7、共同課題
フェリシテ共和国までは、ルーネル港から三日月型の大海を西へ西へと横断して行く。
「風が味方をすれば明朝には到着するわ」
食事のあとすぐに、わたしたちはベルイマン先生によって甲板まで連れ出された。
雲が猛烈な勢いでちぎれ飛んでいく空の下でも、彼女のひっつめ髪はびくともしない。
「味方しなければ?」
クォーツは馬車の時間で、みずから先生に話しかけることにためらいがなくなった。
「そんな心配はいらないはずよ。ここには有望な魔導士候補生が三人もいるのですから」
ベルイマン先生の返事に、彼は片眉を持ち上げて有望な魔導士候補生らをふり向く。
真っ先にわたしと目があって、それから左右——アドラーシさんの腕ですやすや眠りについているクレアと、頭の後ろに手を組みながらぼんやりたたずむゾーラとを見比べる。
「欲目なしに、オードリーが一番優秀に思える。こいつら本当に優等生なのか?」
「いやあからさまに欲目でしょ。お姫様はともかく、オレはふつうに起きて立ってるよ」
「クォーツ……信頼はうれしいけれど、ほかの人をおとしめるような言い方はよくないわ」
とっつきにくいように見えて、話してみると意外と気さくな部分もあるクォーツだけれど、あくまでも部分もあるというだけで実際とっつきにくい部分もおおいにある。
端的に言えば、口が悪い。
アカデミーでわたしのほかに仲良くしている子がいなさそうだったのは、魔臓の件で彼自身に仲良くする気がなかったのと、怪物扱いする周囲に対する敵意が元来の口の悪さと最悪の共演を果たしてしまった結果だろう。
ペーチェル魔導院の彼らは、まだクォーツの魔力量について知らない。自分じゃ杖を使えないわたしの『杖』とだけ紹介している。
けれど知ったところで、怪物扱いなんてしないのではないか——まだ会ったばかりだけれど、彼らはそう信じたいと思える人たちだ。
ただわたしの杖でいるだけでなく、クォーツはクォーツでこの旅でなにか見つけてほしい。『ディケンズ』とは関係のない、もっと楽しくて、うれしくて、幸せになるものを。
たとえば友達とか。
「快適な船旅はあなたがたに一任します。これはペーチェルとクレメールの共同課題よ」
同意をうながすように視線を向けられたバートリ先生が、慌てて首を縦にふる。
「な、なか、仲良く、しましょう」
「そう、これから一年間ともに過ごすのですから、親睦を深めることは大切です。摩擦を避けるべきではないわ。実際にぶつかってみるまでは、本当はどこに相手がいるのかなんてわからないものよ。後々になってから不用意にぶつかってしまうよりも、まだ慣れないことをお互いに了承しているうちに、おそるおそる近づいて適切な距離を見つけなさい」
実際にぶつかってみるまでは、本当はどこに相手がいるのかなんてわからない——
自然と思い出されたのはレディのことだった。同学年の数少ない女子同士、入学当初から付き合いはあったけれど、はじめて彼女に触れられたのはたぶんあの収穫祭の夜だった。
クォーツとは出会ってすぐにぶつかって、それから幾度となく衝突をくり返しながら、いまはお互いの手を握れる距離に落ち着いた。レディにももっと踏み込めていたら、早いうちに衝突があったなら、あんなことにはならなかったのではないか……今さらとわかっていても、そう考えずにはいられない。
「クレア嬢はどのくらい聞いてました?」
「……ほんのいま目覚めたところです」
ちょうど先生たちが立ち去ったところで、クレアが重たげにまぶたを持ち上げた。
「モルド」少しかすれた声の呼びかけを合図に、アドラーシさんが彼女をおろす。
「レナンドからじゃ、ここまでかなり長旅だったはずよ。しっかり眠って、体調を整えてからあらためて話すようにしましょう?」
「お気遣いありがとう、オードリー。……でもこれは、どう言えばいいか、遺伝による体質のようなもので……体調は大丈夫よ」
「お嬢様——」
すぐにアドラーシさんが、彼女の耳もとにさきほどの先生の言葉を伝える。お互いに慣れたようすの、そつのないやり取りだった。
「そう……風を味方に」
「オレたち三人、時間決めて見回りとかしますー? ようすしだいで風追加、みたいな。もちろん夜間はオレ担当ってことで」
「夜間って、到着までもうほとんどの時間は夜よ。ゾーラの負担だけ大きすぎるわ」
「オレは男なんだし、そのくらいは」
「そういうわけにはいきませんわ。それに、明け方までの担当は確実に体内時計を乱されます。誰か一人がまるきり担当するのではなくて、細かく手分けして睡眠を補うべきです」
たしかに、夜のあいだずっと意識を尖らせていたのでは翌日に響くだろう。そしておそらく、夜の海風はいまよりずっと寒い。
明日はいよいよフェリシテに到着する。ほかの学校の人たちとも会うだろうし、ようやく本当の国導課程がはじまると言ってもいいのに、体調が万全でないのは問題だ。
「……船がある一定の速度を下回ったら、自動で風が吹くように魔法式を組んでみる?」
「魔法式を組む?」
クレアが長いまつ毛を跳ねさせた。
「式を連立させるということ? 二つ三つなら、わたくしの魔力でも足りると思うけれど……そう簡単な式にはならないでしょう」
「ほとんどこっちの頭で解いておくくらいでないと、杖に魔力しぼりとられちゃうな」
「大丈夫、わたしが解くわ」
断言したわたしを、二対の目がまじまじ見つめる。
ややあって、言いにくそうに口を開いたのはゾーラだった。
「……概算だけど、航路とか風向きとか、天候ごとの対応も組み込まなきゃだし、式を組み立てるのに数時間——頭で解くってなると少なくとも一日二日はかかるんじゃないかな」
「頭だけで解くならそうね」
森の管理人の計算方法は、彼らの国でもあまり知られていないらしい。
言葉で説明するよりも、実際に見てもらったほうが早いだろう。ちゃんとダンスを習っているはずのクレアに、森仕込みのステップをお披露目するのは恥ずかしいけれど……せめてスカートをつまんで、礼をした。
どんな魔法がいいだろう。
優しくわたしを見おろす木立の緑。
ひるがえって踊りにさそう木の葉の影。
せっかく、魔法の自己紹介だもの。これまで目にしたきれいなものをお裾分けしたい。
海にきらめく、ほたる玉の翡翠。
雲間からのぞいた月の銀。
すべてを鮮明に映し出す、凛とした青。




