第3話 2
「ここだよ、図書館」
そのような会話をしているうちに、図書館に到着したようだ。
歩道側の壁はガラス張りになっており中の様子が見える造りになっている。
目に見える範囲でも、沢山の本が並べられるのが分かった。
夜空街にも図書館はあったが、それとは比べものにならないほど広く、多くの本がありそうだ。
そして二人は、自動ドアを通って中へと歩みを進める。
やはり中はある程度賑わっているようだ。
本棚を熱心にみている人々、所々に設置させているイスに腰掛け本を読む人々。そして、吹き抜けになっている二階に並べられている机、そこにも人々が座り勉強や読書をしている様子が見えた。
もしかしたら、この中にアトリアと似ている人物がいるかもしれない。
「……」
トリスはあたりを観察するが、とあることが気になってそれに集中できなかった。
二階のスペースにいる人のうちの一人から、「願い事」のある雰囲気が漂ってきている。
「煌太! わたしちょっと行ってくる!」
「え? トリスさん?」
トリスは煌太のことをこの場に置き去りし、二階へ向かった。そして、広い机の一角でノートや本を開き勉強をしている黒髪の青年の前に足をつく。
「あなたの願い事を一つだけ叶えて……」
「願い事あるんだろ? 一つだけ叶えてやるよ!」
「!」
トリスの言葉を遮ったのは聞き覚えのある声だった。
いつの間にかトリスの隣には、ルコルが立っている。
「ルコル! 横取りしないで! この人間の願い事を叶えるのはわたしよ」
「はぁーー? 横取りしようとしたのはそっちだろ?」
ルコルは黒髪の青年にジリジリとつめよると、
「な! お前もそう思うだろ?」
今の状況に、青年は明らかに困惑しているようだった。
視線だけを動かし、トリスとルコルの顏を交互に見ると小さく口を開く。
「そう思うも何も、今の状況どうにかしてほしいんだけど」
青年は落ち着き払った声色で、そう言った。
「え、何? 星の子同士って仲悪いものなの? それとも君たちの相性の問題?」
青年は不信感の募った目で、こちらを見た。
「そ、そんなことあるはずないじゃない! 星の子はみんな仲よしだし、わたしたちだってとっても仲いいのよ!」
星の子のイメージを落としたくなかったトリスは、必死にそう言葉を並べ、無理やりルコルと腕を組む。
「そうよね、ルコル!」
「は? ま、まぁそうだなー」
ルコルはトリスの胸の内を察してくれたのか、ぎこちない笑顔を浮かべそう言った。
青年はそんな二人のことを見て、微かに笑顔を浮かべる。
「ふーん……星の子もいろいろと大変なんだね」
「……」
「それにしても驚いたよ。伝説上の生き物が実在したなんて。で、願い事って本当に叶えてくれるわけ?」
青年の言葉に、ルコルはトリスから離れると
「もちろんだ! どんな願い事でもちゃちゃっと叶えてやっから!」
「でも、一つだけよ」
トリスはルコルの言葉にそう付け加える。
「そうなんだ。で、どっちが叶えてくれるの?」
「……じゃー、お前が決めてくれよ! オレに願い事するかトリスにするか」
ルコルの質問は合理的な方法だった。
そうしないと、また言い争いになることが目に見えている。
青年は、一瞬沈黙するが「いいよ」と呟き、また間を置く。目を伏せて、その選択を真剣に考えているようだ。
そして、彼は立ち上がると言った。
「じゃぁ、ルコル。君にお願いするよ」
+
トリスが不服そうにこの場から立ち去ると、黒髪の青年はルコルに手を差し出す。
「俺は佑真よろしくね」
「お、おう! よろしくよろしく~」
ルコルは佑真の手を握ると、それを大きく揺さぶる。
佑真は背丈も外見年齢もルコルと近く、親しみやすい印象があった。トリスではなく、自分を選んでくれた理由はもしかしたらそれかもしれない。
佑真は机の横から離れ、本棚の影の方へ移動すると小声で
「ルコル、願い事ってなんでも叶えられるの?」
「そりゃー当たり前だよ! 星の子の力をなめんなよー?」
「……例えば、そうだな。あの子美人だよね」
「?」
佑真は本棚の影から、机が並んでいるスペースへ目を向ける。
そこに座り本を読んでいるのは、佑真と同年代ぐらいの女性。
「オレにはみんな同じような顏に見えるけどな! お前がそーいうならそーじゃないのか?」
「うん、そうだよ。例えば、あの子と今すぐに付き合いたいって願い事すれば、そうすることもできるの? 俺とあの子は面識ないんだけど」
ルコルはそれに口元をつり上げる。
「そんな願い事あさめし前だよ! じゃぁ叶えるぞ!」
「ちょっと待って。例えばの話だよ。君、話きいてないでしょ?」
