3、ペーチェル魔導院
ハズレは、火吹きトマトとびりびりチーズのピザサンドだった。
かじったそのときは、スパイシーな香りと甘じょっぱいソースに「おおっ!」となる。火吹きトマトの果汁が流れだしたところで「お?」と首を傾げ、チーズが舌に絡みつくと、悶絶。もはや悲鳴すらあげられない。あれはピザサンドのふりをした劇物だ。
たった一つを、初手で引いてしまった。しかもお腹がすいていたせいで大口でかじりついてしまった。口のなかに起こった突然の大火事に、まだ理解が追いつかないでいるわたしの手にベルイマン先生はすばやく小瓶を握らせた。「胃薬よ。とても甘いから、舌の痛みもやわらげてくれるわ。ふくんだらすぐ飲み込まないで、三つ数えてからにしなさい」
先生お手製だという胃薬は、わたしの口から胃まですみやかに鎮火してくれた。
ずいぶん用意がいいと思ったら、この刺激的な朝ごはん、国導課程の恒例行事らしい。
ふちを閉じて中身をわからなくしたサンドパンを、フェリシテ共和国では『幸福の白パン』と呼ぶそうだ。新年の運試しに家族そろって頬張って、一つだけ紛れ込んでいるハズレサンドを引いたひとが、その年もっとも幸福を引き寄せると言われているらしい。
「いい旅になるな、きっと」
そう声をかけてきたクォーツは目もとに哀れみ、口もとに笑みをそれぞれ浮かべて、絶妙に慈愛の微笑みのようになっていた。
「……ねえ、あなたはわたしの杖なのだし、いわばわたしたち一心同体じゃない? ここにもう半分の幸福が残っているのだけれど」
「は?」
「胃薬はまだあるわよ、フテルクくん」
「いや、俺は……」
このとき、珍しく歯切れ悪かったクォーツが本気でうろたえていたことに気づいてあげられていたらよかった。
……意地になって食べる彼も彼だと思うけれど。
それにしたって、激辛だろうが激苦だろうが眉一つ動かさないで食べてしまいそうな彼が、まさか泣くほど辛いものがだめだったなんてまったく想像していなかったことだ。
「泣いてない」
「なにも言ってないわ」
「目がうるさいんだよ。いつまでも」
三度目に交代した馬がのんびり屋さんで、船の待つルーネル港まで結局六時間ほどかかってしまった。
サンドパンで膨れていたお腹も、すっかりぺったんこになって昼食を求めている。
クォーツはいつも通り、赤みのほとんどない彫刻のような頬をしていて、〝幸運〟の名残はどこにも見当たらない。車中で悶えていたときは心からかわいそうに思ったけれど、こうも跡形もなくなると、よく見ておかなかったのはもったいなかったかも、なんて思う。
彼いわく「目から溢れなければ泣いていない」らしい。
でもたぶん、ちょっと溢れていた。
「船着場までそれなりに歩くから、はぐれないでついてくるように」
ルーネル港はクレメール随一の港町で、外国からのお客さんを連れてくるならとりあえずここ、といった有名な観光地でもある。
王都より歴史が古くて、いろんな時代の建物が博物館みたいにそろっている。そのぶん道は狭くて、迷路みたいに入り組んでいるうえに、いたるところで出店が開かれている。
売られているのは海でとれるものだけではなく、船に乗ってやってきた珍しい品々もあるようで、どこも目を見張るような行列ができていた。そのあいだを、わたしたちのように船に急ぐ人や、反対に船旅を終えて町を出ようとする人などが早瀬の勢いで行き交う。
簡単に迷子になれそうだと思ったとき、クォーツがわたしの手をつかまえた。
「さあ、着いたわよ」
市街地を抜けると、唐突に海が広がった。
空をそっくり映し取ったように凪いでいる。
桟橋には漁船がいくつもあった。
旅客船らしきものも見える。そのなかのどれがわたしたちの船かは、一目瞭然だった。
青空を、大ぶりな純白の帆がフリルになって連なっている。隙なく塗装された船体は黒々として、鉱石に似た艶があった。周りの漁船や旅客船たちが子供に見えるほどの圧倒的大きさの一隻——遠目からでもはっきりと『ランバルクイーズ』の文字が見えた。
「船には先に、レナンド王国のペーチェル魔導院が到着しているそうよ」
「レナンドの……! さっそくほかの学校の子たちと会えるんですね!」
大慌てで、わたしは髪に手櫛をかませた。
「どうしようクォーツ、なんて自己紹介したらいいかしら!」
「得意科目は魔法論理学です、でいいだろ」
「それじゃあ堅苦しすぎるわ。友達になるのだから、もう少し自然体でいいと思うの」
「はあ。よくわからないな」
「そりゃあなたはいつも自然体じゃない」
一応は授業中なのだから、クォーツほど自然体すぎるのはよくない。たとえば人混みを無事に抜けられたら、繋いでいた手は離すべきだろう。いまのわたしたちのように。
ある程度の緊張感は持ちつつ、けれども授業が終わったあとには気軽におしゃべりできるくらいには、くだけた印象がほしい。
堅すぎず、柔らかすぎず。
……その塩梅の重要さを、ペーチェル魔導院の人たちは身をもって教えてくれた。
「椅子に掛けたままで失礼します。私はバラージュ侯爵家使用人のモルド=アドラーシと申します。クレアお嬢様の従者として、この度の国際魔導士課程に同行させていただきます。……はい、さきほど申しました通り、お嬢様はただいまお昼寝中でございます。おそらくあと一時間ほどしたらお目覚めになるかと」
船内のエントランスに用意されたソファーに、アドラーシさんはまっすぐ背筋を伸ばして、彫刻のように微動だとせず座っていた。
短く刈られた黒髪の下では、クォーツよりも濃い青の目が凛々しい角度で収められている。身につけているタキシード風の服は学校の制服ではなく、おそらく『お仕着せ』というものだろう。ロマンス小説から抜け出してきたように現実感がなくて、ネンネが見たら「本物の従者だわああ!」と卒倒しそうだ。
そして彼のひざには、お姫様のように美しい女性がすやすやと寝息を立てていた。
背中まで波打つ、真鍮そっくりのくすんだ金色の髪に、人形職人が一世一代でつくりあげたような見事な寝顔が埋まっている。空色のワンピース制服さえドレスみたいだ。言わずもがな、彼女こそ『クレアお嬢様』だろう。
「ごめんねー、びっくりしたよね。眠り姫は起こさないのがうちのルールなんだ。まあ、きみたちもそのうち慣れると思うから」
バラージュさん(バラージュ様? 貴族のひとって、どう呼ぶのが正解なのだろう)たちのそばで、ソファーに寄りかかるようにして立っていた男の子がひらひらと手をふる。
こげ茶色の髪は風をふくんだみたいにやわらかそうで、わたしが毎朝のように鏡の前で「こうあればいいのに」と思い描く理想のカールが、耳たぶのあたりまで跳ねている。きゅっと細められた猫目は緑色で、体格はクォーツと変わらなそうなのに、なんとなく年下っぽくてかわいらしい第一印象だった。
堅苦しすぎるアドラーシさん。
そもそも寝ているバラージュさん。
その中間を彼が担ってくれるかと思いきや、
「オレはゾーラ。一応、ペーチェルからの男子代表ね。でも正直、資格を取るのは興味なくって、ここには金のなる木——あー、じゃなくて、お嫁さんをつかまえに来ました。そういうわけだからどーぞ、よろしくね」
ウインクは的確にわたしにぶつかって、ぼとりと床に落下した。




