連隊長の死
上陸前の艦砲射撃はほとんど効果がなかったことを、アメリカ兵たちは翌日思い知らされた。
リチャードとポールが所属する第十七連隊を主力とする米軍上陸部隊が上陸したのは、島南東部のマサッカル湾だった。マサッカルとは虐殺のことで、十八世紀にロシアが原住民のアリュート人を虐殺したことに由来する。日本軍はここを旭湾と呼んでいた。
先遣隊が日本軍陣地を急襲すると、日本軍はろくな抵抗もせずに余りにもあっけなく敗走した。高射砲陣地には無傷の高射砲と弾薬、糧食、野菜を栽培している箱が放置されていた。米軍兵士たちは固く縛っていたヘルメットの顎紐を緩め、楽な戦いになることを喜び合っていた。しかし、第十七連隊連隊長アノール大佐は、口元をきつく結んで厳しい表情を崩さなかった。上陸前にあれほど砲爆撃を加えたのに陣地は健在であり、高射砲も旧式であるが隅々まで手入れが施され金属部品が潤滑油で輝いていた。
「油断するな。敵を侮るな」
アノール大佐の忠告を真剣に捉える兵士はほとんどいなかった。
日本軍が荒井峠と名付けた地点に達すると、三方向からの砲火にさらされた米軍上陸部隊は逃げ場を失い、兵士は次々に倒れていった。山岳地帯が多くを占めるアッツ島は、砲爆撃の威力を削ぐ陣地を構築しやすい。山の中腹に造られた陣地からは、下から登ってくるアメリカ軍が丸見えだったろう。一旦撤退し、ほぼ無傷で生き残っていた日本軍守備隊は、大して姿勢を下げることもせずに進撃してくるアメリカ軍をあざ笑うかのように、引き付けるだけ引き付けて大砲や機関銃をありったけ叩きこんできた。日本軍からの銃撃を避けるために地面に伏せても、凍土であるため長時間伏せていることができない。起き上がった途端に狙撃され、一人また一人と兵士は命を散らせていった。
アノール大佐は劣勢を挽回するため、敵の陣地を偵察する斥候隊と共に最前線に赴く決心をした。参謀や直近の士官は皆反対したが、大佐の信念は揺るがなかった。
「指揮官がのうのうと後方にいてはだめだ。私が先頭に出て兵に範を示す」
大佐が連隊本部を出発して二百メートル程の地点で、数発の銃声がした。米軍陣地を偵察に来ていた日本軍斥候が放った小銃弾だった。その内の一発がアノール大佐の頭部に命中し、大佐は背中から凍土に倒れ込んだ。リチャードとポールが緊急招集を受けたが無駄だった。大佐は即死した。
日本軍による夜襲も毎晩行われた。霧のために月も星も見えない真っ暗闇の中、寒さに凍える米軍兵士は、「バンザーイ!」という叫び声を聞いた途端に戦意を喪失した。日本軍兵士が携える小銃の先に着けられた銃剣が、無駄にギラギラと輝いて不気味だった。
沖に控える戦艦や巡洋艦が全弾を日本軍陣地に撃ち込んだ。爆撃機による爆撃、揚陸した百五十五ミリ砲による砲撃も実施した。しかしそれでも荒井峠を守る日本軍の勢いは衰えなかった。山の上から降ってくる敵の銃弾が霧を切り割いて光って見えた。負傷者が続出し、リチャードとポールの仕事は急激に増えていった。
米軍の猛攻を六回に渡り防いだ荒井峠の日本軍は、壊滅的な損害を被りながら五月十七日夜間に撤退した。日本軍撤退の知らせを聞き、翌十八日に日本軍陣地に踏み込んだリチャードは、小銃の銃口を口にくわえ、足の指で引き金を引いて絶命している兵士を見た。足に重傷を負っており、撤退することができずに自決したようだった。兵士はほとんど肉がついておらず、気の毒に思えるほどやせ衰えていた。
「生きている者はいないか? 捕虜にして情報がほしい!」
米軍将校の叫ぶ声が陣地にこだました。そこには硝煙と血の臭いが漂っているだけで、息のある日本軍兵士は一人もいなかった。戦死した中隊長の一人であるジャーミン大尉の名前をとり、米軍はこの地をジャーミン・パスと呼んだ。
日本軍は後退を続け戦線を縮小していった。米軍は増援も得て数の上で圧倒的に優位に立ち日本軍を包囲した。三日で落とせると言われていた割には占領に時間がかかっていたが、頑強な日本軍の抵抗は日を追うごとに確実に弱まっていった。