第六話 誤解
頭に響く鈍い痛みで、私は目が覚ました。
体を起こして周囲に目をやると、私は石作りの壁で囲まれた少し狭い正方形の空間にいた。
窓もなく湿った埃の臭いがする薄暗い空間には、私以外に誰もいない。部屋にあるものは、火が点った油の入った皿と、汚れた水の入ったたらいだけ。差し込む光もなく人の気配もしない。
辺りはしん、と静まり返っていた。
刺すような痛みの原因の後頭部におそるおそるさわった。後頭部は脈打つ度にズキズキと痛み、私がこれまで経験したことがないほどの大きな瘤ができていた。
瘤にできた裂傷には乾いた血がこびりつき、額にかけて気休め程度の汚らしい包帯が巻かれている。
左手には添え木がしてあり、同じような黄ばんだ包帯が巻かれていた。まだ腫れは引いていない。皮膚が張ってどす黒くなっている。朝に見た時よりも酷くなっている様だった。
私はぼんやりしていた意識がある程度回復すると、なるべく傷に触らないように、壁に手をついてゆっくりと立ち上がった。
とにかく外に出て現状を知ろうと、唯一ある扉に近寄った。しかし、その内開きの扉にはドアノブがついていなかった。 体重をかけて押してみるがビクともしない。
「…すみません!…誰かいませんか!?」
近くにひとがいないものか、私は扉を何度も叩いた。早くここから出してもらいたかった。
私の荷物もいつの間にか無くなっているし、何故こんな扱いを受けなければならないのか、私には分からなかった。
必死で助けを呼ぶ私の声は、空しく部屋に木霊して消えてしまう。
木製のドアには金属の枠に錨が打ってあり、そう易々と壊れそうにもない。
携帯電話も取り上げられてしまったようだし、他に外部との連絡をとる方法はないだろう。
「…どうしよう…」
なすすべの無くなった私は途方にくれ、その場へ座り込んでしまった。
□
私が目を覚ました少し後。
日本の夏とそう変わらないジメジメとした暑さのなかを、町から北へと延びる街道を馬二頭立ての馬車が走っていた。
馬車は黒塗りで飾り気がなくいかにも実務用といった感じだったが、木製の車内は広く確保されゆったりとした造りになっていた。
ガタゴトと音を立てて移動する馬車に設けられた右の窓から面倒臭そうな顔を除かせているのは、昨日長の家を訪ねていたあの男だった。
男としては涼しくなった今日の夜のうちに事を終わらせるつもりだったのだが、今晩までに報告するよう長に命令されていたため、仕方なくこの炎天下の中を馬車を進めさせていた。
せいぜい一週間前後の逃亡奴隷に関する書類の山を掘り起こせば片が付く、と思っていた当初の予想を覆され、男はイライラしていた。
昨日の晩から今日の昼間までかかって詰め所で徹夜をしたのだが、結局手配書から拘束した女に該当する調書を見つけることができなかったのだ。
男は深くため息をつくと、申し合わせたかのように御者から到着を知らせるノック車内に響く。
「ようやく着いたか。」
町から数キロほど離れた森のふもとにある石造りの牢獄。
その出入り口に横付けするようにきしむ音を立てながら馬車はゆっくりと停車した。
男は馬車を降りると、薄汚れた石がむき出しの建物へと入っていった
□
突然部屋の扉が開いた。
座り込んだままうつむいていた私が、扉が軋む音で顔を上げると扉の外にひげ面の男が立っていた。やはり普通のよく見る服装ではない。
乱雑に編まれた手製の黒服は何年も使っているのか痛んで端が解れてきている。ボタンも円形ではなく木の切れ端に穴をあけて通した様なものだった
髭男は電球ではなく、本物の炎が入った青銅色のランプを持ち、ムスッとした顔をしている。
独特な汗の匂いとともにかすかにスッとしたアルコールのような匂いがした。
「****」
男はランプを持っていない方の手で、部屋の外に出るように指図した。
私が言われるがまま部屋から出ると、髭男は扉を乱暴に閉めて木製の閂を降ろし、慣れた様子で私の手首を後ろ手に縄で縛り上げた。
「…痛いっ」
髭男は私の小さい不平を無視し、右肩を小突いて前へ歩くように指示した。
閉じ込められていた部屋と同様、廊下はジメジメとしていて薄暗い。
そこにあるのはコツコツと反響する靴音と、向こうまで伸びたユラユラ揺れる私の影だけ。
「………あの、私、これから…どうなるんでしょうか?」
私は歩きながら、おそるおそる横を歩いている髭男に尋ねた。
髭男は目も向けず無言で歩き続ける。質問に答える気はさらさらないらしい。
先ほどの部屋と同じような扉の前をいくつも通り過ぎて、上へ続く階段を髭男と一緒に昇りながら、これからどうなるのだろうか、と私は早くも泣きそうだった。
なんというか頭の中ではできているのに、文字として生み出す難しさ。
頑張ってくつもりです。生暖かい目で見守ってやってください。