昔も前に病院で使っていたようなパイプベッドが二台、L字に並べてあり、薄いマットレスの上に、雑にたたまれた薄い毛布が無造作に置かれている。
その中でひときわレニーの目を引いたのは、片方のベッドの足元に巻かれている黒いケーブルだった。
「カブリーニ捜査官」
寝室の窓を調べていたカブリーニが、いきなり呼ばれてびっくりしたような顔で振り向いた。
「ここにはタブレットかパソコンがあるのか?」
「ええ? どっちも見かけてないけど。……あるの? なぜ?」
「ここにノートパソコンかタブレット用の電源ケーブルがあるんだが」
レニーはベッドの足元を指差した。
あら、と言ってカブリーニはベッドの下を覗きこんだ。
「……そうね、そうかも。もしかしたら、持ってかれたんじゃないのかな、犯人に」
それから彼女は軽く顔をしかめた。
「でも、なんでパソコンなんかあるの。そんなものよりも娘に何か買ってあげればよかったのに」
レニーは唸り声でそれに答え、もう一度部屋をぐるっと見まわした。もうここにはほとんど何もなかった、見るべきものは……。
レニーが考え込んでいると、それまで黙ってみているだけだったBBが声をかけてきた。
「なぁ、レニー。なんであの女の子の名前を知ってるんだ? アイアランドの娘と知り合いだったはずはないよな」
BBが混乱している。だが、レニーも混乱していた。
確かに誰が信じるんだろうか。公園にフィリパが、ちゃんと息をして動いているフィリパがやってきたということを。
フィリパはレニーに名前を名乗った。レニーは彼女の手を握ったのではなかったのか。
氷のように冷たい手。受け取れなかったあのベツレヘムの星。
どこから説明しようかとレニーが迷っていると、フィリパを乗せた担架が戸口を出るために持ち上げられていた。
「待ってくれ!」
思わずレニーが、大声でそれを留める。
BBとカブリーニが驚いたようにレニーを見た。
「フィリパの上着のポケットの中に……何が入っているか見てくれ」
カブリーニは首を傾げたが何も言わず、手袋をはめなおし、カバーをめくると少女の上着のポケットを探った。彼女の白い器用な指先が、グレイの上着のポケットから金色の何かを引っ張り出す。
「……星よ」
歪んだ金色の手作りのベツレヘムの星。
それをレニーに見せようと持ち上げ、それからカブリーニは何かに気がついたように眉を寄せ、星を慎重になでた。
「これ、二重になってる。中に何か入ってるみたいだわ」
どうやら厚紙が二枚貼りつけてあって、その上に金紙が貼ってあるのだ。レニーは深く息を吸った。
「悪いけど、それを最初に調べてもらえるかな。殺人の重要な証拠になるかもしれない」
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念入りな調査と生き残った銃撃犯への尋問ではっきりしたのは、アイアランドを殺したのは、公園で最初にレニーを撃ってきた男だということだ。そして、フィリパを殺したのは、どうやら公園でフルオートガンをぶっ放していたあの男だった。図らずもレニーはあの男を撃ち殺し、フィリパの仇を討ったことになる。
他の生き残った男たちは、ホワイトがやった殺人に関しては何も知らなかった。ホワイトのことなど何も知らない、ただ金を積まれて頼まれた、とそれだけを繰り返す。間に入ったはずの人物は杳として行方が知れず、捜査本部は長期戦になると踏んでいた。
しかし、決着はあっさりとついた。
フィリパの持っていたベツレヘムの星の中にあったマイクロSDカードの中に、その答えがあったのだ。
マイクロSDカードの中には、ホワイトの告白画像のほかに、アイアランドが作ったと思われる告発文も入っていた。
「これのためにアイアランドはなけなしの金をはたいて、パソコンを買ったのか?」
呆れたようにBBが唸った。レニーが苦い顔をした。
「そう、たぶん。ホワイトから金を強請りとるために」
