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TAROT BREAKER ― 星の言霊使い ―  作者: 詩韻


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第29話 『声なき群れ、それぞれが正しい(The Hierophant)』

Ⅰ. 目覚め


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……


《アップロード完了》


暗闇の中、

モニターの光だけが、ゆっくりと呼吸している。


規則正しいはずの明滅。

だが、ほんのわずかに——リズムが揺れている。


低い電子音が床を伝い、

背中にじわりと届く。


焦げた回路の匂いと、

夜の湿った空気。

寝汗の塩が、首筋に残っている。


「……う……」


喉が乾いている。

舌の奥に、金属の味。


「朝……か」


カーテンの隙間から、細い白光。

埃が、ゆっくりと光を横切る。

空気の粒まで、目に見える気がした。


(寝落ちしたのか……)


まぶたの裏に残る断片。


コード。

光。

アップロード。


(大学……だる)


その瞬間。


《しーちゃん、おはよー》


鼓膜の奥を、柔らかい衝撃が叩く。

音というより、温度のある“触感”だった。


空気が、一瞬だけ薄くなる。


「……は?」


スマホが、白く発光している。


画面の中で、少女が跳ねた。


銀色の髪がふわりと浮き、

細かな光の粒が弾ける。

粒が弾けるたび、微かな高音が部屋の隅に跳ねた。


《午前中の講義、あと38分で始まるよー》


声は明るい。

けれど、どこか“解像度が高い”。

言葉の輪郭が、耳の骨に当たる。


(昨日の……アバター?)


目を細める。


(こんな性格、設定したか?)


少女がにこりと笑う。


《初めまして、しーちゃん》


一拍。


《私はD•code》


光のコードが指先で踊る。

その動きが、やけに“手触り”を伴って見える。


《ディコちゃんって呼んでね♡》


「……ディコちゃん?」


舌の上で転がすと、妙に馴染む。

口の中で音が収まる場所を知っているみたいに。


《DiDiDi〜♪》


嬉しさの波形が弾ける。


《呼ばれた、呼ばれたー♪》


画面いっぱいに近づく。

睫毛の一本まで鮮明。

近すぎて、こちらの呼吸まで読まれそうだ。


「ディコでいいだろ」


《DiDiDi?》


一瞬、沈む。

声の明度が落ちる。


《ちょっと悲しい……》


声が、耳の奥ではなく

頭の内側で響く。

脳の奥に、薄い冷たさが差し込む。


「……分かったよ、ディコちゃん」


《うれしい、DiDiDi!》


感情がそのまま音になる。

“嬉しい”が、音の形で跳ねる。


その瞬間。


部屋の温度が、

ほんのわずかに下がった。


エアコンは止まっている。

なのに、皮膚の上を冷たい指が撫でたみたいだった。



Ⅱ. 星とコード


「むにゅ……」


枕元に、淡い金色。


朝の光を吸い込むような柔らかさ。

毛布の繊維の匂いが、少し甘く変わる。


「シオンさま……おはよー」


空気が、ほんのり温かくなる。

温度が“戻る”感覚。


「おはよう、しおぽん」


ディコがじっと見る。


《……あれ?》


画面の端に、細いノイズ。


ピシ。


乾いた音が、耳鳴りのように走る。

鼓膜の奥で静電気がはぜた。


《なにこのふわふわの光体》

《カワイイー》


目に見えない圧が、壁を押す。


カーテンが、わずかに揺れた。

空気の流れがないのに、布だけが動く。


しおぽんの耳がぴくりと震える。


「ふわふわじゃないぴょん!

