【02】『一向一揆』
「一向宗って……、あの一向一揆の一向宗ですか?」
左京が首をひねる。
なぜなら一向一揆は、もう十年も前に終息していたからだ。
一向一揆は、かつて浄土真宗本願寺教団が起こした、武家勢力に対する反体制運動である。
その勢力は凄まじく、一時は近畿、北陸、東海地方を席巻し、中でも徳川家康を窮地に陥れた三河一向一揆と、織田信長包囲網の中核を担った石山本願寺一揆は歴史的にも名高い。
だが武田信玄の死去や室町幕府の滅亡により、包囲網が瓦解すると、一向宗の総帥である顕如上人は、天正八年(一五八〇年)に信長と和睦の上、武装解除している。
一向宗自体はまだ存在しているが、信長から秀吉に政権が移行した今、もはやその存在は過去のものとなっていた。
特に左京や長政たち、当時まだ十歳前後だった戦国第二世代には、その脅威をリアルに体験していないだけに、一向宗と言われてもどうもピンとこない。
だから左京の反応も、当然といえば当然といえたのだが――。
「一向宗が動いたとの事ですが、狙いは何なのですか?」
(いや待て待て、勝手に話を進めるな)
長政の発言に左京が青い顔になる。
ピンとはこないが、猛烈に嫌な予感だけはしていたからだ。
(おそらく、これはかなり厄介な問題だ――)
三成の切迫した表情からも、それは容易に予想できた。
「一向宗の狙いは……、大坂城の奪還だ」
「――っ⁉︎」
やはりとんでもない内容だった事に、左京は絶句する。
「奪還……という事は、一向宗はまた石山本願寺を拠点に、一向一揆を起こすという事ですか?」
左京の思いなど、お構いなしに長政がどんどん話を進めていく。
公家としての聚楽第と並び、武家としての豊臣家のシンボルとなっている大坂城は、元は石山本願寺があった場所なのである。
周囲を淀川や大和川などの河川に守られ、天然の要害を生かした石山本願寺は、あの織田信長をして十年の歳月をかけても落とせなかった難攻不落の要塞である。その今の姿が大坂城であった。
だがもはや時代は戦国ではない。天下は豊臣政権によって統一されたのである。そんな状況で、今さら一向宗がかつての本拠地を奪還しようなどと思うだろうか。
「石田殿、話が漠然としすぎています。情報元はどこなのですか?」
左京が怪訝な顔で質問する。まずはそこを確認しなければ、捜査のしようがない。それにこの公私ともに忙しい状況で、ガゼネタに振り回されては、たまったものではないという気持ちもあった。
「…………。これは顕如上人の奥方、三条夫人からの密告だ」
「け、顕如上人の奥方ですか⁉︎」
三成の返答に、長政が思わず声を上げる。
だが左京は、しばらく押し黙ってから、
「――で?」
とだけ言った。
ここまで三成は、いちいち歯切れが悪い。言うなれば、情報を出し渋っている様に見える。
(石田殿はまだ何かを隠している)
そう確信した左京は、ただ黙って三成を見つめ続けた。
こうなると、もう三成も口を割らざるをえない。
「あくまで三条夫人の言い分だが……、首謀者は顕如上人の嫡男、教如殿だ」
「それだけですか?」
「本当にそれだけだ――! だが唐入りを前に、事を大きく扱いたくはない。そこはお前も十分に配慮してくれ」
三成はまるで弁解する様に言った。
(なるほど)
ここで左京の『損得勘定』が動いた。
「石田殿――。この件、関白殿下はご存知ないのですね?」
「――っ!」
(やはり、そうか)
豊臣政権からの正式の下命であれば、ここまで三成が情報を出し渋るはずがない。
なら考えられる事は一つ――。情報を開示し過ぎると、三成が『損』をするからだ。つまりこれは、主君である秀吉も知らない案件なのだという結論に至る。
左京はすべてに納得がいった上で、
「石田殿、腹を割って話してください。一向宗の件、なぜ殿下にお伝えする事ができないのですか?」
と、核心に踏み込む。
もうこれ以上はごまかせない――。三成もついに観念した。
「もし事が明るみになれば、唐入りの遂行に支障が出る。そうなれば、日の本全体が唐入りに向けて動いている『経済』が破綻する。それはなんとしても避けねばならぬのだ」
三成は真剣な目で、左京を見つめた。
なるほど左京にも長政にも、納得できる部分があった。
関白豊臣秀吉が宣言した『唐入り』は、国家に莫大な経済的負担を強いている。
現に左京は兵二百の軍役、長政は兵七千五百の軍役に加え、父官兵衛が肥前名護屋城の普請を課せられている。
すべては翌年に控えた国家事業ともいえる、大プロジェクト『唐入り』のためである。
しかも天下人が宣言したからには中止などありえない。あるとすれば延期である。
(おいおい、唐入りの延期なんて冗談じゃないぞ!)
延期ともなれば、戦時体制を維持しなければならない。その維持費を考えるだけで、左京は目の前が真っ暗になった。おそらく長政も同じ思いに違いない。
そして延期になろうとも、いずれ唐入りは決行されるのである。そうなれば左京たち武家にとっては二重苦になる。
だが三成がもっとも懸念しているのは、市場経済の破綻である。そうなれば日の本は経済恐慌の状態で外征に突入する事になる。それはなんとして避けなければならない。
だからこそ円滑な唐入りの遂行のために、一向宗の問題を隠密に封殺したいというのが、三成の意向なのであった。
その裏には、小西行長による対朝鮮外交の欺瞞もあったのだが、それを左京が知るのはもう少し後になる。
ともかく左京にも三成の意図が理解できた。
だが――、
(その解決を、私に依頼してくるのは迷惑千万だ!)
とはいえ一向宗による大坂城奪還が、たとえ未遂でも起きてしまえば、間違いなく唐入りは延期される。
そうなれば、現状でも青色吐息の菩提山五千石は財政が破綻する。
「左京……」
長政が不安気な視線を向けてくる。
(そんな目で私を見るな。クソッ、なぜこうなった……)
もはや腹をくくるしかない。
こうして左京は一向宗という、見た事も触れた事もない『過去の存在』に相対する事となったのである。




