エピローグ
「鍵って、なんだったのですか?」
「なんのことかの?」
私は最初に魔導係数を測ったときのことをエフロシーニャに話した。
「神の魔導陣を封じる鍵じゃ。暴走しないようにな」
「……」
「実際、ヴェーラは思い切り魔導を流しておったじゃろう?」
「……そうです」
そうなのだ。
未熟な私は毎回、力んで魔導を流していた。確かにそうだった。
「だから本来のヴェーラの魔導陣と神の魔導陣がごっちゃに発現しておった」
「鍵はもう解けてますよね? それは、魔導制御ができたからでは?」
「そうではない。ヴェーラは鍵がかかったまま、強引にレシピ詠唱で魔導陣を展開しおった。普通、そんなことはできん」
「……」
私が初めてまともに魔導を展開できたのは、所長の干渉魔導を封じたときだ。
あれがきっかけ?
「ドミトリのやつの魔導陣に触れさせたのじゃ。ヴェーラが村に帰ってこなかったから仕方がない」
「では、鍵は所長だった?」
エフロシーニャはため息をついて首を横に振った。
「そうではない。神の魔導陣を一度開くと力が力を求めて際限がなくなる。わしの封印のまじないは、その力を求めなくなるまで続くのじゃ。力を求めなくなったとき鍵は開かれる。支配より解放じゃな」
私もため息をついた。
お陰で学院生活は辛いものだったけれども。
でも、エフロシーニャに鍵をかけてもらわなければ、絶対に暴走して自分では制御できなかった。いつまでもレシピ詠唱のままだったはず。
「力は人のために使うものじゃ。世の中には人のためといって、自分の力に酔いしれるものが後を絶たんが……」
治療院で私は次々とエフロシーニャの課題をこなしていった。
回復魔導の腕は上がっていた。
もう私の魔導陣は神の魔導陣になることはない。
詠唱してもレシピにはならない。
それは寂しかったけれど、平穏に生きていくには必要なことだった。
もう神の魔導陣を開くほどの魔導を流すことはない。
強すぎる力は、第二のオルロフを生み出すかもしれない。
吹雪で実家から出られなかったとき、エフロシーニャがドラグとともに所長からの手紙を持って尋ねて来たことがあった。
私宛の手紙を読んで、私は目を見張った。
「け、結婚!」
「……そうじゃ」
エフロシーニャはお茶を啜って頷いた。
「ど、どうしよう?」
「まさか、ヴェーラが軍の英雄と結婚することになるとは……」
エフロシーニャにも確認をした父は椅子から転げ落ちた。
私も動けなかった。
「ドミトリに責任を取らせるでな」
「良かったわね」
母が微笑んでそう言った。
本当に?
私でいいの?
エフロシーニャは悠然とお茶を啜っている。
「迎えに来るとはそういうことじゃ。ドミトリも前を向かなければならん」
「所長の本心ですか?」
「むろん」
私は全身、脱力した。
夢を見ているようだった。
一緒にいたいと思ったけど、まだ結婚なんて考えてなかった。
雪が降り始めたある日、ドラグがアイカとともに一人の若い女性を村の外れで助けた。
かすかな魔導反応があったらしい。
凍えて体力の消耗が激しい。
灰色の魔導師のローブを着ていた。
エフロシーニャを尋ねて来たと言って、気を失ったという。
「お知り合いですか?」
「まずは治療じゃ」
回復魔導を施すとほどなくして息を吹き返した。
「私の祖母がエフロシーニャの六番目の娘なのです」
その女性はオリガと名乗った。
「王都で国家魔導師の夫と暮らしていたのです……」
オルロフのクーデターの際、夫が帰らぬ人になった。住んでいた屋敷が悪魔の暴れた余波で全壊し、スズダールまで避難したが、また魔族の戦いに巻き込まれて家が半壊したという。
「それは、大変でしたね……」
「住むところもお金もなくなり、エフロシーニャ師を頼ってきたのです」
オリガは俯いて言った。
オリガは灰色魔導師として優秀だった。
エフロシーニャは弟子として住み込みを認めた。
「ドラグさんは、南の地に帰ろうとは思わないのですか?」
「俺は、ここにいる」
オリガは凍える寒さの中で死の覚悟をしたとき、ドラグの神々しい翼を見て自分に舞い降りた魔導神の使いだと思ったらしい。
オリガは元気になると、ドラグの世話を焼くようになった。
「ドラグさん。これは王国語ではこう言うのです」
「助かる」
「ドラグさん。シルニキが焼けましたよ」
「ありがとう」
