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第145話 プレゼント

初冬の冷気が帝都を覆い、吐く息が白く染まる朝。


ゼノン私邸の中庭には、霜柱を踏む微かな音と、木剣が空を切る乾いた音が響いていた。


リリスは新しい左腕を掲げ、陽光に透かす。


かつて腐食し、無惨に切り落とされたその場所には、今は白くなめらかな肌が再生している。


ゼノンの魔力を糧として紡がれた肉体は、元のそれよりも幾分か白く、そして温かい。


彼女は指を開閉する。


神経が繋がったばかりの微かな違和感はあるが、意思通りに動く。


「……動くか」


ゼノンが問う。


彼は剣を持たず、ただリリスの動きを見守るために傍らに立っていた。


リリスは頷き、木剣を握り直す。


「はい。……ゼノン様のおかげです」


その言葉には、感謝以上の重みが滲む。


彼女の肉体の一部は、文字通り彼によって作られたものだ。


血と魔力を共有し、命を繋ぎ止められたという事実は、彼女の中に彼への絶対的な帰属意識を刻み込んでいた。


訓練は静かに進む。


ゼノンは多くを語らない。


ただ、リリスの体勢が崩れれば手を添えて正し、呼吸が乱れれば休憩を促す。


そこには、かつての特務兵としての厳しい指導はなく、壊れかけた宝物を扱うような慎重さと慈愛があった。


リリスもまた、無駄な言葉を発しない。


言葉にすれば、この脆い幸福が硝子細工のように砕け散るのではないかという恐れが、常に喉元に張り付いているからだ。


二人は互いの存在を空気の振動や体温で確認し合いながら、穏やかな時間を共有する。


風が吹き、枯れ葉が舞う。


リリスは剣を下ろし、乱れた銀髪を耳にかけた。


その何気ない仕草を見つめるゼノンの瞳には、安らぎと同時に、深い哀切の色が揺らめいている。


彼は知っているのだ。


この平和が、彼女の残酷な嘘と、自己犠牲の上に成り立っていることを。


そして、自分がその嘘に縋らなければ生きていけないほど、弱くなっていることを。


休憩のため、石造りのベンチに腰を下ろした時、ゼノンは懐から包みを取り出した。


上質な紺色のベルベットに包まれた、小さな物体。


彼はそれを無言でリリスに差し出す。


リリスは戸惑いながらも、両手で受け取る。


布を解くと、現れたのは一本の短剣であった。


刃渡りは短く、戦闘用というよりは装飾品に近い優美さを持っている。


柄には精緻な銀細工が施され、小さな青い宝石が埋め込まれていた。


「……これは?」


リリスが問う。


ゼノンは彼女の目を見据え、静かに告げた。


「武器ではない」


彼はリリスの手を取り、その掌に短剣の重みを感じさせるように握らせた。


「お前を傷つけるものから身を守るための刃だが、誰かを殺すための道具ではない」


彼の言葉は、冬の冷気よりも澄んで響く。


「これは、お前の尊厳を守るためのものだ。……リリス、お前は誰の所有物でもない。道具でも、兵器でもない。……嫌なことは嫌だと言い、逃げたい時は逃げればいい。そのための、お守りだ」


リリスは息を呑んだ。


尊厳。


娼婦として生まれ、奴隷として生き、兵器として登録された彼女にとって、それは最も遠い概念であった。


首には管理番号704の鉄輪が嵌っている。


帝国法において、彼女は人間としての権利を持たない。


だが、目の前の英雄は、それを否定する。


法の鎖よりも、魂の自由を重んじると言うのだ。


リリスは短剣を胸に抱いた。


金属の冷たさが、逆説的に胸の奥を熱く焦がす。


「……ゼノン様」


「なんだ」


「私は、逃げません」


彼女は濡れた瞳で彼を見上げる。


「これが私の尊厳ならば、私はこれを、ゼノン様を守るために使います。……それが、私の選び取った意志です」


ゼノンは苦笑し、彼女の頭に大きな手を乗せた。


「頑固な奴だ」


「ゼノン様に似たのです」


リリスは微かに微笑む。


その笑顔には、もはや演技の陰りはなく、一人の少女としての純粋な喜びが咲いていた。


ゼノンは何も言わず、ただ彼女の髪を撫で続ける。


雲間から差し込んだ光が、二人の影を一つに重ね合わせる。


言葉はいらない。


互いの魂が触れ合うその場所で、二人は確かな救済を見出していた。

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