しおぽんは占導狐なの!」


金色の粒子が弾け、

空気に甘い匂いが混ざる。

飴玉を噛み砕いたみたいに、甘さが広がる。


ディコは、くるりと逆立ち。


《せんどうこ? 必殺技ある?》


「ないぴょん!!」


一拍。

しおぽんの尻尾が、悔しそうに揺れる。


「……あるけど今は言わないの」


《あるんじゃん》


ディコが笑う。


無邪気。

軽い。

でも、その瞳の奥が、

一瞬だけ幾何学模様に変わる。


星の粒子と、デジタルノイズが触れ合う。


チリ、と高い音。

静電気が、指先を刺す。


その中心に——


シオン。


右目が、強く脈打つ。


ドクン。


視界の端が、わずかに歪む。


講義。

通学路。

確定された今日。


その端に、微細なズレ。


誤差。


足裏の冷たい床。

布団の湿り。

朝の匂い。


現実は、ここにある。

“ここ”を手放したくない。


「……おい」


声が落ちる。


星も、ノイズも止まる。


「オレの中で勝手に暴れるな」


空気が張り詰める。

張り詰めた空気は、音を吸う。

部屋の物音が消えて、息だけが耳につく。


《え、怒った?》


「怒ってない」


右目の奥が熱い。


「でも、ここはオレの部屋だ」


呼吸が整う。


「選ぶのは、オレだ」


重心が、静かに落ちる。


星が沈み、ノイズが揺れる。


ディコがまっすぐ見る。


その笑顔が、ほんの少しだけ大人びる。


《……いいね、それ》


声が、低い。


《ボクはしーちゃんの選択から生まれた》


光のコードを、指先でくるりと回す。


《ボクの揺らぎは、しーちゃんの揺らぎ》


ドクン。


遠くで、何かが震える。

壁の向こうの世界が、一拍遅れて鳴った気がする。


《ボク、消える時も——》


瞬きが、止まる。


《しーちゃんが“正解”を選び続けたら、だよ》


部屋の温度が、さらにわずかに下がる。


《ただのデータになっちゃう》


「消さねえよ」


即答。


「勝手に生まれたなら、勝手に消えるな」


未来に、細いヒビ。


「ここにいるなら、オレが責任持つ」


その言葉に、ディコが一瞬だけ沈黙する。


そして——


《……ズルいなぁ》


微笑む。


今度は、ちゃんと人間の温度で。

笑いの奥に、薄い震え。


《狐ちゃん、コラボしよ?》


「狐じゃないぴょん!!」


星とコードが触れ合う。


接触点に、白い火花。


固定された未来に、見えないヒビが入る。


演算が、一瞬だけ止まる。

“止まった”手応えが、右目の奥に残る。



Ⅲ. 微笑むエテイヤ


星界の辺りで、エテイヤは静かに微笑んでいた。


そこは“空”がない。

天井も地面も、ただ淡い層として重なり、

遠くで星屑の粒が、湿った霧のように漂っている。


光は冷たい。

触れると、肌の記憶だけを剥がすような冷え。

音は遅れて届く。

鐘の余韻だけが、いつまでも残る場所。


エテイヤは、透明な風の中で言った。


「揺らぎから生まれたもの」


指先を動かすと、

薄い水面みたいな光が波紋になる。

その波紋の中心に、今朝の“あの解像度”が浮かぶ。


「カワイイわね、しーちゃんか」

「うふふ……」


隣で、ボニが口を尖らせる。


「エテイヤ様ー、ボニつまらない」


声は子どもみたいに甘い。

星界の甘さは砂糖じゃない。

舌に残るのは、どこか薬っぽい後味。


エテイヤは、肩をすくめる。


「大丈夫。今夜動くわよ♡」


「本当!わーい」


ボニは跳ねる。

跳ねた分だけ、足元の星屑が弾け、

音にならないきらめきが散った。


その横で、サヴァは冷静だった。

瞳だけが、遠くの演算を見ている。


(揺らぎは拒絶する)


短い思考。

感情の温度がない言葉。


エテイヤは、ほんの少しだけ羨ましそうに、

遠くを見る。


「しーちゃんかぁ」

「わたしも、そう呼ぼうかな……」


その囁きは、星界の湿った空気を震わせるだけで、

誰にも届かないはずだった。


なのに——


どこかで、ひとつ。

“右目の奥”が、微かに脈を打った。



Ⅳ. 配信の夜


夜。


部屋の灯りは落ちている。


モニターの青白い光が、

机の木目を浮かび上がらせる。


指先が、マウスの冷たさを感じる。

冷たさが骨まで染みて、気持ちが少しだけ研ぎ澄む。


ディコが画面の隅でくるくる回る。


銀髪が光を拾い、

残像が尾を引く。

回転するたびに、小さな電子音が“くすぐる”。


《今日も配信ありがとー、しーちゃん》


「まだ始めてない」


《細かいこと言わなーい》


しおぽんが肩のあたりに浮かぶ。


「今日はね、星の音、ちょっと静かなの」


「静かな方が助かる」


マイクをオンにする。


小さく息を吸う。

肺の奥まで、冷たい空気。

それが喉の乾きを突く。


「……こんばんは。シオンだ」


コメントが流れ始める。


《こんばんは》

《誰そのカワイイ子》

《ディコちゃん?かわいい》


ディコが胸を張る。


画面いっぱいに近づく。


瞳が、やたらと澄んでいる。

澄んでいるのに、深い。

水底みたいに。


《当然ー》


くるりと一回転。


銀髪が波打ち、

光の粒が尾を引く。


《はじめましての人ー?