私もオリガから料理を習った。
母より教え方が上手だった。
魔導の制御が向上するのと同時に、料理の腕も上達していった。
これなら、所長にも喜んでもらえる。
「ドラグさんは南の故郷に恋人はいないのですか」
「いない」
二人は急速に距離を縮めていたようだった。
ドラグは相変わらず治療院でエフロシーニャに雑用を押し付けられていた。
でも、まんざらでもない様子で居着いている。
「エフロシーニャ師は、聖母だ」
「ドラグはわかっておるな」
「ドラグさんは聖母の使徒ですね」
オリガはドラグをうっとりとした目で見てつぶやいた。
獣化の民の族長、ロロフから私を守れと命令を受けたが、もう脅威は去った。
それでもドラグはここを出ていく気はないらしい。
「ヴェーラの所長がこれからは守る。俺はここを守る」
ドラグはオリガが作ったシルニキを平らげて、そう言った。
魔族の脅威はひとまず去ったらしい。
レオニードからの魔導封書を受け取ったエフロシーニャが私たちにそう告げた。
神の魔導陣で拘束した魔族は、処刑されることはなかった。
獣化の民と同じように穏やかになっていたのだ。
シルニキの詠唱は拘束と同時に、敵意や恨みをも解放するのかもしれない、とレオニードは綴っていた。
北に追いやられた魔族は不毛な氷の地で死を待つだけで、いずれにしろこの冬は越せないと語ったという。
命乞いはしなかった。
それに感銘を受けた現国王とグロモフとレオニードは、北から少し南に入った地に魔族のための住処を提供し自治権を与えた。
獣化の民を懐柔した実績が、その根拠になったようだ。
一方、オルロフはオゴンや協力した魔導師たちと共に処刑された。
悪魔の魔導陣で古代魔導を復活させる。
処刑台の上でも最後までそう叫んでいたという。
神の魔導陣の存在については極秘事項となった。
「では、もう魔族の脅威は去ったのですね?」
「しばらくはな……」
「神の魔導陣があったから、獣化の民も魔族、いえ侵蝕の民も救われた……」
「そうじゃな……」
エフロシーニャは感慨深げに目を潤ませた。
魔族との長い戦いを思い返しているようだった。
北の地には、もう戦える魔族の戦士はいない。
自治区に老人、女、子どもを呼び寄せ静かに暮らすとのことだった。
「軍の監視の下じゃがな」
「それは仕方がないですね」
冬の間はエフロシーニャの治療院で過ごすことが多かった。
病人が出るとドラグが翼を広げて連れてきた。
オリガと交代で夜も休みながら看病できたのはありがたかった。
春が近づく頃、ドラグとオリガは良い仲になっていた。
というよりドラグはオリガにつきまとわれていた。
ショックなことが立て続けに起きた中で、ドラグの誠実な人柄が心の癒しになったのです、とオリガは頬を染めた。
「治療院と隠れ家のいい後継者になりそうじゃ」
二人を見たエフロシーニャはそう言ってほくそ笑んだ。
そして、雪解けが近づいてきた頃、所長が村にやってきたのだった。
ドラグの雪かきを手伝っていたときに、魔導車が治療院の前で止まった。
「!」
助手席から降りてきたのは所長だった。
運転席でイリアが白い歯を見せた。
後部座席のスヴェトラーナは青い顔をしている。
「約束通り迎えにきた」
「所長!」
「ヴェーラ」
「本当に……私と結婚していいのですか?」
私はそれが不安だった。
所長の口からちゃんと聞きたい。
「俺は、気の利いたことは言えない。だが、これからは俺がヴェーラを守る。一生側にいる」
「……所長」
私は分厚い所長の胸に飛び込んだ。
所長はしっかりと私を受け止めた。
涙が次から次へと溢れてくる。
「待たせたな」
「はい……」
その後ろにはイリアとスヴェトラーナが仲睦まじく寄り添って、私たちを見ていた。
私は涙を拭って二人に向き直った。
「……イリア……スヴェトラーナさんもおめでとう。大変だったでしょう? まだ雪が残っているのに」
「空船があればと何度も思いましたわ」
スヴェトラーナも目を潤ませていた。
「ヴェーラ師も本当に良かった……」
「ドラグ? その女は?」
イリアはドラグの傍らで腕を掴んでいるオリガに目を向けた。
「私たちも夫婦になるのです」
「!」
その言葉にドラグが目を見開いた。
そして顔が耳まで赤くなった。
そんなドラグは初めて見た。
「ドラグ、照れてるな」
「めでたいことが続くでな。祝杯を上げるぞい!」
