72話 コルジキの約束
私の魔導反応が奔流のように溢れ出す。
びりびりと空気が震え、魔導銃に魔導が流れる。
「撃ちます!!」
その渦巻く魔導圧の中で、ムラークチュマが魔導陣を展開したのと同時だった。
私は引き金を引いた。
耳をつんざく爆音と白い光、強い衝撃が押し寄せる。
視界が閉ざされ、反動で体が吹き飛んだ。
魔導銃がどこかに弾け飛ぶ。
壁に叩きつけられる……
だけど衝撃は来なかった。
私は所長の体にしっかりと受け止められた。
そのまま床に体を押し付けられ、所長の体に覆われる。
短い時間のような長い時間のような、でも、それは一瞬だった。
轟音と光が止んだあと、冷たい風が吹き込んできた。
目を開けて、前を見る。
まだキーンと耳鳴りがしていた。
「……え?」
目の前の壁が消滅していた。
月明かりがセレブリャンカ川と黒々とした森を照らしている。
扉どころか壁ごと通路を吹き飛ばし、岩盤を突き抜け、崖に巨大な穴を開けていた。
しばらく呆然と見ていて、はたと気がついた。
この部屋の前にも扉があった。
もし中に誰かが捕まっていたら……
「……ヴェーラ、やりすぎだ」
所長が呆れたような声を出した。
「この向こうにも牢がありました。誰かがいたら……」
所長がため息をついた。
「ここに連れてこられたのは、魔導陣を抉れない魔導師だけだ。そんなのが、何人もいると思うか?」
「……そうですよね」
「魔導反応は最初からなかった。大丈夫だ」
そういって所長は私の頭を撫でた。
「それよりも……」
「……逃げたぞな」
「ああ……」
エフロシーニャが埃を払いながら立ち上がる。
そしてドラグに回復魔導を施した。
「!? 逃げた……?」
「ああ、あの一瞬で闇の中に飛び込んだな」
「オルロフもじゃ」
逃げられた……
そのとき、また悪魔の咆哮が轟いた。
激しい揺れが襲う。
「レオニード大佐ッ!!」
「レオニード大佐の魔導反応は、まだある」
所長は私を抱え起こし、後方に落ちていた魔導銃を拾い上げた。
「これは、ヴェーラには持たせられん」
「……はい」
そのときエフロシーニャが外を見て呟いた。
「空船が来たぞな」
「レオニード大佐が呼んだ?」
「なんだ、あれは!?」
竜が月の中に隠れるようにして翼を広げた。
それを見て所長が素っ頓狂な声を出した。
それと同時に魔族の魔導反応が、悪魔の魔導反応の近くに現れた。
そしてそれは、こちらに近づいてくるようだった。
壁や柱を破壊する轟音が響いてくる。
「ヴェーラ……神の魔導陣を、俺に」
所長が私の肩に手を置いた。
「……はい」
その所長の目をじっと見る。
私は覚悟を決めた。
「でも、約束してください」
「なんだ?」
「もう私の前から、いなくならないでください」
「……」
所長はため息をついた。
「……この戦いが終わってからでいいか?」
「……はい。でも、この戦いが終わったら絶対に戻ってきてください」
私は念を押した。
悪魔の魔導反応は近づいてくる。
一刻の猶予もない。
「ヴェーラを一人にしたら、何をしでかすか、わからんな」
「そうですよ。王宮を吹き飛ばしちゃいますよ」
私は泣き笑いの顔で所長を見た。
「それは、困るな……分かった。戻る」
「……はい」
私は神の魔導陣を開いた。
《一つ、神の魔導陣をその体に刻み、ヴェーラの名において、使用許可を与える》
文言は抵抗なく魔導陣に刻まれていく。
「一つ、粉にバター、砂糖に卵、ふくらし粉をさっくり混ぜて、型に抜いて、おいしく焼き上げよ!」
香ばしい匂いとともに、神の魔導陣が所長の魔導陣に刻まれていく。
抉られた魔導陣を上書きし、力強い魔導反応が所長の体から湧き起こる。
でも所長は、なんとも言えない顔をして私を見た。
「まだ、レシピなのか?」
「えへ……まだなのです」
レシピ詠唱の方が私らしい。
私は胸を張った。
「約束ですよ。必ず戻ると」
「ああ、この戦いが終わったらな」
所長は魔導陣を開いた。
そして「音声魔導通信だ」と言って文言を刻む。
『レオニード大佐。こちらドミトリ。戦況は?』
ややあって魔導陣から、レオニードの緊迫した声が聞こえてきた。
レオニード隊の詠唱の声が魔導陣の向こうから響き、悪魔の咆哮がそれをかき消した。
『……ドミトリ師か……すごい魔導反応だった……何があった?』
『ヴェーラが魔導銃をぶっ放した』
『……』
その沈黙の後ろで、咆哮と何かが崩落する音が響いた。
『ドミトリ中佐。ただいまを以て軍に復帰、レオニード指揮下に入れ』
『はっ!』
「え?」
約束がさっそく破られる?
