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2、冠を載せた馬車

 予定よりも早起きだったのに、待ち合わせ場所の一番乗りはわたしではなかった。


「おはよう。よく眠れたか」

「おはようクォーツ。おかげさまで」


 夢見は最悪だったけれど、と喉もとまで出かかったのをすんでのところで飲みこむ。

 どんな夢かとたずねられたら、わたしは頭を抱えてうずくまってしまうだろう。


 クォルツ・フテルクはいたっていつも通りだった。まなざしで蜂蜜を垂らしてこないし、くっつきたいからなどと言って身体を寄り添わせてくることもない。あらためて、夢のなかの彼がおかしかったことを知る。


 でも、夢のなかのすべてがでたらめというわけでもないのだ。抱き寄せられたときの慣れない体温は、昨晩のパーティーでわたしがくちびるに感じたものと同じだった。


 ——クォーツにキスをされた。


 わたしの杖になる契約だと言っていたけれど、もちろんそれで本当に契約が結ばれるわけではないし、彼がどういうつもりであんなことをしたのかわからない。……なんて、さすがにそこまで察しが悪いわけではない。


 仕返しをしたのは、あちらばっかり余裕そうなのがずるいと思ったから。

 それから、はちきれそうなくらい胸をいっぱいにしたものをお裾分けしたかった。


 ネンネから借りたロマンス小説のヒロインたちと、まったく同じ気持ちをクォーツに抱いているとは言いきれなかった。けれど〝かけがえのない〟というわたしとクォーツだけの関係性に、たとえば『恋人』と名付けることでときどきあんなふうにくちびるを合わせられるなら、いいかもしれないと思った。


 小説きょうかしょによれば、キスのあとは告白があるのだろう。そう疑わなかったのに、それらしい会話が起こらないままパーティーが終わってしまった。えっ、キスがあったんだから、つぎは恋人になりましょうって約束をするものじゃないの? それとも、キス自体がその約束みたいなものだったということ? まさか本当に言葉の通りで、ただ儀式的に杖の契約をなぞっただけなんてことは……。


 あんな夢を見るのも仕方ない。ああでもないこうでもないと首を振ったから、頭のなかはさぞしっちゃかめっちゃかだっただろう。


 せめて今日、顔を合わせることでなにかわかることがあるかもしれないと思ったのに、となりでのんきに大あくびしている彼がなにを考えているのかさっぱり読み取れない。

 いつ先生がやってくるかわからないいまは、こちらからたずねることもできない。


 だからと言って黙りこむのもわたしらしくないから、ぎこちなさを見せないように、他愛のない会話をふる。


「そういえば、教授嫌いはちょっとはましになった? これからは避けてもいられなくなると思うから、だんだん慣れていかないと」

「まあ、同じ馬車に乗るくらいは耐えられるんじゃないか」


 なんとも心もとない返事だけれど、近づくのもいやがっていたころと比べれば、だいぶよくなった。


「あとは相手による。俺に無関心でいてくれるやつだと、こっちもやりやすい」

「生徒に無関心でいるような教員は、アカデミーから追い出しますとも。私たちは学者であると同時に、あまたの新芽の導き手であることを一時いっときだって忘れてはならないわ」


 定刻を見計らっていたようにやってきたヘラ・ベルイマン先生が、朝日にモノクルを光らせて言った。クォーツは天敵に接近された猫のようなすばやさでわたしの背に隠れる。

 今年度の国導課程において、わたしたちの付き添い人を務めるベルイマン先生は、たしかにクォーツの望む要素とはかけ離れている。入学当初からなにかと気をかけてもらっているわたしは、彼女がふだんからいかに生徒たちに目を配っているか知っている。


 ……正直なところ、以前は彼女の気遣いを素直に受け止められていなかった。わたしではなく、わたしのなかの小さな魔臓だけを見られているような気がして、勝手に重圧を感じたり卑屈になったりしてしまっていた。