だが、それは甘かった。ホワイトは彼の居場所をすぐに探し当て、雇った始末屋たちを差し向けた。アイアランドが、なぜレニーにホワイトを告発することに決めたと言ったのか、それはさだかにはわからない。
もしかしたら、レニー自身が保険だったのかもしれない。
ホワイトにはもし自分に何かあったらレニーが動くと伝え、レニーにはホワイトを告発すると話しておく。
そして娘には、父に何かあったらベツレヘムの星をレニーに渡せと言い含めておいたのだ。この星はつかめば幸せになれる星だから、大事にするんだよ、と。
時間を考えれば、電話をよこしたのは、アパートが襲撃される寸前のことだったのだろう。
フィリパがコートを着て星を持っていたところを見ると、逃げようとしていた矢先だったのか。間に合わないと悟ったアイアランドは、レニーに会う約束の電話をかけた。決して自分は行けないと知りながら。
だが、フィリパの逃亡も間に合わなかった。
最後の希望として、アイアランドは、昨日のうちにレニーにSDカードは渡してしまった、今日はあの公園で金を受け取ることになっている、と彼らに「白状」したのだ。そして殺された、フィリパと共に。
「アイアランドは強請った金も受け取り、ホワイトも告発しようと決めていたのかもな。両方やろうとして、失敗したんだろ」
レニーの推測に、BBが肩をすくめた。
「お前もアイアランドには、変なふうに見こまれたもんだな」
レニーは一度だけ、公園で出会ったフィリパの話をBBにしたが、それ以来BBはその話を蒸し返さない。
それはあの時、公園にきていた制服警官のリードについても言えた。誰も二度と公園でレニーが出会ったフィリパの話は持ち出さなかった。
リードたちの報告書でも、レニーは公園でアイアランドを待っているときにいきなり撃たれたことになっている。ボディカメラは故障したのだ。修理に出した先で何も異常が見つからなかったとしても、だ。
レニーもだいぶ悩んだ末に、フィリパの話は報告書に載せないことに決めた。それは誰も信じないから、という理由ではない。あの子の話は、自分の胸の中にしまっておくべき”ごくプライベートなもの”だと思ったからだ。
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クリスマスももう数時間で終わるころ、レニーは検屍局の門をくぐっていた。
「やぁ、カブリーニ捜査官」
検屍局には、CSIのカブリーニ捜査官も来ていた。
「あら、クラウン刑事。何か不明な点でもあった?」
彼女の大きくまっすぐな黒い瞳が、レニーの目を覗きこんだ。
「いや、そんなことはないよ」
レニーは言葉を濁し、視線をガラスの向こうへ移した。
透明なガラスの向こうには、フィリパの遺体とアイアランドの遺体が並んで置かれていた。いたいけなフィリパの蒼白い小さな身体にも、Y字型の切開痕が見えていて、検屍官のサイモン・ブラウンと彼の助手がその周りで忙しく立ち働いているのが見える。
「そっちこそまだ終わってなかったんだ?」
カブリーニは小さくかぶりを振った。
「クリスマスで人がいなかったから遅れたけど、解剖はとうに終わってるわ。最後の片付けをしているの。あとは報告書だけよ。あの人たちもこれでしばらくはゆっくり眠れるでしょう」
あの人たち、が検屍官のことではなく、アイアランドとフィリパを指していることにレニーは気づいた。
「裁判まではね」
レニーの言葉にカブリーニがゆっくりとうなずく。うなずきながらカブリーニは、レニーが手に何かオレンジ色のものを持っているのを見とめた。それはグラデーションのきいた綺麗なオレンジ色のマフラーだった。
「それは? 車で来たんじゃないの?」
マフラーを指差しているカブリーニの言葉に、レニーがゆっくりと自分の手に視線を落した。
「いや、これは……」
「もしかして、あの子にあげるの?」
レニーが驚いてカブリーニを見た。彼女は、その整った顔に少しはにかんだような笑顔を浮かべた。
「そうじゃないかと思っただけ」
