第3話 3
朝、藍実は部屋のカーテンを開けることが出来ずにいた。
カーテンから透ける光が異様に眩しいし、その一粒一粒が体に突き刺さる感覚がする。
気持ちが悪い。
それでも何とかベッドから這い出ると、勉強机の上に置いてあるスマホを手に取る。
……もうとっくに、授業は始まっている時刻だった。
「はぁ……」
今日こそは、と思っていたが、やはり登校する気にはなれそうにない。
服の裾を捲り、腹付近の肌を確認する。
煌太に殺されかけたあの日から、自分の体は明らかにおかしかった。
まず、血が溢れるほど負傷したにも関わらず、傷が一切残っていない。
のどが乾かない、腹が減らない、眠気がこない、疲れがたまらない。
食べ物や飲み物など、口に入れ味わうことはできるが、以前のようにそれが必然であるとは感じなくなった。
その時、スマホの画面が明るくなる。
友人の詩織から、メッセージが受信されたらしい。
[ 今日は学校これそう? ]
「……どうしよっかなー」
さすがにそろそろ行ったほうがいいか。
詩織にも、余計な心配をかけたくないし。
藍実は [ 今日は行くよ ]と返信すると、身支度を整えるため自室を後にした。
「あーっもうっ……やっぱり無理そう」
藍実は、学校の最寄駅から出ようとしたところでそう叫んだ。
以前までは眩しいとしか感じなかった日差しが、異様に痛い。我慢してここまで来たが、学校まで歩くことはどうしてもできそうになかった。
その時、後方からきた人が藍実の背中にぶつかり、思わず日差しの方へよろめく。
「ちょっと! 危ないから!」
藍実は反射的にそう叫ぶが、ぶつかってきた人物は気にする素振りも見せず歩き去ってしまった。
藍実はため息をつく。
こんなことで普通は、怒鳴らない。
「やっぱり、痛い? でもそのうち慣れるから大丈夫だよ~」
「!」
その声に振り返ると、駅の壁に寄りかかるようにして立つ、煌太がいた。
藍実は駆け寄ると
「あのさ、あたしのこと殺そうとしておいてよく平然としてられるね? ホント信じられないんだけど」
「……ごめんね」
煌太は申し訳なさそうに、瞳を伏せる。
「謝って済む問題じゃないんだけど!?」
「はは、だよね……でも、謝らないよりはマシかなぁって。だから、許してくれなくて大丈夫だよ」
「もちろん、許すつもりなんてないから~……」
「うん」
「……で、あの時あたしに何飲ませたの? 絶対変なものでしょ!」
藍実がそう問うと、煌太の穏やかな笑みは段々と消えていく。
まるで、あの時のことを思い返したくないような、そんな表情だ。
「……怒らない?」
煌太は困ったように眉を寄せる。
「怒らないから、言ってよ」
今の時点で十分怒っているのだが、それは言わないでおこう。
「星の子の血液」
「!」
「少なくとも、僕たちはそう呼んでる。まぁでも、星の子に血なんて通ってないから、正確には星の子を構成しているエネルギーの一部ってところだと思う」
「……は~、最悪。どうしてそんなもの飲ませたの? お蔭で体が変なことになってるんだけど」
怒る気も失せた藍実は、そう言葉を並べて煌太の応えを待った。
煌太が、藍実のことを攻撃した事実がまるで嘘のようだ。こうして話していれば、ただの気の弱い高校生なのに。
「人口星として仲間を増やすことは、願い主の「願い事」でもあるから。逆らうことってできなかったんだよ」
「……人口星?」
「うん」
煌太は微笑む。
藍実はその単語を知っていた。それに、星の子の血液、その単語もどこかで目にした覚えある気がする。
一体どこで見たんだっけ?
「あ、そろそろお昼だね。一緒に食べよ、藍実さん」
煌太はそう言うと、歩きだす。
「日差しの中を歩くのは、シンドイだろうから、駅ビルのお店にしよーよ。僕、あのお店がいいなぁ~」
「は? ちょっと待ってよ!」
藍実は歩き出した煌太の背中を追いかけると、彼の隣に並んだ。
「人口星ってどこかできいたことあるような……」
そう呟くと、煌太は表情を明るくさせた。
「そういう児童書あったよね」
「あ! それかも!」
煌太の言葉で思い出したが、その本の具体的な内容は覚えていなかった。
読んでいたのは、小学校の低学年ぐらいの時だったので、なんとなく悲しい話だった、そういう印象しか残っていない。
確か星の子もでてくる物語で、何種類かシリーズがあったはずだ。
まさか、煌太や自分が、その物語にでてくる「人口星」そのものだったなんて、その時は想像もしていなかった。
+
「会ってほしい人がいるんだ。いい?」
日が沈みかけてきた頃、煌太は藍実にそう言った。
その表情は、真剣そのもので、この言葉を発するために煌太は今日ここに来たのだろう、そう思った。
藍実は、試着するか迷っていた服を元の場所に戻すと溜息をつく。
駅ビル内で服を見たり、雑貨を見たりすることに付き合ってくれた煌太、きっといい奴に違いない。
けれど、今は少し嫌な予感がした。
「いやだーーって言ったら?」
藍実は口元を緩める。
煌太はそれに、困ったように笑うと
「んー、無理やり連れて行こうかな。出来なくはないし」
「怖っ」
「ははは……」
「分かった、行けばいいんでしょ」
「ありがとう、藍実さん」
藍実は精一杯の笑顔を作る。
無理やり連れて行く、その発言はきっと冗談ではないだろう。
煌太が無言で歩きだしたので、藍実もその後に続いた。
