10、リュミエール魔法学校
ツェルタッツェ港のすべてを見おろせる岬の先端に、灯台を兼ねた真っ白な塔——リュミエール魔法学校がそびえ立っている。
枝を広げるようにあちこちへ階層を重ねるたたずまいは、指で軽く突いただけであっけなく崩れてしまいそうだ。不安定で、かわいくて、おもちゃ箱のなかみたいなツェルタッツェのシンボルにこれ以上はないと思う。
船をおりたときの朝焼けは、すぐ青に溶けていった。
かわりに日差しが強くなる。春の朝とは思えない、初夏のようなまぶしさだ。
岬へのぼって塔にたどりつくころには、わたしもクォーツもマントを脱いで、シャツの袖をひじのあたりまで捲っていた。
「クレメール魔法アカデミーおよびペーチェル魔導院のみなさん、はるばる三日月の海を越えてリュミエール魔法学校へようこそ!」
はきはきとしたその声は、吹き抜けになる二、三階を抜けて広く響いただろう。
日差しから逃れてほっと息をついたとたんだった。いきなり耳もとで目覚ましを鳴らされたように、肩が持ち上がって下がらないわたしたちに向かって、声の主は仰々しく片手を胸にあてることで身振りでも歓迎を表す。
「僕は教員代表のカルタ・ハルネリオ。覚えてくれる必要はないよ! 同輩たちの名前は一刻もはやく呼べるようになるべきだろうけど、僕たち教員なんてのは、ひっくるめて『先生』でことたりるんだから。どんな先生かという要素で区別してくれたらいい。僕は戦闘魔法担当の、陽気でオシャレな美丈夫さ」
ハルネリオ先生は、ツェルタッツェにふりそそぐ日差しを凝縮したような男性だった。
まず、金髪がまぶしい。
燦々、と音が鳴りそうだ。
瞳は青空。まつ毛もやっぱり燦々。
着こなしの良し悪しなんてわたしにはわからないけれど、トルーパフルーツ柄のネクタイはいいなと思った。ハルネリオ先生だからこそ似合うのだろうという気もする。鮮やかな橙色も、大ぶりなトルーパも、クォーツの首もとにあるのを想像するとちょっとおもしろい。
「僕のことはこんなもんでいいね。大事なのは愛弟子たちだ。ほうら、照れ屋さんな彼らのかわりに僕が紹介してあげようねー」
先生が〝照れ屋さんな彼ら〟の肩を抱き寄せる。男女のどちらも、あからさまにそっぽへ顔を背けた。「……目立ちたがりのくせに謙虚気取ってんなよな」男子生徒のぼやきはわたしたちのところまではっきり届いたけれど、ハルネリオ先生はまるきり聞こえていないかのように笑顔をくずさない。
けれど、すっと伸ばされた人差し指が少年の眉間のしわをとらえて、執拗に揉み込む。
「まずはこっち、男子代表の」
「自分で言う」
先生の腕をふりはらって、少年は深いため息をついた。
ぱっと、桃色の髪に目が誘われた。つむじのところは金色なので、あえて染めているのだろう。つぎに、ささやかな違和感を覚える。華やかな髪色が浮くほどに、態度はおとなしくて、いまも周囲から浴びせられる視線を避けるように目線をうつむけている。
「俺はネルケ。リュミエール魔法学校五年、魔法論理コース、回復魔法専攻。よろしく」
「魔法論理コース! 専攻!? こちらの学校では、好きなことを専門で学べるの!?」
思わず一歩踏み出したわたしに、ハルネリオ先生がにこやかに答える。
「そうだとも、我が校は『自由な学び』をモットーにしていてね! あらゆるコース、専攻が存在するし、お気に召すものがなければみずから作ってしまってもいい。むしろ既存の型で満足してしまうなんてもったいない。魔法論理コース回復魔法専攻なんて、生徒の二割が選ぶテンプレもテンプレだよ。くそつまらないね。どう、いまからでも新しい道を切りひらかないかい、ハルネリオくん?」
先生が『ハルネリオくん』と呼んだとたん、ネルケくんの額に静かに筋が浮かんだ。
「あら、それではもしかして、ハルネリオ先生とネルケさんは」
不穏に沈黙するネルケくんに気づいていないクレアが、無邪気に声をあげる。
「ふふっ、兄に見える? 父に見える? 従兄弟という説も——」
「祖父だ。んなくだらねぇことで時間とってんじゃねーよ。……ほら、ロゼつぎおまえ」
流すにはあまりに衝撃的な情報だ。
けれどリュミエールの彼らは、わたしたちの動揺などおかまいなしで続ける。
「ローゼ・シャドラ。コースなし、専攻なし」
あきらかに寝癖っぽい外跳ねの髪の下、大きさの合っていない眼鏡は鼻まで落ちている。背格好も声も女の子らしいけれど、身につけている制服は男もののようで、シャツの袖もズボンの裾も幾重か折り返されてあった。
「シャドラくんは猫ちゃんみたいに気分屋で、そのときどきによって興味のある事柄が変わるんだ。だから、より正確に言うならコースぜんぶ、専攻ぜんぶってところかな」
「敬称はいらない。ローゼでもシャドラでも、好きに呼んで。それから、あとで個別に人生の話を聞かせてもらうからよろしく」
おおざっぱでおおげさな要求をさらりと投げつけて、彼女——ローゼは口を閉じた。
かわりに、呆れ顔のネルケが補足する。
「こいつは小説家なんだ。ネタ作りになるとかで、やたらひとの話を……とくに生い立ちなんかを好んで聞きたがる悪癖がある」
「悪癖?」
「悪癖だ。ふつうそんなの、よほど親しいひとでなきゃ話したがらないものなんだからな。……まあだから、無理することじゃないけど、話してもいいって思えるところまでなら協力してやってほしい」
「協力してもらえなきゃ困る。ぼくが国導課程に参加した意味がなくなる」
ペーチェル魔導院の彼らとはじめて会ったときも、ずいぶんと個性的な人たちだと思ったけれど、リュミエール魔法学校の彼らもまったく劣らない異彩を放っていた。
そのなかで、見た目だけなら真っ先に目をひきつける桃色の髪のネルケくんが、いちばんまじめでおとなしそうなのがおもしろい。
ハルネリオ先生は、いつの間にかベイルマン先生に近寄ってなにやら熱心に話しかけていた。そのうち、衣服のポケットというポケットから薔薇をとりだしはじめる。
そんな祖父を私たちの視線から隠すように、ネルケくんはとぼとぼ立ち位置を変えて、「あー」とため息まじりの声をあげた。
「……とりあえず寮の部屋に案内するから。男子は俺、女子はロゼについていって。あと、頼むから俺のことは苗字で呼ばないでくれ」