佑真は不審な目でルコルを見た。
ルコルは思わず乾いた笑い声を漏らすと
「あ? そうなのか? わりーな、きいてなかった!」
「ったく……」
佑真はため息をつくと、本棚の影から移動する。
先ほど指定した女性の横を通り過ぎると、階段の手すりに手を付き一階のフロアを見下ろした。
そして、一階の本棚の前に立つメガネをかけている男性を小さく指差した。
「彼、俺と同じ講義とってる奴なんだけど、そうとう頭いいんだよね」
「ほーそれで?」
ルコルは佑真と同じく、手すりに手をつくとメガネの男性を見た。
「例えば、だけど、そいつの知能を奪うこともできるの? 知能だけを奪って五歳児並みにするのか」
「もちろんできる! どうする? それに決めるか?」
ルコルは手すりに飛びのると、佑真を見下ろした。
思わず口元が緩んでしまう。
やはり人間は、こうあった方が面白い。
誰かの心を操ることも、記憶をいじることも星の子である自分には容易いことだ。そうすることによって人間たちがどう転がるか、それがルコルにとって地上限定で観ることのできる「いい見せもの」なのだ。
「……いや、決めない。そんなことで願い事使っても面白くないでしょ?」
「はぁ? オレは面白いと思うけどなーっ」
「先が見えている願い事は、面白くない」
佑真は表情に、影を落とす。
有無を言わさぬその表情に、ルコルは思わず口を結んだ。ため息をつくと、手すりに腰掛ける。
佑真はそんなルコルを横目で見ると
「自分で言うのもなんだけど、俺って器用で少し頑張ればなんでもできちゃうんだよね。だから、叶えてもらいたい願い事ってないんだよ」
「はぁ? そんなことあるわけねーだろ。願い事があるのが分かったから、オレとかトリスが声かけたわけだしな!」
ルコルの言葉に、佑真は意外そうに目を見開く。
「へぇ。君たちは、そういうことも分かるんだ。じゃぁ俺の願い事って何だろ」
「知らねーよぉぉ。こっちが訊きてー」
「……願い事として成立するか分からないけど……そうだな。「面白いこと」を感じたい。心の底から。こーいう願い事はどう?」
佑真は微笑む。
ルコルは顏をしかめた。彼の笑みはこちらの反応を試されているようで、気色が悪い。
「具体的に言ってもらわねーと、叶えられないからな?」
「……」
「つまらないツマラナイばかりじゃ、脳みそ腐るぞ? 何事も考え方次第だって! な?」
「……」
「だから、別の具体的な願い事にしてくれ! そっちの方が叶えやすい」
ルコルは佑真の顏を覗き込む。
こんな面倒くさい人間は初めてだ。さっさと叶えて退散しよう。
「……具体的な願いごとだね。分かったよ。じゃあ、言ってもいい?」
「おう!」
「ルコル、君としばらくの間一緒にいたい。少なくとも二年間は」
佑真はサラリとそう口にした。
口元を緩め、穏やかに微笑む。
「だって、君といると楽しそうだし。少なくともトリスっていう星の子よりは」
「佑真、お前! 迷ってるふりして最初から願い事決めてただろーー?」
ルコルは佑真を指差し、そう叫んだ。
佑真はルコルの指を払いのけると頷く。
「だって、願い事でもしないと、君は面倒だって言って別の人間に乗り換えるでしょ? いくらでも人間はいるわけだしね。でも、俺は星の子に出会えたキッカケをみすみす逃したくない」
「お前な」
「俺の願い事は、ルコル、君と少なくとも二年間は一緒にいること。ほら、叶えてよ。簡単なんでしょ?」
佑真はルコルの腕を掴み、勝ち誇ったような表情でこちらを見据える。
さっさと願い事を叶えて退散、なんてどうやら甘すぎる考えだったらしい。
想像以上にこの人間は、面倒くさい。
けれど、この「願い事」が佑真にどんな変化をもたらすか、いい見物だ、そう思った。
「あぁもちろん、叶えてやるよ」
ルコルがそう言うと、佑真とルコルの間に、黄緑色に瞬く星が現れる。それは二人の周囲をフワリと一周すると、ぱっと弾けて粉々になった。
+
「トリスさん、あまり落ち込まないで~」
「お、落ち込んでなんかないからね?」
トリスが煌太の方へ戻ると、早速そう言われた。
やはり煌太はトリスとルコルが言い争っている様子を、見ていたらしい。
あの青年がどんな願い事をルコルに託すか気になるが、自分が図書館にきた理由は他にある。今はそのことに集中しよう。
「ルコルの言うことが本当なら、姉さんに似た人間がここにいるかもしれないし……地道だけど、一人一人確認していこうと思う」
「うん、僕も協力したいところだけど、トリスのお姉さんの顏知らないからなぁ……あ、じゃぁ僕は、本探そうかな。星の子についての」
煌太は表情をぱっと明るくする。