私の顔が青ざめた。
『ヴェーラ師はいるか?』
「はい! います!」
私は勢い込んで答えた。
『今だけ借りるぞ』
『はい!』
次いでレオニードは続けた。
『さきほど、空船を呼んだ。あの悪魔を誘い出して主砲でカタをつける』
『空船?』
「あの神話の竜が船なんです」
空船はこちらに向かって飛んできているようだった。
私はそれに手を振る。
『ドミトリ中佐。霧魔導は使えるな? 我々は国王陛下の救出に向かう。中佐は霧魔導であの悪魔を沈黙させてほしい……』
『使えるようだな。了解』
所長は魔導陣を開いて頷いた。
『ちょっと待ってください!』
私は音声魔導通信の向こうにレオニードの部下が叫んだ「蛮族だ」という言葉が耳に入っていた。
『なんだ? ヴェーラ師』
『そこに獣化の民がいますか? ロロフ族長を呼んでください』
『ロロフ? 今、通路に飛び込んだところだ。通路の向こうで我々と対峙している』
音声魔導通信の向こうで、レオニードが部下にロロフと叫んでいるのが聞こえた。
『ヴェーラ師? 今、音声を上げる。直接、呼びかけてくれ。早くしないと一触即発だ』
私は深呼吸をした。
拙い大陸語で話しかける。
『ロロフ族長! ヴェーラです! レオニード大佐は敵じゃないです! 協力してください!』
『ヴェーラ様? おお、神の使いの声がする……』
『ロロフ殿! ヴェーラ様のお言葉通りに。我らが助かる道は、そこにいる人間の魔導師に協力する以外はありませぬ』
ドラグが割り込んで、話しかけた。
『魔族と敵対する者たちです』
『その声はドラグ!……魔族の敵? あの魔族だけは許せぬ!! 分かった、協力しよう』
『ドミトリ中佐! こちらに悪魔が来る! 頼んだ!』
『ロロフ族長。そこで寝ている王宮魔導師たちも連れてきてください!』
私も声を限りに叫んだ。
エフロシーニャに寝かされた魔導師も神の魔導陣で解放できる。
あのまま寝ていたら、悪魔に喰われてしまう。
エフロシーニャも同じように叫ぶ。
『大佐! 我々はその通路の先にいる! 空船も来ておる。早く来んか!』
『ロロフ族長も魔導師たちを連れてきてください!!』
私が叫んだとき、雑音が入り、冷たい声が聞こえてきた。
『……レオニード大佐ですか? 前国王はたった今、処刑しましたよ』
「オルロフ!!」
『なんだと!?』
『明日、正午ではなかったのか!?』
オルロフの勝ち誇った声が魔導通信の向こうから響く。
『生きていようが死んでいようが、予定は変わりません』
『どういうことだ!?』
耳障りな笑い声が魔導陣から聞こえ、耳を塞ぎたくなった。
もし契約局でオルロフに捕まったとき、所長が助けにこなかったらと思うと改めてぞっとした。
『心配はいりません。あなたたちもすぐに後を追うことになるでしょう』
『何をする!?』
『悪魔の魔導陣を持つヴェーラ、あなたは危険です。生かしておくことは、もうできません……』
「!!」
「……切るぞ」
そう言って所長は、音声魔導通信を閉じた。
『ふざけるな!!』
レオニードの叫びが途絶えた。
「誰に聞かれているか、わからん通信だ……」
所長はため息をついた。
暗号魔導通信と違い音声魔導通信は、話が筒抜けになると続けた。
「国王陛下の処刑……奪われる前に殺したか……だが、どこまでこの会話を傍受されているかが問題だ」
「厄介なことになったのう……」
エフロシーニャが首を横に振った。
そのとき魔導銃で開いた通路に、獣化の民とレオニード隊が姿を現した。
獣化の民は私が言ったように王宮魔導師を担いできていた。
「この穴……!? 凄まじい魔導反応があったが……本当に魔導銃でか?」
レオニードが私たちの元に駆け寄ってきた。
「ドラグ……無事か!!」
ロロフは真っ先にドラグに駆けつけた。
悪魔の咆哮が鳴り響く。
悪魔がホールで暴れるたび、振動が起こり、天井から小石や砂が降り注いだ。
「レオニード大佐! よくご無事で。ザイェツ少尉のことは……」
レオニードは返り血のついたぼろぼろのローブをまとい、首を横に振った。
「悼むのは後でいい。我々がオルロフを倒しにいく。中佐は悪魔を頼む。あの魔族もいるようだ」
「分かった」
所長は頷いて私を見た。
「ヴェーラは……安全なところへ……」
「私たちも行きます!」
「駄目だ」
「約束ですよ。それに、あの悪魔を拘束しましょう。……あのときのように」
貴族の荘園で魔狼が悪魔化したときに、所長と連唱で拘束したことを思い出す。
でも、所長は私から視線を逸らした。
レオニードが首を振った。
「すでにあの悪魔は、死んだ魔導師を何人か喰って完全体になりかけている。神の魔導陣でも、止められるか分からん」
それに所長が続ける。
「オルロフの脅しを聞いただろう? あの魔族がいる。連れていけない」
「……所長! 約束は?」
所長は一歩踏み出し、私をそっと抱きしめた。
「……所長?」
「約束は守る。この戦いが終わってからな」
そして小声で何かの詠唱をした。
「……え?」
私の膝がかくんと落ちた。
体が動かない。
「ドラグ、エフロシーニャ師。ヴェーラを頼む」
所長……
声も出ない。
私は部屋を出ていく所長を見送ることしかできなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
これにて四章は終幕になります。
五章は「ブリヌイの誓い」です。
準備のため少しお時間をいただきます。
ブクマをしてお待ちいただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。