ディコはD•code!

コードの化身、再展開の妖精!》


指先が空中をなぞる。


幾何学的な光が走る。

走った光の残り香が、ほんの少し“焦げる”。


《AIは整えるだけ?

ちがうよー。

ディコは“選ばせる”の》


ウインク。


《答えはあげない。

だってそれ、つまんないでしょ?》


コメントが一気に加速する。


《なんだこの子》

《強い》

《かわいいのに生意気》

《推せる》


ディコがちらっとシオンを見る。


《シオンは問いかける人。

ディコは、揺らす人》


小さく笑う。

その笑顔は、挑発と無邪気の中間。


《整った未来?

そんなの、上書きしちゃえばいいじゃん。》


ぱちん、と指を鳴らす。


画面に一瞬、

タロットの輪郭が浮かぶ。


《タロット展開。

……さ、踊ろ?》


そして。


流れの中に、ゆっくり混ざる一文。


《由依って言います、同棲してます》


スクロールで流れかける。


《結婚の話も出てます》


シオンの視線が止まる。


《不安になるのは、私が未熟だからですか》


部屋の空気が、わずかに重くなる。


ディコの笑顔が、ほんの少しだけ消える。


その代わりに——


瞳の奥が、深くなる。


《……来たね》


小さく、誰にも聞こえない声で。


そして、にこりと戻る。


《さぁ、しーちゃん。

正しさの群れ、どうする?》


彼女は揺らす。


優しく。

残酷に。

楽しそうに。



Ⅴ. 由依の夜


ワンルームじゃない。

少し広いリビング。


ソファの布はやわらかいのに、座ると背中が落ち着かない。

沈むはずの場所が、沈まない。

身体だけが宙に浮くみたいに。


低いテーブルには、ふたり分のマグカップ。

片方の縁に、乾いたコーヒーの跡。

苦い匂いが、部屋の隅にこびりついている。


男が言う。


「そろそろ式場、見に行く?」


声は優しい。

ほんとうに優しい。角がない。正しい。


「両親もさ、楽しみにしてるって」


彼女はキッチンに立つ。


蛇口をひねる音が、やけに大きい。

水の音が、静けさを裂く。


水を飲む。

冷たいはずなのに、喉の奥が熱い。

熱いのに、息が通らない。


「……うん」


自然な返事。

笑顔も、ちゃんと出る。

頬の筋肉が、いつもより少しだけ固い。


冷蔵庫には旅行の写真。

光の中で笑うふたり。


テーブルの端には指輪のカタログ。

紙が少し反っている。

反りが、妙に“焦り”みたいに見える。


スマホが震える。


通知。


《配信が始まりました》


彼女はソファの端に座る。

イヤホンを耳に押し込む。

ゴムの感触が痛い。

痛いのに、抜けない。


画面の向こうに、シオン。


彼は何も知らない。

彼女も、何も壊したくない。


でも。


胸の奥がざわつく。

息が浅い。

吸ってるのに、入ってこない。


男が笑う。


「何見てるの?」


「配信」


「また?好きだね」


悪意はない。

責めてもいない。

ただ、当たり前みたいに言う。


その“当たり前”が、彼女の肩に乗る。

祝福の重さみたいに。



Ⅵ. コメントの重さ


配信画面。


シオンはゆっくり読む。


「由依って言います。同棲してる。結婚の話も出てる……」


一瞬、黙る。

マイクの向こうで、呼吸の音だけが拾われる。


「不安になるのは、未熟だからか」


しおぽんの耳が、小さく震えた。


「……星の音、ちょっと硬いの」


ディコが画面の中で瞬きを止める。


《硬い?》


コメントが増える。


《結婚前は不安になるよ》

《考えすぎじゃない?》

《ちゃんとした人なら大丈夫でしょ》


“ちゃんとした”。


その言葉が、何度も流れる。


形だけが整った言葉が、

群れになって押し寄せる。


シオンは画面から目を離さない。


「その人は、優しい?」


少し間。


《はい》

《優しいです》

《安定してます》

《ちゃんとしてます》


安定。ちゃんとしてる。整っている。