そう言えば煌太は最初に会ったとき、「ほしのこでんせつ」という本を持っていた。もしかしたら、トリスが思う以上に人間界には星の子に関する本があるのかもしれない。
その中に、アトリアに関する情報があるという可能性もある。
トリスは頷くと、
「助かるわ! じゃぁよろしくね」
トリスは図書館を飛び回り、一人一人人間の顏を覗き込む。
こどもからお年寄りまで、全員の顏を確認したが、しっくりと当てはまるような人間はいなかった。
本当にアトリアに似ている人間なんて、実在するのだろうか。
トリスは遠目で本棚の前のスペースからほとんど動かない、煌太の後ろ姿を観察した。
どうやらあの本棚周辺に、気になる本があるようだ。
「煌太、何かよさそうな本あった?」
トリスは煌太の隣に足をつくと、彼の方を見上げる。
「うーん、これどうかな?」
煌太は腕に抱えている本のうちの一冊をトリスに見せるように持つ。
児童書のようなその本の表紙には、淡い色合いで星や月のイラストがデザインされていた。
タイトルは「ほしの子とじんこうぼし」。
「まえに煌太が持ってた本と似てるよーな……?」
「うん、作者が同じだから」
「そうなのね! と言うか、じんこうぼしってどういう意味? 中身読んでみたい」
「うん」
煌太はトリスの隣にしゃがみ込むと本を開く。
すると、とある文字が目に留まった。
中表紙に描かれている星のイラスト、その下に作者名が書かれてある。
作者名は、「こうた」。
「……作者名、こうたって書かれてある。あなたと同じ名前ね!?」
トリスははっとし、思わず煌太の顏を見た。
「……そうだよね、よくある名前だから」
煌太は相変わらず微笑んでいた。
「驚かないのね?」
「まぁ、知ってたからね~」
煌太は苦笑する。
その事実は煌太にとって、承知済みの事実だったらしい。
もう少し驚いてもよさそうだが、そういうことなら仕方ない。
次のページを捲ろうとしたその時、図書館のスタッフが「閉館時刻ですよ」と煌太に声をかける。
煌太はそれに「すみません」と返事をすると、本を閉じた。
「……もうでていった方がいいってことよね。また明日にでも来たいところね~」
名残惜しいが、仕方ない。
トリスはため息をつく。図書館の本が購入できないことは、地上の図書館でも同じだろう。
「この本持ち帰ることもできるよ~。これがあれば!」
煌太はバッグの中から何かカードのようなものを取り出すと、それをトリスに見せた。
「ほんと! やるじゃない、煌太!」
どうやら地上の図書館には、便利なシステムがあるようだ。
煌太の持っているカード、それはきっと貴重なアイテムに違いない。
「あはは……トリスさんが興味を持ってくれて嬉しいよ」
「?……」
「じゃあ、借りる手続きしてくるね」
そして煌太は、急ぎ足でこの場から立ち去った。
その日の夜。
トリスは、お気に入りの場所としていつの間にか定着した公園にいた。
この場所は、住宅街よりも人の気配を感じにくいので落ち着く。
ベンチに寝転がると、今日煌太が図書館で借りてくれた「ほしの子とじんこうぼし」の本を開く。
こども向けなためか難しい文字は使われていない。これなら自分にもギリギリ読めそうだ。
朝までにはまだまだ時間はある。ゆっくりと解読しよう。
+++
煌太はノートの上に走らせていたシャーペンを、机の上に置いた。
部屋を満たしているのは、夜闇とカーテンの隙間から漏れる月明かりぐらいだ。
けれど、それで丁度いい。
この体になってから、いつの間にか暗闇を好むようになってしまったから。
(そうだ、物語の中に藍実さんのことも加えよう)
煌太はそう思い立ち、再びシャーペンを握る。
長いこと生きていると、沢山のことを忘れて行ってしまう。もしかしたら、自分が藍実を人口星にしたこともいつか忘れていくかもしれない。
絵本作家として活動していた時代もあったため、図書館にあの本があった。
古い本だが、置いたままにしてくれていたことが嬉しかった。
(トリスさん、読んでくれたかな)
自分が忘れないでいるための物語を。
そして、人口星の存在を見つけてほしい。そうすればきっと、収穫祭は二度と開催されなくなり、星の子も地上へくることはなくなる。
(あの時、やっと死ねると思ったんだけどな)
あっけなく、それは否定されてしまった。
人間を殺すことを躊躇う星の子もいるのだと、そのとき初めて知った。
初めて、星の子に興味を持ったし好意を持った。
けれど、そんな感情なんてすぐに忘れてしまうだろう。
煌太は、シャーペンを置くとノートを閉じる。
「……トリスさん、きっと僕のことを殺さなかったことを後悔するよ」