「バウッ!」
エフロシーニャが手を挙げ、みんなが笑った。
所長と私は寄り添って治療院の中に入った。
所長は手荷物から黒いローブと新しい契約魔導師の紋章がついたプレートを取り出し、私に渡してくれた。
「これ、上級契約魔導師の紋章……」
「ヴェーラは十分、上級だ。キリル主任の推薦もある」
所長のローブのプレートも干渉ではなく上級の契約魔導師の紋章だった。
もう黒いローブに袖を通すことはないと思っていた。
契約魔導師の紋章を見て、肩が震えた。
「……本当にいいのですか?」
「グロモフ長官に上級の許可をもらった。もうレシピは刻まなくていいそうだ」
「はい……」
私は契約局で所長と一緒に、Bー88と呼ばれていたドラグにシルニキのレシピを刻んだときのことを思い出した。
あれがあったから、今ここにドラグがいる。
ドラグがいなかったら、私たちはここには絶対にいなかった。
所長は正式に軍を除隊し、王都の中央駅の近くに小さな事務所を開設する予定と言った。
イリアが開く事務所と近所になるという。
新居は貴族街の端っこにあり、広い庭があると所長は話した。
「貴族街って!?」
「魔族撃退の功で男爵に叙せられた」
「!」
所長は迷惑そうに首を振って言った。
「王国はヴェーラを近くに置いておきたいのじゃな」
「庇護と監視だが、まあ神の魔導陣を開かなければ大丈夫だ」
その言葉に少し不安になった。
私が男爵夫人?
私が貴族になるの?
「もっとも王国に何かがあったときは、協力しなければならないが……」
「はい」
でも、貴族って面倒くさくないのだろうか?
「社交はしなくていい」
「あら、わたくしとはお茶をしましょう」
スヴェトラーナが笑顔で言った。
イリアは入婿になるらしい。
ゾロトワ家の一員になるなんて聞いていなかったとイリアは頭を抱えた。
半ば強引に話を進められたらしい。
「アイカも連れて帰っていいですか!?」
「まあ、よかろうな。ここでは吹雪いたら外には出れんから可哀想じゃ。王都ならそこまで雪は積もらん」
エフロシーニャが頷いた。
アイカは庭があれば喜ぶだろう。
もう、もらってしまってもいいよね。
魔獣を連れた契約魔導師。
かっこいい。
王都に帰ったら、結婚式を挙げて、マリーナと会って、新しい事務所で所長と働く。
春から新しい生活が始まる。
オリガに習った料理で、苦手も克服した。
これからたくさんレシピを覚えないと。
まず明日の朝にブリヌイを焼いて食べてもらう。
私は振り返って治療院の庭を眺めた。
エフロシーニャもイリアもスヴェトラーナもドラグも笑っている。
治療院の庭には、雪から顔を出した薬草が芽吹いていた。
*
事務所を開いた最初の依頼は魔猫だった。
「久しぶりキャロットちゃん」
「シャアアア!!」
キャロットちゃんは私を見ると尻尾を膨らませて威嚇した。
「やっぱりもぐりの魔導師はダメね」
「今度は従順契約でいいですね?」
「では、それで」
私はほんの少しの魔導を流して魔導陣を開く。
それは私の本来の魔導陣。
もう神の魔導陣を開くほどの魔導は流さない。
従順契約の文言を刻む。
詠唱してもブリニのレシピにはならない。
「キャロットちゃん?」
「にゃん」
所長が事務所で私を待ってる。
今晩の夕飯は何を作ろう。
ドミトリ=ヴェーラ契約魔導師事務所はまだ始まったばかりだ。
完
ここまで『契約魔導師のレシピ帖』を読んでいただき、本当にありがとうございました!
ようやく完結までたどり着くことができました。
最初は「レシピを詠唱にしたら面白いんじゃないか?」という思いつきから始まった作品でしたが、気がつけばヴェーラやドミトリ、エフロシーニャ、ドラグたちが作者の想像以上に動き回ってくれました。
特に最後のブリヌイのレシピは、「ここしかない」と思いながら書いたシーンです。
料理が人を幸せにするように、ヴェーラの契約魔導も誰かを救う力であってほしい――そんな思いを込めていました。
ヴェーラたちの物語はいったんここで一区切りですが、きっと王都では今日もドミトリ=ヴェーラ契約魔導師事務所が忙しく依頼をこなしていることでしょう。
また次の作品でもお会いできましたら嬉しいです。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!