 けれど課題のあと、彼女の言葉になんのとっかかりも覚えずに感謝を抱く自分に気がついた。アカデミーではもっぱらクォーツの変貌ぶりが話題になっているけれど、わたしのなかでも決して小さくはない変化があったらしい。


「おはようホプキンスさん、フテルクくん。待たせてしまったみたいでごめんなさい」

「おはようございます、ベルイマン先生」

「魔法薬学の……」


 課題を機に授業に出席するようになったクォーツは、ベルイマン先生の魔法薬学にも参加していた。


「ええ、そう。覚えていてくれてうれしいわね。さて、せっかくそろったことだし、改めて挨拶でもしたいところだけれど……」


 ふと移されたベルイマン先生の視線の先に、ちょうど馬車が到着した。


 街で乗るような大型の乗り合い馬車ではなくて、個人のためだけに送迎してくれる貸し馬車だ。御者の若い男性はお城の騎士のようなコートを着ていて、二頭の白馬たちも彼とおそろいの意匠の馬具を身につけていた。


 天蓋には王冠のような飾りがついている。漆黒の車体は、風景がはっきり映り込むほど磨き抜かれていて、そこへ黄金の彫刻で文字が——ベルイマン先生の前でなければ、わたしは飛び上がって叫んでいたことだろう。「夢の旅路はランバルクイーズ!」と。貸し馬車なんて縁遠い人生だったけれど、『ランバルクイーズ』の社名はさすがに知っている。


「続きは馬車のなかにしましょう」


 ためらいもなく扉を開けて乗り込む先生が、やたらにかっこよく見えた。あとを追って、彼女の向かいの席にこわごわ腰をおろす。

 最後にクォーツが乗って、扉を閉めた。


「俺たちは舞踏会にでも行くのか」


 窓の風景が流れはじめても、馬車はほとんど揺れない。快適すぎてかえって肩が持ち上がってしまうわたしのとなりで、同じように首を短くするクォーツが不機嫌そうに言う。


「移動はすべてランバルクイーズ社の乗り物よ。現社長が国導課程初回の履修者で、そのときに乗り物の質の重要性を深く実感したとかで、起業以来提供してくれているの。みんな最初はそわそわするけれど、五時間くらい経つと我が家のようにくつろぐわ」


 それはくつろいでいるのではなく、座り疲れてへばっているのだろう。いまから疲れている場合ではないと、わたしは意識して肩の力を抜いた。


「あらためまして、私はヘラ・ベルイマン。主な担当は魔法薬草学と魔法薬学よ。この国導課程で、クレメール魔法アカデミー教員代表としてあなたたちに付き添うことになりました」

「オードリー・ホプキンスです。得意科目は魔法論理学で、好きなのは魔法生物学、ベルイマン先生の魔法薬学も楽しくて好きです。これから一年間、よろしくお願いします」

「クォルツ・フテルク」


 以上、とばかりに口を閉じたクォーツを、左ひじでつつく。


「……得意科目なし。好きな科目は魔法生物学」


 思わず、彼の横顔をまじまじ見つめる。銀のまつ毛はすぐ窓のほうへ逸らされた。

 せっついておきながら、彼の口から好きな科目が出てくるなんて思いもしなかった。しかもそれが魔法生物学だったなんて。

 ベルイマン先生も意外そうに目を丸くしたけれど、あからさまに会話を拒む彼に、あえてそれ以上のことをたずねることはなかった。


「最初の目的地は、フェリシテのリュミエール魔法学校よ。船のある港まで長いから、酔わないようしっかり朝食をとりましょう」


 食堂から預かってきているわ、と《秘密のかばん》から引っ張り出された籠には、ホットサンドでもクロケットパンでもなく、ふちのしっかり閉じられた中身のわからないサンドパンがぎっしり詰められてあった。

 こんなもの、食堂にあっただろうか。見慣れないものに釘付けになるわたしたちに、ベルイマン先生はいつもの定規で引いたような表情をちょっとだけ崩して、付け足した。


「どれか一つ、ハズレがあるそうよ」

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