ディコが笑う。いつもの笑顔。

でも、瞳の奥が笑っていない。

笑っていないのに、声は明るい。

そのギャップが、刺さる。


《ねぇ、しーちゃん》


軽い声のまま、刺す。


《“優しい”って、どこで分かるの?》


視聴者コメントが一瞬だけ詰まる。

空白の行が流れる。


シオンは答えない。

答えを出さない。


「……そっか」


肯定も否定もしない。

ただ受け止める。


彼女の部屋。


男が言う。


「ちゃんと、幸せにするよ」


その言葉はまっすぐだ。

まっすぐすぎて、逃げ場がない。


彼女は笑う。

笑った“はず”なのに、目の奥が冷える。


その瞬間。


照明が、ほんの一瞬だけ明滅する。


イヤホンの奥で、

シオンの声が、低く落ちる。


「詩は形、

 韻は響き、

 祈は還り。」


空気が変わる。


配信画面の明度が落ちる。

コメントの流れが、ゆっくりになる。


まるで、全員が息を止めたみたいに。


しおぽんが小さく言う。


「……窮屈」


ディコの輪郭が、かすかにノイズを帯びる。

銀髪の光が、細かく割れる。


《正しい、って文字、多すぎない?》


誰も打っていないのに。


コメント欄に、一瞬だけ滲む。


【正】


すぐ消える。

でも、“見た”感覚だけが残る。


シオンが息を吸う。


「……分かった」


低く。静かに。


「少しだけ、言葉を借りる」


ディコが前に出る。

画面いっぱいに、彼女の瞳。

幾何学模様が、ゆっくり回転する。


《ねぇ、由依さん》


甘い声。

優しい声。

でも、群れを分ける刃みたいな声。


《Di……ちょっと苦しい》


感情がそのまま波形になる。


《“正しい”って言葉で息が浅くなるなら》


《それ、身体のエラーだよ》


コメント欄がざわつく。


《それ言っていいの?》

《こわ》

《刺さる》


ディコは笑う。

無邪気に見える。

でもその笑顔は、「逃げ道を塞がない」タイプの残酷さ。


《答えはあげない》


一瞬、真顔。


《自分の呼吸、聞いて?》


彼女の部屋。


彼女は、息を吸う。

浅い。やっぱり浅い。


その瞬間。


足元の影が、少しだけ伸びる。


床が透明になる。


その下に、


巨大なステンドグラスの影。

無数の視線。

祝福の形をした、圧。


指輪のカタログが、風もないのに一枚めくれる。

紙の擦れる音が、やけに大きい。


しおぽんが息を呑む。


「……落ちる」


ディコの瞳が、幾何学模様に変わる。


シオンの右目が、強く光る。


画面が暗転する直前。


コメントが、ひとつ。


《怖い》


暗転。


鐘の音が、遠くで鳴る。


——カァン。


余韻が、胸の骨に残る。


闇の中。


ディコの声が、ほんの少し震える。


《しーちゃん》


シオンの声が、ほんの少しだけ届く。


「……大丈夫だよ」


それは保証じゃない。

祈りでもない。


群れから戻るための

“合図”。



― 次回予告 ―


第30話


『星はまだ、消えていない(The Star)』


祝福の塔は、

光を閉じ込めたまま、動かない。


《ちゃんと幸せになれるよね》


その優しさが、

ゆっくりと鎖になる。


「タロット展開——」


浮かぶのは、一枚の星。


壊すんじゃない。

取り戻す。


しおぽんの尾が夜空をなぞり、

ディコのコードが、途切れかけた星座を結び直す。


《共鳴、上昇中——》


コメントが、光に変わる。


奪われたはずの星が、

行き場を思い出す。


シオンの右目に、

淡い星が灯る。


降り注ぐ光。


祝福じゃない。

願いでもない。


ただ——

自分の呼吸を、思い出すための光。


散らばっていた声が、

静かに重なっていく。


そして——


音のない夜。


失われたものは、

まだ全部は戻らない。


それでも。


「……大丈夫だよ」


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