煌びやかなショップが入り組むこの空間とは、真逆のところに藍実の心はあった。少し前までは、当たり前のようにこの空間に馴染んでいたのに。
でも、仕方ない。
もう後には引けない。
煌太が、いい奴でも悪い奴でも関係ない。
自分が今できることは、状況を理解し受け止めて、それをよくするキッカケを見つけることだけだ。
もうカノの時のように、自分自身のことを見て見ぬフリはしたくなかった。
馴染みのない駅で降り、目的の場所につく頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
「ここって小学校だよね?」
藍実は、隣に立つ煌太にそう訊いた。
周囲には住宅やアパートが立ち並んでいる。藍実の通う高校周辺よりは、もの静かな印象のある地域だ。
「そうだよ~」
煌太は頷く。
児童たちはすでに帰っているだろう。校門から見える、校舎の窓と校庭は暗い影が落ち静寂を保っていた。
どうしてこんなところに……藍実がそう訊く前に、煌太は施錠されている校門を軽々とジャンプし飛び越えた。
まるで重力を感じさせないその動きに、藍実は唖然とする。
「え、ちょっと待って。そんなこともできるの?」
「簡単だよ、藍実さんにもできるはずだよ」
煌太は、鉄柵の向こう側からそう言った。
「……ってか、勝手に入って大丈夫なわけ?」
「大丈夫だよ。見つかりやしない。ほら、早く」
煌太は身軽に柵の上に立つと、藍実に手を差し伸べる。
「……」
藍実はそれをしぶしぶ掴むと、煌太と共に小学校の敷地内に足をついた。そして、校庭の方へ歩みを進める。
誰もいない夜闇に紛れた校庭は不気味だが、煌太はそんなこと微塵も気にする素振りも見せない。もしかしたら、こうして夜の小学校へ侵入することに慣れているのかもしれない。
「!」
すると、あるものが藍実の目に留まった。
校庭の隅にあるブランコに人影がある。その人影は、勢いよくブランコを漕ぎながら、こちらに手を振っていた。
煌太もそれに手を振り返す。
「波留くん、もう来てたみたいだ」
「あの人が会ってもらいたいって言ってた人?」
藍実がそう訊くと、煌太は頷く。
まず、子どもだということに驚いた。一体何者なのだろうか。
二人がブランコに乗っている人物に近付くと、彼はそこから降りこちらに駆け寄ってきた。
波留という名の少年は、煌太と藍実のことを見るとペコリと頭を下げた。そして、顏を上げると藍実に無邪気な笑顔を向ける。
「はじめまして、おれは星川 波留っていいます。煌太さんから話はきいてますよ! 望月藍実さんですよね?」
「そうだけど……あんた、一体何者? 絶対ただのこどもじゃないよね??」
藍実は思わず顏をしかめる。
かわいらしい笑顔に騙されてはいけない。
すると煌太が、
「藍実さん、波留くんは僕たち人口星の「願い主」だよ」
「願い主……こんな子供が? あんた何歳?」
「十歳ですっ」
「若!」
「藍実さん、あまり失礼なことは……」
煌太は不安げな表情を浮かべた。
こんな子供に、失礼も何もないだろう。よほど「願い主」という存在は、重要なものなのだろうか。
波留は大げさに、首を左右に振ると
「あ! いいんです。全然気にしないのでっ……一応言っておきますが、本来の願い主はおれのご先祖様です。おれは、願い事を引き継いでるってだけですから……」
「波留くん、そんな謙遜しなくていいんだよー、今の願い主は波留くんなんだから」
「煌太さん……、ありがとうございます!」
波留は煌太に微笑みかける。
煌太もそれに、表情を緩めた。
次に波留は、こちらに目を向けると、藍実の手を握る。
「今日は藍実さんにお会いできて光栄です。新たな仲間として、これからよろしくお願いしますね」
勝手に仲間にされた藍実からすれば、今すぐにでもこの手を払いのけて一言言ってやりたい。だが、それをさせまいという雰囲気が波留にはある。
その様子を見ている煌太からも、その波留に同調するような雰囲気が伝わってきた。
波留は手を離すと、藍実の顏をしっかりと見据え、
「……では、きいてください」
「?……」
波留は目を逸らさない。
藍実が戸惑っていると、煌太が耳元で「君の願い事は? って訊いてあげて」と言った。
「え」
「いいから。そのまま言えば大丈夫だよ」
煌太の声色が変わったので、藍実は咄嗟に「君の願い事は?」ときいてしまった。
……すると、波留はにこりと笑う。
『おれの願い事は、星の子を全滅させること』
「!」
波留がそう口にした途端、藍実の腕や足に黒い傷のようなものが浮き出てきた。
そこからあふれ出した黒い星々は、周囲に散らばり、夜闇をより深いものに変化させていく。
『大切な人を奪った星の子を、おれは絶対に許さない』
「……」
「人口星さん、叶えてくれます?」
藍実は気付いたら「もちろん、叶えてあげる」と言っていた。
その口元は、微笑み、まるでそう訊かれたことが嬉しいようなそんな表情だ。
ジリジリと目の奥が焼けるように痛かった。
手で拭うと、目からあふれ出ているのは黒色の涙。それはすぐに、黒い星々に変化し空気中をサラサラと漂う。
……きっと、この星々は藍実のことを逃がさないだろう。
そして、確信した。
波留の「願い事」が叶うまで、自分はそれに縛られる。
何十年、何百年後もきっと。