レニーの口元がかすかに歪んだ。
「うん、そう。そのつもりなんだ、……喜んでくれるかな」
「夕焼けみたいな色で綺麗だもの。喜ぶわよ、きっと」
レニーは、まじまじとカブリーニの顔を見た。フィリパと同じ感想を口にしたとは気づかない彼女は、化粧っけのない顔に生真面目な表情を浮かべていた。
「ええと、カブリーニ捜査官。お願いがあるんだけど」
「えっ、なあに?」
彼女の黒い瞳がいたずらっぽく輝く。レニーがひゅっと音を立てて息を吸った。
「全部が終わってからでいいんだ。いつになってもいい。フィリパ、あの子……」
レニーが少し躊躇って言葉を切り、カブリーニがいぶかしげにその顔を見あげた。
「……あの子が持ってたベツレヘムの星を俺にくれないか?」
レニーを申し出をカブリーニはちょっとの間考えていたが、やがてうなずいた。
「あれは大事な証拠品だけど。そうね、公判が終わったらかまわないと思う。時間がかかってもいいなら、私が責任をもってとっておくわ。遺族は他にいないみたいだし、たぶん誰も欲しがらないでしょ」
あなた以外は、と言う言葉をカブリーニは飲みこんだ。
ふいにレニーがかがみこみ、彼女の頬に軽いキスをしたのだ。
「ありがとう。君に神のご加護がありますように」
レニーが手を振りオレンジ色のマフラーを持って検死室の中へ入っていくのを、カブリーニはぼうっと見つめていた。
「あなたにも神のご加護を!」
彼女が我に返って扉が閉まる直前に返した言葉に、レニーが振り向いて今度はその唇に薄く、だがはっきりとした微笑をのせた。
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エピローグ
新しい年が明けて、三日ほどたった頃だった。
その日、ネオタイムズ新聞と地元テレビが、揃ってホワイト上院議員の大いなるスキャンダルをすっぱ抜いた。少女への性的虐待、および殺人と本人によるその告白。
SNS上でももちろん近年にないほどの大騒ぎ、祭りになっていた。地方都市でのスキャンダルだけではすまない。ことは殺人、しかも複数の殺人だ。そのうえ、殺害の理由がホワイトの異常な小児性愛性癖のせいだとすれば、革新的「児童保護の法案」などぶちあげていたホワイト上院議員がこのままですむはずはなかった。
「どういうことだ、これは!? 騒ぎが大きくなったじゃないか」
怒り狂ったキプリング検事とオルドリッジ本部長に呼び出されたベケット警部が戻ってくるやいなや、レニーとBBが部屋へ呼ばれた。
「見たらわかるでしょう。俺たちの誰かがリークしたわけじゃない。アイアランドの罠ですよ」
BBが肩をすくめてみせた。
アイアランドは、つぶやき投稿サイトの予約投稿機能を利用したのだ。10日後に、ホワイトの告白画像が暴露されるように。
アイアランドがそれを投稿したのは、クリスマス・イブ、あの悲劇の夜だった。
彼が生きていれば、次は年末にでも予約投稿の日付をずらすことになっただろう。しかし、アイアランドは殺され、予約投稿は容赦なく悪事を暴いた。誰かがそれを見つけ、SNSで盛大な祭りとなった、とそういうことだった。
ベケット警部が苦い顔をした。
「奴がコピーしたのは、SDカードだけではなかったということか」
「あの馬鹿な連中が、アイアランドのノートパソコンを捨ててなきゃ、もっと早くわかったんでしょうけどね」
あの始末屋の生き残りたちは、アイアランドのノートパソコンを持ち出し、証拠を隠滅のために川へ捨てた、と供述したのだ。
BBの答えにベケット警部がため息をつく。
「結局、アイアランドは金のためだけじゃなくて、本当にホワイトも告発したかったんだろうな」
レニーが目を伏せたまま、ぽつりとつぶやいた。
「たぶん、あの子のために、ちょっとだけ欲張りすぎたんだ。……クリスマスだったから」
投稿サイトのアイコンは金色の星、ユーザーIDは、Angel――天使――になっていたのだった。
END




